クエスト121 詐欺師の阿鼻叫喚
それは五日前の出来事だった。
ハクロ後宮から数頭の馬車が城壁の外にある人間の都に現れた。
紺の車体に金のグリフォンの紋章が記された馬車から降りてきたのは、ミゾノゾミ女神に仕える美しい女官たちと、まるで月の化身のように優美な姿をした天女。
彼女たちは人々に女神の白い菓子を配りながらこう言った。
「地上の人々に天界のお菓子を味わってもらいたいと、ミゾノゾミ女神さまが自らから作られたお菓子です。
ただ、全ての人々にこの菓子を作り与えるには、材料となる砂糖が必要です」
ここ数ヶ月間、ハクロ王都では砂糖の値段が高騰し一般の人々はとても手が出せなくなっていた。
その砂糖で出来た雲のような甘い菓子をミゾノゾミ女神が人々に与え、また噂ではそれを食べると怪我や病が良くなるという。
人々は毎日菓子を積んだ馬車が現れるのを心待ちにしていた。
そして彼らとは別に、この出来事を小躍りしながら喜んでいる人物がいた。
***
「随分と砂糖の価格は高くなっているが、それでも欲しいという連中が俺の店にやってくるぞ。
なんせハクロ王都で砂糖を独占販売できるのは、我が上級ギルド ヤタガラスだけなんだ」
詐欺ギルドの主、白面のロウクは喜色満面で机の上に山積みされた金貨の詰まった袋を眺めている。
最近は高くなりすぎた砂糖を購入する客は宰相代行の黒髪の男だけだったが、女神が砂糖菓子を配りだしてから再び客足が増えた。
「おい、もうすぐ次のカモ、客が来るぞ。経理係、さっさと金貨を片づけろ!!」
「それがロウクさま、経理係の野竹は余所に移るといって、昨日でギルドを辞めています。
ヤツが受け持っていた書類は、ロウクさまが今座っている執務テーブルの引き出しに全部仕舞っているそうです」
そういわれてロウクは机の左右が引き出しを確認すると、中には取り引きされた書類が日付ごとにまとめて整理されていた。
「俺がこのギルドを乗っ取ってからも図々しく居座っていた男がやっと辞めたか。
仕事は鈍いし、書類を書くだけが得意の役たたずだったな」
ロウクは鼻で笑うとそれで経理係の話を切り上げ、側近の小太りの男に客を呼べと言いつけた。
別室で待たされていた客が部屋の中に入ってくる。
男は紺の最上級騎士団の衣装を着て、二人の家来を従えていた。
先月北の地の遠征から帰還した巨人王付きの騎士だ。連中は羽振りがよい。ロウクは両手をもみ合わせながら男に話しかける。
「これはこれは、巨人王陛下直属の近衛兵騎士団長の黄蓮さま、お久しぶりです。
今日はどのようなご用件でしょうか。
以前オウレンさまがお取り引きした砂糖の値段が、再び上がりだしています。今買い増しすれば一週間で価格が二倍、いや、五倍に跳ね上がりますよ」
「ああ、今日は砂糖を買いに来たのではない。
女神さまに少しでも砂糖を献上したいと思って、一月前に取引で買ったまま預けている砂糖を現物で欲しいのだ」
砂糖の売買は、商品そのものを取り引きする現物売買と、現物を介せず書類のみで取り引きする信用売買がある。
信用取引は書類上で買った商品を売却するか、逆に売った商品を買い戻し、その差額が儲けになるギャンブルだった。
しかしこの客は、信用取引で買った砂糖を現物で欲しいという。
儲け話ではないと知ったロウクは、客の目の前で舌打ちをすると、露骨に態度を変えた。
「騎士団長さま、商品を保管している倉庫は別エリアにあるんだよ。
こちらは砂糖を預かっているだけだから、そういった話は裏口の事務所前に並んで、倉庫係と話してくれ」
「ああ、朝一番に裏口に並んだのに、その倉庫係から「買った砂糖の量が足りないから書類を確認しろ」と言われてココに来たんだ。
俺が買ったハズの砂糖が足りないって、いったいどういうことだ?」
騎士団長は一月前に知り合った水色の髪の女官から、女神さまの砂糖菓子を作るため、王が砂糖を直接買い集めている話を聞いた。
彼は隊長として、北の厳しい遠征で疲れ果てた隊員たちを全方位転送魔法陣で一瞬で王都に戻してくれたミゾノゾミ女神にとても感謝していた。
わずかでも女神に恩返しがしたいと私財の一部を寄付するつもりで来たが、このギルドの連中は金に汚く欲深い。
客から預かった商品を知らないと言うのだ。
「時々ヤタガラスギルドのよからぬ噂を聞くが、まさか商品が無いのに有ると偽って客から金を騙し取っているのではないか?」
騎士団長が常に腰に帯刀している大剣の鞘に手をかけ、後ろにいる家来たちも身構える気配を見せた。
相手は巨人王直属の近衛兵騎士団長だ。ギルドの用心棒では相手にならない。
「そ、それは誤解です。騎士団長さま!!
大変失礼いたしました、倉庫係の勘違いでしでしょう。
ほらご覧下さい、書類はきちんと机の引き出しの中に保管しています。
商品は別エリアの倉庫から取り寄せて、明日までにちゃんと騎士団長さまにお渡しします」
それからロウクはなんとか舌先三寸で誤魔化し、半分の商品を渡して騎士団長を帰らせた。
しかしここから、詐欺ギルドヤタガラスの地獄が始まる。
「なにが女神に献上するだっ!!
今砂糖の価格は最高値なのに、ヤツが一月前に買い付けた砂糖の値段で現物を渡したらこっちは大損するぞ。オイ経理係、あの騎士団長は何袋買ったんだ」
「ロウクさま、経理のノダケは昨日で辞めてもう居ませんよ。
えっと、この書類通りだと客が銀貨千枚で買った砂糖は百袋……今市場で捌けば銀貨三千枚で売れるんです」
額に青筋を立てて怒鳴りまくるロウクに、側近の小太り男は蚊の泣くような小さな声で答えた。
その時、応接室のドアが激しく叩かれ開くと、話に出た倉庫係の男が全身汗だくになって部屋に駆け込んできた。
「おやかたぁーー大変だぁ。倉庫に書類を持った連中が押し掛けて、勝手に砂糖を運び出している!!」
「なんだとぉ、明日砂糖を渡すと言ったのに、あの男勝手に商品に手を出しているのか。
相手が騎士団長でもかまわねぇ、ギルドの用心棒全員でヤツを追い払え」
「押し掛けて来たのは騎士団長だけじゃねえ、別の客も砂糖の現物を渡せと倉庫の前に集まっているんだ。
ギルドの倉庫には五日分の砂糖しか置いてない。もう倉庫の中は空っぽだ。
親方、あんた信用取引とやらで、どんだけの砂糖を売りさばいたんだ?」
詐欺ギルドの中でも信用取引と、実際の商品を扱う現場では全く別分野で、それを経理係が一つに統括していた。
その両方に関わっていた男は、昨日でギルドを辞めている。
側近の小太り男と倉庫係がロウクのいる机から全ての書類を引き出すと、押し黙って計算を始めた。
二人の顔はみるみる青くなり、書類に書かれた数字を半分ほど計算したところで止めてしまった。
「なんてこった。この書類を計算したら、この一ヶ月の間にハクロ王都で扱う五年分の砂糖を売りさばいている。
別エリアの倉庫に保管されている砂糖は、たった二ヶ月分しかないのに、いったいどうするんだよ!!」
倉庫係の男は書類を床にたたきつけると、隣にいた小太り男の襟首を締め上げて怒鳴った。
ギャンブル色の高い砂糖の信用取引を行う客はガラの悪い連中が多い。倉庫係は今朝からずっと押し掛けてきた客に同じことをされていたのだ。
「ひぃ、息が出来ねぇ、手を離せぇ!!
そんな事、俺だって知らねえよ。親方に聞いてくれっ」
白面のロウクの顔から表情が消えていた。
床に散らばった書類の半分は、同じ筆跡のサインが書かれている。
ほぼ毎日砂糖を買い続けていた巨人王宰相代理の男、そいつを騙すために取引のつど砂糖の値段を少しずつ高くした。
あの黒髪の真面目そうな男は値引き交渉することなく、ひたすら砂糖を買い増していたが、俺はアノ男にどれだけの砂糖を売った?
いくらなんでも、五年分の砂糖を売った覚えはない。
「親方、客の書類をよく確認してサインしましたか?
ほらこれも、この書類も一桁多く数字が書き込まれている」
毎日同じ時間に同じ会話、交渉もせず言われるがまま書類にサインしていた宰相代理の男。あまりに簡単に罠に引っかかるカモに、詐欺師ロウクは油断していた。
ロウクはへりくだった態度で金持ちにすり寄り、相手をおだてながら法に触れるギリギリのところでカモを騙し甘い汁を吸う。
要は営業担当で、何人の客から注文を受けているとか商品の在庫がどれだけとか、事務的なことは全て経理係に任せていた。
そもそも砂糖の信用取引は、客に高値で砂糖を売って値段が下がった所を買い取るギャンブルで、金銭のやり取りだけで砂糖の現物など必要なかった。
「他の客なんてどうでもイイ。
この宰相代理との書類には、一月後の日付けにすべての砂糖を王宮が購入する契約になっているんだ。
俺は取引のたびに砂糖の代金半分を前払いで受け取ったから、その分の砂糖だけでも……王宮に納めなくちゃならねぇ」
「まさか五年分の半分でも二年、ハクロ王都どころか終焉世界すべての砂糖をかき集めても足りない量ですよ!!」
ロウクの言葉に悲鳴のような声をあげた倉庫係は、側近の小太り男から手を離すと鍵の束を投げつけ、逃げるように部屋から出ていった。
廊下から「おしまいだ、もうおしまいだ」と叫び声が聞こえてくる。
戒めから解放され床に座り込み激しくせき込む小太り男を、ロウクは口から泡を吹いて喚きながら杖で激しく叩く。
「貴様、床に散らかした書類を一枚残らず全て拾え!!
急いでここからズラかるぞ。
別エリアの貯蔵庫に保管されている砂糖と書類が有れば、この窮地をなんとか脱出できるはずだ」
***
過去の遺物である転送魔法陣は、この終焉世界に置いて重要な移動手段だった。
しかし魔法陣を作成したとされるエルフ族はその知識と共に滅び、四十七の転送魔法陣は人間の力では修復出来なくなっていた。
その中で最大規模を誇るハクロ王都の全方位転送魔法陣が、神科学種のエルフによって修復される。
再び起動できるようになった魔法陣は、霊峰神殿を除く四十六のエリアに瞬時で移動できるようになった。
ロウクたちはその転送魔法陣をいくつか渡り歩き、押し掛けてきた客の追跡を逃れ別エリアにある砂糖の貯蔵庫へたどりついた。
「ハッ、考えてみれば大量の砂糖を王宮に納めたところで、それを一日二日で使い切る訳じゃないんだ。
巨人王宮には、とりあえず倉庫半分の砂糖を納めて時間を稼ぐ。
そうだ、女神さまの砂糖菓子でどんな病も治るという噂に便乗して、残りの砂糖を万能薬だと偽り十倍、いや百倍の値段で金持ち連中に売りつけてやる」
追っ手を撒いた安心感から気力を取り戻したロウクは、再び悪知恵を働かせる。
これは千載一遇のチャンスだ。降臨した女神の話を出して「不治の病も治る」と言えば、それを競って買う客の当てもある。
貯蔵庫にある砂糖を百倍の値段で売れば、宰相代理の男から受け取った前金を払い戻せるだけでなく、それ以上の儲けが見込まれた。
「さすがはロウクさま。このピンチをチャンスに変える発想、とても俺には真似できません」
逃げている間泣き言を言い続けた腰巾着の側近は、笑いながら倉庫扉に手をかけた。
扉の鍵を回すと、なぜか鍵穴は空回りする。
おかしいと首を傾げると、重い貯蔵庫の鉄の扉がきしんだ音を立てて勝手に開き始めた。
「キヒヒッ、さぁ今日が商品納品日だぞ。いつまで客を待たせるんだ。
契約書通りに、全ての砂糖を受け取りに来た」
広い貯蔵庫の中央に肘掛け椅子が一つ、そこに頬杖をついて面白そうに扉の前のロウクたちを眺める男がいた。
同じ紺の服に同じ黒い髪、ロウクはその男の顔を知っているが、しかしまるで別人。
狂気を宿した両眼は煌々と光り、ゆがんだ口元に獰猛笑みを浮かべた男がゆっくりと椅子から立ち上がる。羽織ったマントは風もないのにはためいて、まるで悪魔の翼のようだ。
「な、なんだこれはぁーー。
倉庫の中は空じゃねえか、俺の、俺の砂糖はどこに消えたぁ!!」
詐欺師ロウクの声が部屋中にこだまする。
ひと月前、貯蔵庫満杯に詰め込まれていた砂糖は一粒残らず消えていた。
歌姫スズランの声のイメージを、ブログにのせています。
ロクジョウギルド編も残り1話で結められるかな、頑張ります。