クエスト117 後宮の白い花飾りの女官
ハクロ王宮に住むミゾノゾミ女神が人間の都で菓子を配り始まると、人々の間で白い菓子の不思議な噂が広まっていた。
「お前、女神さまの白いお菓子を食べたんだって。どんな味だ?」
「その白いお菓子は雲を砂糖づけにして作るそうだ。とても甘くて不思議な香りがして、口の中ですぐ溶けて無くなるんだよ。
実はオレ、白い菓子を食べた後から、ずっと治らなかった肘の痛みが軽くなっているんだ」
「向かいの家の婆さんは、女神さまの菓子を食べさせたら偏頭痛がおさまったそうだ」
「女神さまの菓子を食うと力がみなぎってきて、難儀な作業も疲れないんだ」
女神の慈悲は人々に力を分け与えてくれるという噂から、最初菓子を得ようと奪い合っていた人々は、自然と自分よりも菓子を必要とする者へ分け与えるようになった。
「そうですか、王都の人々も餌付けに成功とは、さすがハルくんです。
病が治るという噂は、ミゾノゾミ女神への信仰心とプラシーボの相乗効果で、人々の自己治癒力が高まり症状が改善したのでしょう」
「ハルさまが作る砂糖菓子ですから、見えざる祝福の力も働いているかもしれませんね。白いお菓子を食べると、とても幸せな気分になりますもの」
王都の出来事を報告するクノイチに、王の影は満足気にうなずく。
その日YUYUたちは、下見をかねて深い森で行われる竜胆のモンスター狩りについてきた。
YUYUに付き従う水浅葱と護衛を任された数人のクノイチは動きやすい女戦士の鎧を着ているが、YUYU本人は色鮮やかな大きなガウンに総レースのドレス姿だ。
「うへぇ、前を行く竜胆さんたちの姿が見えなくなっちまった。
なんで俺が女ばかりの、巨人王さまの愛玩人形のお相手をしなくちゃならないんだ!!」
馬代わりのウツギは、肘掛け椅子に座ったままのYUYUを背負い深い森を進む。
獰猛な巨大モンスターの住む深い森だが、そのモンスターすらYUYUから放たれる膨大な気に恐れて近づかない。
獣が現れないと狩りは出来ないので、竜胆はウツギにYUYUの相手を押しつけて森の奥に行ってしまったのだ。
思わず愚痴るウツギに、YUYUは涼しい顔で返事をした。
「ハイエルフの体力は人間の子供以下ですから、森の中を歩くなんて重労働できません。
お前はハルくんから料理を教わっているそうですね。どの程度の腕前か、私が料理を吟味してあげましょう」
深い森の中を半刻ほど行くと目的地である少し開けた場所に出る。
クノイチ娘たちは大きな敷物を敷き色鮮やかなテントを張り、三人掛けの大きなソファーとテーブルをセッティングして、まるでのどかな庭園でピクニックをするようだ。
「さぁYUYUさま、こちらの岩影に白露柘榴イチゴが実っています。
ああ、お怪我をしないように手袋をはめて下さい」
手前に生えた雑草をクノイチたちが素早く払い、水浅葱はYUYUの手を取りながら日傘を差しかける。
「さすがは深い森に実る柘榴イチゴです。
香しい甘い香りにルビーのように透き通った真っ赤なイチゴは見たことがありません。
ワタシから深い森の珍しい果物をハルくんへプレゼントするのです。
フフフッ、ハルくんの喜ぶ顔が目に浮かびます」
半分呆れながらYUYUたちのイチゴ狩りを眺めていたウツギは、大切なことを思い出した。
そうだ、自分は金魚のように丸々と太った可愛らしい娘(トド姫)に、深い森の果物を持ってゆくと約束した。
竜胆の大物モンスター狩りに参加したら、もしかして無事に帰ってこれないかもしれない。
せめてその前に、娘に果物を届けて自分の気持ちだけでも知らせたい。
「あっ、ウツギ何をするのですか。
その大きなイチゴは私が狙っていたのですよ!!」
「俺の姫さまを運ぶ仕事は終わりました。この森で果物採取は早い者勝ちっす」
「むむっ、ウツギのくせに生意気です。その枝に実っている宝石のようなブドウを、ああ、手が届かない!!」
それからウツギとYUYUの果物争奪戦が起り、深い森に通い慣れているウツギがYUYUの目の前で次々と熟れた果物を収穫してゆく。
一足遅れて追いつくYUYUは、小さな果物しか採ることができずにいた。
森の奥での狩りを終えて引き上げてきた竜胆は、その話を聞くと腹を抱えて笑いだす。
「ウハハハッ、面白れぇ。YUYU相手に一歩も引かないなんて、ウツギお前も根性付いてきたな」
「YUYUさまは巨人王の愛玩人形じゃないですか。小さくて力もないし、どこも怖い事ないっすよ」
森ので果物採取で体力を使ったYUYUは、疲れて水浅葱の腕の中で眠っている。
巨大モンスターの徘徊する深い森の中でのんきな会話がなされている時、ウツギとYUYUが果物を届ける相手に悪しき影が迫っていた。
***
「鉄紺王、燻製にした若紫豚は香草を好んで食べるので、肉はとても柔らかくて脂の香りが爽やかです。
穀物粉を薄く焼いたナンに、野菜を一緒に挟んだサンドイッチにして食べてください」
「ふむ、若紫豚は森で大規模演習を行う時に、極まれに捕らえるのがやっとの貴重な獲物だ。
それを兵士の携帯食にするとは、ふははっ、女神さまは太っ腹だな」
後宮門の物見櫓の上に腰掛ける白髪の巨人族近衛兵に、紺のメイド服を着た黒髪女官が食事を届けていた。
王の影YUYUがロクジョウギルドに居座っているので、後宮で留守番する形になった鉄紺王にハルが差し入れを持ってきたのだ。
大きく風が舞い上がり、緑の黒髪がなびき慌ててスカートの裾を抑える。その仕草に鉄紺王は大笑いして、ハルは気まずい表情で言葉を返す。
「前のバトルで服を脱がされそうになって、正体がバレそうで大変だったんですよ!!
後宮でのお菓子づくりが終わったら、僕はしばらく女装なんてしません」
「それは残念だ、ハルさまはアレによく似ている。
あの娘は最後までマトモに話すことはなかったが、それでもよく似ている」
鉄紺王はどこか懐かしげな表情でハルに笑いかけた。
それはボロ別荘の屋根裏部屋に飾られた黒髪少女の肖像画、彼女は竜胆の母親ではないかとハルは王にたずねようとして思い留まる。
上空を仰ぎ見ると、鷲の頭部に翼と獅子の躯を持つ魔獣グリフォンが、ゆっくりと物見やぐらの上を旋回しはじめた
食事を終えた鉄紺王は、立ち上がると首から下げた呼び笛を吹いて合図する。
グリフォンの頭上にオレンジの丸い帽子が見えたが、モゾモゾと動いてそれが太った娘が乗っているのだとわかった。
「まさか、あのグリフォンを操っているのトド姫なんて驚きだよ。
トド姫は偽ペガサスも見抜いて、グリフォンに懐かれているんでしょ。
そういえば、後宮で一番最初に僕にちょっかいを出してきたのもトド姫だった」
「ああ、真眼の持ち主だから騎獣が心を許している。
あの娘は誤魔化しを見抜くから、女官に化けたハルさまに違和感を持ったのだろう。
このグリフォンは先代王から受け継ぎ、もう高齢で遠征に連れて行くのも難しい。
王宮警備ぐらいしかできないから、あの娘にくれてやってもいいだろう」
「僕はトド姫に見つかったら、また何かイチャモン付けられるかも。
鉄紺王さま、そろそろ帰ります」
ハルは鉄紺王に挨拶をすると、トド姫と鉢合わせにならないように大急ぎで物見やぐらのハシゴを降りる。
黒髪女官が小走りで後宮の表通りから裏路地に入ってゆく姿を、上空のグリフォンからトド姫は見ていた。
ハルは近道をしようと宝石で彩られた館の建ち並ぶ後宮表通りから、主に下働きの者たちが利用する裏通りに入った。
着飾った側室の姫であふれかえっていた後宮も、今は半分の姫が他の王族に嫁ぎ、女官も徐々に数が減って淋しい雰囲気が漂う。
ほとんどすれ違うものもいない狭い裏道を進み、食堂手前の角に来たところで、白い花の髪飾りをした女官が道の真ん中で空を見上げている。
「あれ、君は確かトド、えっとアヤメ姫のお付きの女官だよね。
今日も厨房の手伝いにきたの?」
ハルが声をかけると、女官は驚いて振り返る。その顔は白を通り越して顔面蒼白だった。
「ひぃっ……ああ、ハルさまでしたか。
実は私、今日はアヤメ姫さまの御用事の付き添いでソテツ王子の館を訪問しなくてはならないのですが、アヤメ姫さまはどこにもいらっしゃらなくて。
でもソテツ王子の館に行かなければならないなんて、恐ろしいです。
連れ込まれた姫や女官はヒドい目に遭わされるという話を聞きました」
白い花の髪飾りの女官は、泣きそうな表情でキョロキョロと周囲を見回している。
そういえばソテツ王子は若返りのために、姫や女官にあんな事やこんな事をするって噂だよね。
ウツギさんはトド姫が好きで、トド姫もウツギさんが好きなんだ。
でもこの様子だと、トド姫も彼女も確実にソテツ王子に怪しい事をされちゃうよ。
「トド姫は今グリフォンを操る練習をして、空を飛んでいるよ。
しばらく下に降りてこないかもしれない」
ハルはちょうど真上を通り過ぎたグリフォンを指差す。
鷲の頭部に翼と獅子の躯を持つ魔獣グリフォンが低空で飛び、その姿を見て娘は震え上がる。
「ええっ、あのグリフォンにアヤメ姫さまが乗っているのですか?
そんなぁ、他の先輩女官も皆逃げ出したのに、私ひとりでソテツ王子の館に行くなんてイヤ。
でも女官長は厳しい人で、私がこのまま帰ってきたら鞭でぶたれてしまう」
トド姫の事は、あとで鉄紺王様に相談してみよう。
でも彼女は、館に帰ったら女官長に鞭でぶたれるっていうし、どうしよう。
「ハルさま、どうか助けてください。
ソテツ王子に弄ばれるのも、女官長に折檻されるのも嫌です。
私は何も悪いことなんてしていないのにっ」
「そうだ、僕がその女官長に説明してあげる。
トド姫は王さまのグリフォンに乗る練習をしているし、君は厨房の手伝いをして女神さまが喜んでいるって言えば、許してくれるんじゃないかな」
こうしてハルは、白い花の髪飾りの女官に案内されてアヤメ姫の館に向かった。
***
物見やぐらが大きく揺れ、空中散歩を終えたグリフォンが舞い降りてくる。
グリフォンの頭にしがみつくように乗っているのは、派手な赤いドレスにオレンジ色の巻き毛、ピンポンパール金魚のように太った娘だ。
彼女は怪訝な表情で、グリフォンの上からやぐらのひさしに腰掛ける白髪の騎士に声をかけた。
「七葉、今ここに女神の黒髪女官が来ていましたね。
あの娘、一体何をしにきたのです?」
「姫さま、腹へっていないか?あの娘は俺に食事を届けに来たのさ。
後宮食堂で黒髪女官の作る料理は大人気だろ」
白髪の騎士は話を逸らすかのように、彼女に大きなベーコンの挟まれたサンドイッチを差し出したが、大食漢で有名なトド姫は料理を目の前にしても怪訝な表情のままだ。
「上から見ていたら、そこの細い裏路地で私の下女が黒髪女官を待ち伏せして、どこかに連れて行ったの。
おかしいわね、あの下女は最近様子が変で、女官長に外に出さないように命じていたのに」
「なんだと、黒髪女官が連れて行かれた?
しかし女官同士待ち合わせたところで、何をそんなに不審がるんだ」
「あの娘は最近ペガサスに乗った神の御使、紫苑王子に入れ込んでいるの。
その紫苑王子は女神に恋しているという噂だから、狂ったみたいに嫉妬しているわ。
女神に仕える黒髪女官を良く思う訳ないでしょ」
ミゾノゾミ女神は様々な姿を持ち、赤い弓を持つ黒髪巫女や砂漠に住む巫女や猫人娘、そして銀の天女だと言われていた。
そして紫苑王子は同族エルフのティダにこだわっているが、紫苑王子の熱狂的信者の娘たちは、ティダと女神を同一視し恋敵と思い込む。
話を聞いた白髪の騎士は険しい表情になりグリフォンに駆け寄る。前足をよじ登りトド姫のいる頭まで上がると、グリフォンの手綱を握りしめた。
「娘、お前が真眼持ちなら黒髪女官が只人ではないと判るだろ。
グリフォンを後宮の中で飛び回らせてもかまわない。黒髪女官を探し出すんだ!!」
神科学種の魔法陣、三年目に突入です。
まだまだハルたちの冒険は続きます。
これからも応援をよろしくお願いします!!
※深い森編→ロクジョウギルド編に変更しました。