クエスト124 終焉世界の神科学種たち
A.D.α 2028/10/25
最初に認識したのは消毒液の匂いだった。視界に映る無機質な白い空間、照明の光が目に入り若干目を細める。
(私はまた戻ってきたのね。いま、何時かしら。)
彼女は目覚めるとすぐ、壁に掛けてある時計の時刻を確認するようにしている。
14:16
ゲームから四十六回目のログアウト、いや、四十八回目だったか。正確な回数はもう覚えていない。
病室のベッドで横たわる小柄で細身の若い女性の右腕には点滴の針が刺さり、首にはチョーカーが巻かれている。
彼女は丸二日間高熱にうなされ、やっとワクチンが効いて明け方に熱は下がった。
超新型インフル【黒い蝶】
感染者死亡率五割という世界的パンデミックは、我が国も都市部を集中的に大流行し、多くの犠牲者を出した。
そして半年前、偶然【黒い蝶】を打ち負かすワクチンが発見される。
【黒い蝶】の患者が極端に少ない地域で流行った風土病の予防ワクチンが、超新型インフルに効くと判明したのだ。新たなワクチンは劇的な効果をもたらし、パンデミックによる死亡率が半分から一割以下に激減する。
ただしワクチンの副作用で、手足のしびれが一日続く。
そのため入院期間完全隔離状態の患者は、医療用にカスタマイズされた電脳体感型システムVBW機器で、ネットを介して医者の診察や外部との連絡を取る。
VBWシステムは、モノクルと呼ばれる網膜投影機器と簡単に体に装着する首輪とイヤホンの専用機器で、視覚と聴覚、首の中枢神経を介して脳に特殊な電気信号を送る。
モニター画面もキーボードも無く、指先や音声で操作する必要すらない。
ただ念じるだけで全ての指示が出せるので、手足を動かせない状態でもネットを介して、医者の診察や外部との連絡を取れるのだ。
熱が冷めて意識のはっきりした彼女は寝たきりの状態に飽きて、暇を紛らわすためにVBWシステムのアプリに組み込まれた人気ゲーム『End of god science -神科学の終焉- revisionⅡ』にログインした。
それが13:55の事。
ログインと同時に急激な睡魔に襲われ、気が付くと終焉世界に取り込まれていた。
そこは人間の霊峰神殿と巨人族が死闘を繰り広げる、戦乱真っ只中の終焉世界。幼い肉体に膨大な魔力を要するハイエルフに魂を宿した彼女は、そこで必死で生き延びて『王の影YUYU』と呼ばれる存在になった。
時折、何度も何度も、
何度もなんども、なんども、なんどもなんども……
ログアウトして半覚醒状態のリアルの器に戻る。
彼女が終焉世界で二十年過ごしている間も、リアルでは僅か数分の出来事。短い覚醒は一分もたたずに、再び魂は終焉世界に戻る。
(私はどうして、二つの世界を行き来しているの?)
見えない巨大な力が自分を利用していると気づくまで、たいして時間はかからない。
終焉世界に神科学種として送り込まれる魂は、多くがパンデミック【黒い蝶】時代のゲームプレイヤーだった。
ではパンデミックを防ぎ歴史を変えれば、ゲームプレイヤーの魂が終焉世界へ送られて、祝福と破滅の使徒を対立させる『仕組まれたクエスト』を変えることが出来るかもしれない。
再び彼女に睡魔が襲い、短い覚醒から意識を失う直前、完全防護服を着た看護婦が部屋には行ってきた。
「逢沢夕姫さん、起きていますか?
明日退院できますよ」
(ああ、すっかり忘れていた、私はそんな名前だったのね。)
***
「おかえりYUYU、あちらの世界はどうだった?」
鉄紺王は腕の中で目を覚ましたYUYUに静かに声をかけた。目覚めたばかりで意識の朦朧としたYUYUは、呂律のまわらない口調で返事をする。
「はい、鉄紺 王、今回は少し 変化がありま した。
ベッドに伏せていた 私に、介護人が声を かけてきたのです」
話ながら記憶を整理する。鉄紺王の側で控える水浅葱が、眠気まなこの四枚翼のハイエルフに紅茶を差し出した。
「YUYUさま、眠気覚ましのお飲み物を用意しました。今回のログアウトは随分と長かったですね。
わ、私はYUYUさまがお目覚めになれないのではと、心配で……」
普段は穏やかで落ち着き払っている水浅葱が、ひどく動揺して泣き出しそうになっていた。
YUYUは紅茶を飲み終えると鉄紺王の腕の中から体を起こし、両手を広げて水浅葱の方へダイブする。
ソレは小さな子供が母親の胸に飛び込むようで、水浅葱は条件反射でYUYUをしっかりと抱きしめた。
「ずいぶん心配させたようですね、水浅葱。
昔はアチラに還りたいと泣いて過ごしていましたが、今はこの世界に私の居場所があります。
私は例えどんな事があっても、大切な鉄紺王や水浅葱のいる世界に必ず戻ってきます」
この二十年の間に、自分と同じように取り込まれた神科学種たちは、ほとんどが与えられた試練をクリアできずに力尽きた。
世界が待ち望む、女神神話に語られる女神ミゾノゾミと守護者たちは現れなかった。
それが半年前、閉ざされた砂漠のオアシスに現れた三人の神科学種の中に、女神の器に女神の魂を持つ、とても貧弱な少年がいることを知った。
この女神の憑代は二人の守護者に守られながら、仕組まれた試練をくぐり抜け、女神の奇跡を起こし人々に救いの手を差し伸べる。
ついに女神降臨が果たされたのだ。
王の影YUYUは、あらゆる手段を使い女神の憑代を味方に付けた。これで仕組まれたクエストを、全てクリアできる駒が揃う。
「さて、全クリした後に、どんなエンディングが待ち構えているのでしょう」
***
巨人王からもらった【覇王の鷲獅子兜】鍋を抱えて厨房へ入ったハルは、そこでウツギと鉢合わせになった。
そういえばトド、アヤメ姫の事で巨人王から伝言を預かっていた事を思い出したハルは、ウツギに話しかける。
「ウツギさん、大変なことになったよ。
トド、アヤメ姫が王様の第五位側室に格上げされて、巨人王の第一位から三位までのお姫様は亡くなっているから、第四位側室YUYUさんが第一王妃で、第五位側室にいなったアヤメ姫は第二王妃になるんだ」
「なんだってぇ。まさかアノ可愛いまんまるのお姫様が第二王妃さまって、そ、そんな!!」
「それから王様からの伝言で、巨人族は力こそ全て、欲しいなら奪い取りに来い。って言われたよ」
後宮に住まう高嶺の花どころか、手に届かない地位に上り詰めたトド姫。
人一倍臆病者のウツギが、よりによって覇王である巨人王鉄紺と張り合わなくてはならないのだ。
「どうしたらいいんだ、ハルさま。俺はあのお姫様を諦めきれないよ」
「がんばって、王様に負けないで、トド、アヤメ姫を幸せにできるのはウツギさんだけだよ。
そういえば僕、これから大鍋料理の準備をしなくちゃいけないんだ。
代わりにお願いなんだけど、グリフォンに餌を届けに行ってもらえる?」
いきなりハルは用事を頼み、ハルはウツギを置き去りにして厨房へ引っ込んだ。
なにも知らないウツギは、ハルの代わりに餌を届けに行き、そこでグリフォンの世話をするトド姫と会うはずだ。
「王さまなんて今までトド姫を放ったらかしだったし、最近ウツギさんは頑張っているし、このぐらいお膳立てしてもイイよね」
そのハルの思惑は念話を通してSENやティダにも伝わっていた。
「俺が知らないうちに結婚している奴はいるし、あのウツギにも恋話だと!!
独身を貫くと思っていた鬼仮面の青磁王子もスズランと良さげだし、くっ、くそう、リア充どもは滅びるがイイ!!」
「まぁ、ウツギの恋は前途多難だが、ハルちゃんが応援するなら何とかなるだろうな。
それにSEN、お前みたいな変態紳士でも気にせず信頼してくれる青磁王子や、クククッ、奴隷契約した詐欺師ロウクがいるじゃないか。
異世界トリップで王の後宮にいたというのに、生身の美女に見向きもしないとは紳士の鏡だな。こうなったら是非、魔法使いを目指し精進してくれ」
魔法使いを揶揄するティダに、SENはうらめしげにグチる。
「ティダ、お前の王子さまが面白くなさそうな顔で俺を睨んでいるぞ。
フハハッ、色恋など、我が魂は真理の果てを極めんとする道程。究極で完璧な我が嫁は二次の彼方にいるのだ。三次元に懸想して心を乱すなど不要の長物!!」
ヤケになり痛すぎる電波語でティダに言い返すが、以前のような二人のドツキあいにはならない。
SENは考えを巡らせる。
もうコイツは、中身オッサンのエルフの狂戦士ではなく、ハーフ巨人たちを率いる竜胆を支え導く白銀の天女さまだ。
ハルも弱いだけの初心者ゲームプレイヤーではなく、人々に祝福をもたらす女神の憑代。この世界に無くてはならない存在になった。
「それでいい。ハルもお前も、この世界で好きなように生きればいい」
三人の中で背負うモノが無いのは自分だけ。自分の役目はアノ疫病神アマザキを、終焉世界から排除することだ。
その日の夕刻には、次期巨人王候補に選ばれた桂樹王子を乗せたグリフォンが王都に戻っていった。
ティダとSENは、竜胆たちとのグリフォン捕獲作戦の最終打ち合わせが夜遅くまで続く。
厨房にこもっていたハルは、トド姫と会えたウツギがうわの空で使いモノにならないとグチりながら、夜食用のうどんと、五色フクロウの温泉卵を持ってきた。
「五色フクロウの卵は、厚い殻が熱を通さなくてゆで卵が出来なかったんだけど、この王様鍋(と命名)を使えば中まで熱が通って、ほら、温泉卵が出来るんです!!
夜食には麺がいいかと思って、魚介ダシにあっさり塩味の手打ちうどんモドキを作りました」
ハルから手渡された五色フクロウの温泉卵は黄色みがかった殻で、鶏の卵より一回り小さいがずっしりと重みがある。手打ちうどんの麺は薄桃色で、丁寧にアク取りした麺汁は透明に近かった。
「ハルちゃんの作るうどんの材料は安い粉物なのに、細麺でコシがあるね。温泉卵を落として、ふぅふぅチュル、ああ、麺に卵が絡んでモチモチとした食感にあっさり出汁がイイね」
「俺は温泉卵にナノハナ海醤油を垂らして、はむっ、おおっ白身はぷりぷり弾力があって、中の半熟黄身がスゲェ濃厚でコクがある。これは茹でで固くするより半ナマの方が旨みがあるな」
「この麺は、粉物に白いサボテンのすりおろしを加えているんです。三十分くらい生地を寝かせるとモチモチ麺になるんです。
あっ竜胆さん!!温泉卵五個を落としてぐちゃぐちゃに、そんな醤油をドバドバかけないで、もっと味わって食べてよ」
「ズルズル、ハル、お前の味付け薄いぞ。俺はコッテリ味が好きなんだ。
これは親父の【覇王の鷲獅子兜】の大鍋で作ったのか……まぁ、美味いけど」
ハルは明日の準備に追われていたギルド員たちにも夜食を配り、皆一服して穏やかな空気に包まれる。空になった王様鍋を抱えたハルは、満足げにつぶやく。
「温泉卵がこんなに評判イイなら、深い森では卵を狙って採取しよう。
そういえばグリフォンって卵を生むのかな?」
「ハルっ、最初に注意しておくぞ。いいか、グリフォンだけは絶対に食材にするな!!
馬鹿な紫苑がエルフの秘薬を作るために鳳凰を全部シメちまったから、王を象徴する魔獣はグリフォンしか居ないんだ」
「でも、この王様鍋(と命名)ならどんな食材でも芯から火を通して柔らかく煮込むことが出来るんだ。
判りました、それならグリフォン以外なら、なんでも食材にしてもいいよね」
そのハルの一言に、約一名背筋を凍らせたものがいる。
翌日朝早、竜胆率いるグリフォン捕獲部隊、総勢八十人が深い森の中に設けられたベースキャンプを目指し、ロクジョウギルドを出立した。
***
霊峰神殿の最奥、天界の間と呼ばれる部屋。
床と壁四方に魔法陣が印され、天井は蜂の巣のような文様の色鏡貼り、室内には何枚もの巨大な鏡が据え置かれていた。
部屋の中央には、魔法文様が刻まれた長細い帽子をかぶり薄い生地の金の衣を数枚重ね着にした法衣を着た、若葉色の髪に闇夜を写し取った黒い瞳の少年法王が立っている。
二年前に神懸かりの力を得た法王は、名を白藍からアマザキに改名し、歴代法王の中で最強の魔力を持つ。
アマザキが巨大な鏡に触れると、そこに神の言葉を記した呪文が浮かび上がり、さらに天界から地上を見下ろす神の目を用いて、霊峰神殿に反逆を企てる者たちを監視していた。
法王の正面の鏡には、敵対する汚らわしいハーフ巨人たちの行列を映し出す。
法王の側で、膝を折り顔を伏せて控える白銀の聖騎士は、神科学時代の遺物を使いこなす主にさらなる畏敬の念が沸き起こり、感動で身を震わせていた。
我が法王は天候を操り、新たな聖獣を生み出し、汚泥を宝石に変える程の力を持つ。
降臨したと噂されるミゾノゾミ女神など、我が法王の前では無力な小娘と一緒だ。それなのに無知で愚かな信者どもは女神降臨に浮かれ、法王は女神の下僕だとほざく。
地上の神は唯一、我が法王アマザキさまの他に存在してはならない。
「どうやら紫苑のヤツ、獲物ヲ取り逃がしたラシイな。
ああ、メンドくせぇ。俺は巨人臭イ場所には行きたくネェンダヨ」
法王アマザキは苛立たしげに親指の爪を噛みながら、鏡に映されたハーフ巨人の集団を呪杖の先で叩いている。
すると側に控えていた聖騎士が、顔を上げると意を決した様子でアマザキに訴えた。
「アマザキさま、どうかご命令を。
この私が、アマザキさまを煩わせる目障りや輩どもを、闇に葬ってまいります」
・お話のジャンル自体がネタバレだったので、今回からSFに変更しました。
・YUYUの命名、ユウさんありがとうございます。
※キャラクター投票、いい感じでバラけています。
ハルは2巻も巫女女装な表紙の予感です(笑)