クエスト108 対ペガサス空中戦
深い森の奥の更に最奥に、小山の連なる花畑があった。
その小山をよく見ると、大きな耳に長い鼻の伸びたゾウの姿を形どっている。
巨木が生い茂る深い森の中を低木と色とりどりの花々が埋め尽くすのは、全身に植物を生やした巨大象モンスターの群。
その中で一カ所だけ、象一頭分の空間がポカリと開いて地面の色が見える。
白鎧騎士が操る幻術によって、深い森の最奥からおびき出された象モンスターは、人間たちに身に纏っていた草花を踏み荒らされ、小山のような体に数十本の武器を突き刺したまま、ゆっくりと集団の後ろを付いて歩く。
その人間の集団の歩みが止まる。
谷川に架かる橋が落ちて向こう側に渡れなくなったのだ。
取り残された自警団員は、口々に不満の声を上げた。
「ちくしょう、川向こうに行くには森の手前の浅瀬を渡るしかないのか」
「先に川を渡った連中がロクジョウギルドのお宝を手に入れているぞ。俺たちの取り分が無くなっちまう」
昼前に人間の王都を出立して長い時間歩き通し、すでに日は傾きかけて、夜になれば深い森から巨大モンスターが荒れ野に迷い出てくる。
この場所に留まれば、モンスターに襲われる危険があった。
「この荒れ野で一番安全な場所は、ロクジョウギルドの館だ。
深い森の手前の浅瀬を渡って、川向こうに行こう」
「何言ってんだ、どんなモンスターが潜んでいるか判らない川の中に入るっていうのか!」
「そういえば、ペガサスの騎士が連れてきた象モンスターがいたな。
アレの背中に乗って、深い森の川の浅瀬を渡ればいいんじゃないか」
四角い丸刈り頭の男がなにげに思いついたことを口にしたが、周囲にいる他の自警団は眉をしかめた。
盗賊団や自警団が腕試しに象モンスターを散々攻撃したが、結局倒す事はできなかった。
しかしその姿は、片目が潰れ鼻のあった部分がえぐれて、両方の大きな耳は破けたボロ布のようになっている。
背中は剣や槍が突き立てられ、形の崩れた不気味なモンスターに乗って川を渡るというのだ。
ここまで自分たちを先導してきた白鎧の騎士は、残され自警団を無視したままだ。
諦めて都に引き返すか、モンスターに乗って川を渡るかで意見が分かれた。
そうして残された自警団が揉めているあいだも、白鎧の騎士が操るペガサスは羽音をたてず敵の間近に迫る。
上空からハーフ巨人戦士の隊列に急降下して、集団の中心にいる赤毛のハーフ巨人に狙いを定め、騎士は槍を構える。
しかし赤毛の後ろにいる背の高い男がペガサスの存在に気付き、手に持つナニカを投げつけてきた。
急降下中のペガサスに方向転換はできない。
ウツギの放ったのは深い森に住む赤蛍光トカゲの卵で、純白のペガサスの顔面と腹に当たると潰れて黄色の蛍光色に染めた。
「ひぃぃ〜〜竜胆さん、ちゃんとペガサスに目印をぶつけたよ」
「ウツギよくやった!!全員煙幕を焚け、上空のペガサスから身を隠すんだ」
竜胆は自ら囮になって、空から攻撃してくる白鎧の騎士を引きつけていたのだ。
ハーフ巨人戦士は、一斉に煙玉に火をつけ周囲に投げる。
深い森でのモンスター狩りで、凶暴な鳥タイプの魔獣から身を隠す時に煙幕を使う。
周りは赤い煙幕に覆われ、魔獣の嫌う匂いが漂い、ペガサスはそれを嫌がって上空を旋回したまま下に降りようとしない。
「チクショウ、こんな煙の中に飛び込んだら、待ち伏せている奴らにやられちまう」
上空から攻撃ができるというのに、白鎧の騎士が持つ武器は細かい装飾の施された高価なレイピアや高級宝石の埋め込まれた矛と、見映え重視で戦闘には不向きなモノばかり。
神の代理人を称して天空からペガサスと共に現れる白鎧の騎士に、人間たちは恐れおのき言われるがまま従い抵抗などしない。
従ってペガサスに騎乗する白鎧の騎士は、武力よりも顔立ちの整っている者が用いられ、所有武器もこけ脅しの派手なモノだった。
その時、東の空から嘶きが聞こえ、一頭のペガサスがこちらに向かって飛んでくるのが見えた。
「アイツ、さらわれた娘を父親から貰い受けたと言ってロクジョウギルドに向かったが……乗っているのは女が一人?」
ロクジョウギルドから戻って来たペガサスの背には、銀に輝く長い髪が風にあおられ、白い陶器のように透き通った肌の美しい女が横座りで腰掛けている。
鼻筋の通った美しい顔に、睫に縁取られた切れ長の眼に紅い色が宿る。
女は伏せていた顔を上げ白鎧の騎士たちを見つめると、形の良い薄い唇の端がつり上がり禍々しい笑みを浮かべ、細い腕は赤黒い血糊が張り付いた鈍器を握る。
「あれはハーフ巨人にさらわれた娘じゃない!!銀の髪のエルフだ」
「おおっ、紫苑王子がご執着なさっている銀の天女か。それならお迎えに行かなくては」
「バカ、よせっ!!銀の天女は、相手を緊縛折檻するドSの女王様だぞ」
そう叫んだ騎士の目の前で、ティダは近づいたペガサスに乗り移ると、美しい姿に見惚れて無抵抗の騎士に鈍器を振り下ろす。
一撃で倒された騎士はペガサスの胴体に括り付けられ、手綱を操る者のいないペガサスは深い森の上へと飛び去ってゆく。
しかし白鎧の騎士は、仲間を助けることはせず、ティダの乗るペガサスを三方向から取り囲んだ。
「お初にお目にかかります、神科学種のティダさま。
なぜ純血のエルフ族であり女神の使徒である貴女さまが、汚らわしいハーフ巨人の味方をするのですか?
我が主、第十七位王子 紺の紫苑殿下の元へいらしてください」
「それにいくらロクジョウギルドのハーフ巨人連中に力があろうとも、空を飛ぶ我々には攻撃できない。
ティダさまもペガサスの扱いには不慣れの様子。我々三人とマトモに戦っては勝てませんよ」
ペガサスは煙幕を嫌がり高い場所を飛んでいる。
竜胆たちが下から矢を射って攻撃しても、ココまで届くハズないのだ。
銀の天女は押し黙ったまま、冷めた目で取り囲む騎士を見つめている。
「我々白鎧の騎士団は紫苑王子に授けられたエルフ族の秘術により、ペガサスの大部隊でハクロ王都を空から支配する。
地べたを這いつくばる巨人兵士など、我々の敵ではありません」
この美しいエルフを無抵抗で捕えようと、自分たちの力を誇示して諦めさせるつもりだった。
しかしティダの瞳は、再び獰猛な狂戦士色に染まっていた。
「べらべらと、貴重な情報を漏らしてくれてありがとう。
さぁ、お遊びはココまでだ。ハルちゃん、ペガサスを射て!!」
***
四半刻前
ティダはバルコニーで待機する調教済みのペガサスに近づきながら、ハルに声をかけた。
「空からペガサスで攻撃されたら、いくら竜胆でも危ない。お姉さまが直接ペガサスを攻撃するから、ハルちゃんは弓で援護射撃してね」
「僕も最近レベルが上がったから、女神の弓を四本まで射れるよ」
そう答えるハルに、ティダは少し考え込むと手招きをして呼び寄せ、そっと耳打ちする。
「ハルちゃん、女神の弓を使う時は巫女女装しないとダメだよ。
その姿で女神の弓を使うと、正体がバレる危険がある」
砂漠竜やカフスタロスドラゴンとのバトルで、女神が弓を用いて魔獣と戦った事は人々の間に知れ渡っている。
その紅い和弓をハルが扱っては、隠している女神の正体が皆にバレてしまう。
銀の天女がペガサスに乗って飛び立ち、召使い少年も部屋を出て行き、中には親子とギルマスのキキョウが残された。
破壊されたバルコニーから遙か遠くの空を飛ぶペガサスと、竜胆の焚いた赤い煙幕のけむりが立ち登るのが見えた。
祈るように両手を握りしめる娘は、ふと人の気配を感じ開け放たれたドアの方を振り返る。
そこには見知らぬ少女がいた。
いや、その姿はこの終焉世界では知らぬ者のいない、長い黒髪に白衣緋袴、とても長い朱い弓を持った少女、ミゾノゾミ女神が立っていた。
「あ、アナタはミゾノゾミ女神様!!女神さまが私たちを助けるために降臨なさったのですね」
そう叫ぶ娘の隣で、緋袴の少女を見た父親は全身の血の気が引いた。
ハクロ王都に女神様が降臨したという噂は何度も聞き、そのお姿が見えなくても女神の歌は毎日王都に響きわたっている。
女神は正しき人々の元に現れ、そして時には悪しき者に制裁を加えるのだ。
「あわわ、女神様が本当にハクロ王都にいらしていたのですね。
いえ、決して信じていなかった訳ではありません。
こ、このような騒ぎを起こしてしまって申し訳ございません!!」
うーん、予想通りとはいえ、娘さんは感激で泣き出すし、お父さんは罰が受けるのかと脅えて謝り倒している。
それにキキョウさんは僕の正体をうすうす感づいているみたいで、視線が生温いよ。
ハルは心の声を隠し、女神として振る舞おうとキキョウに声をかけた。
「わ、わたしは、いつも正しきものの味方です。
聖獣のすがたに似せてつくられた、いつわりのペガサスを狩りにきました」
その時、念話でティダから合図があった。
腹に黄色の目印のあるペガサスをしとめる。
しかしロクジョウギルドから、遙か彼方の上空を飛ぶペガサスまではかなりの距離がある。
ハルは半壊したバルコニーに立ち、朱塗りの弓を持ち矢をつがえようとしたが、的がボヤケてしか確認できずに弓を降ろしてしまった。
「凄く遠い、女神の弓でも、この距離は無理かもしれない」
「大丈夫か小僧、いや、ミゾノゾミさま。
ワシも少しは弓が扱える、ちょっとそれを貸してくれ」
ハルは声をかけたキキョウに何気なく弓を手渡すが、受け取ったキキョウは驚きの声を上げた。
「な、なんだこの弓は。まるで金棒を持っているかのような重さだ!!
この弦も……ううっ、硬い針金じゃないか。これは神科学種しか扱えない特殊武器だ」
細い和弓は、キキョウが両手で抱えても足がフラツくほどの重さだが、それを巫女は片手で軽々と受け取る。
やはりこの弓は、自分しか扱えないのか。
ハルは覚悟を決めて、再び空彼方を飛ぶペガサスに狙いを定め、女神の弓を掴み構え直すと弦を引き絞る。
その時、建物の中を甘い香りのふくんだ爽やかな風が吹きぬけた。
風音がまるで転がる鈴音のような神曲を奏で、出現した祝福の力が、廊下を駆け抜け階段を上り、ミゾノゾミ女神の憑代に宿る。
ハルを中心に風は巡り、キラキラと七色の神の燐火が渦巻いて、弾け輝きだす。
「そうか、屋根裏の子供部屋に溜まっていた祝福の力が、この弓に呼応して集まっているんだ。
これなら矢を射れる」
番えた矢の先に、さっきまで霞んで見えなかった的が、まるで一メートル目の前にあるような鮮明な画像として映し出される。
桔梗は息を押し殺し、目の前で緋袴の神子を見つめる。
「こ、これが、あの地味な小僧なのか。
重い女神の弓を軽々と構え、流れるような優美な引き成りは巨人王付の上位弓士に勝るとも劣らない。
そうか、降臨した女神は、常に竜胆王子と共にいるのか」
女神の憑代は、宙の一点を見つめ、迷うことなく矢を放った。
紅い光が宙を横切ったかのようにも、紅い星が空を渡ったかのようにも見えた。
遠くマッチ箱のように小さく見えるロクジョウギルドから放たれた矢は、冷たい風を切る音を立てて一直線に狙った的へ飛んでくる。
そしてウツギの投げた卵で蛍光色に染まったペガサスの腹に、紅い矢は深々と突き刺さる。
空の一点を凝視していたハルは、額に浮かぶ汗を小袖でぬぐい、安堵のため息を吐いた。
「ちゃんと当たったはずだ。残りのペガサスはティダさんが何とかしてくれるよね」
「まさか、アナタがそれほどの弓の使い手だとは思いませんでした。
その見事な弓捌きは素人が真似してできるものではありません」
巨人王付の近衛兵だったキキョウは、一目でその力を見抜くことができる。そして無意識のうちに、ハルに対して改まった言葉で話しかけていた。
「弓だけは、三年間部活動でみっちり仕込まれたんですよ。
でもブランクがあるから、少し腕が鈍っているみたい」
「部活動とは、神科学種の軍隊ですか?
それほどの弓の腕を持つなら、竜胆王子の行く手を阻む者も簡単に排除できる」
普段は温厚なキキョウの声が、硬く強いモノになる。
ハルは一瞬驚いた表情になるが、小首を傾げると呟いた。
「それでは、手柄を得る代わりに、女神の加護を失います。
どちらに真の価値があるか、キキョウさんなら分かりますよね」
まさか巨人族の王位争いなど、女神の加護と比べれば小さいものだと目の前の子供が告げる。
キキョウは女神の憑代に背を向けると、そっと苦笑いをした。
***
祝福の力を帯びた女神の矢で射られたペガサスは、相反する闇の呪力を解かれ、羽ばたきを止めるとパーツがバラバラに分かれた。
白馬の背中の肉が裂け、巨大翼をもつ八足の異形の白蜘蛛が蠢きながら現れる。
ペガサスに乗っていた白鎧の騎士は宙に投げ出され、悲鳴を上げながら地上へ向かって墜ちてゆく。
その体に一緒に落ちてきた銀の鎖が絡みつき、全身がんじがらめにされて、ティダの乗るペガサスに吊された。
「貴様らは、騎士より珍獣使いの方が向いているぞ。
ニセモノのペガサスで、よくも天界の使者と名乗れるな。
残りの自警団を連れて、さっさと王都に帰れ」
どうやら偽物ペガサスはキメラではなく、白馬に魔物を寄生させただけのようだ。
しかしそれは魔物の数さえ揃えば、いくらでもペガサスを量産できる。
「竜胆王子も次期巨人王といわれる青磁王子も、我々のペガサス軍勢を相手にしては手も足も出ないでしょう
それに我々が連れてきたのはペガサスだけではありません。
紫苑王子様の操る魔獣は常に生け贄を必要とし、ここには贄が大勢います」
「なんだと、まさか連れてきた自警団を生け贄に……キサマ等、いったい何をたくらんでいる!!」
その時、荒れ野に身の毛もよだつ奇妙なナニカの吠声と、大勢の人間の断末魔が響きわたった。
お久しぶりの巫女女装です。
今回のバトルで、フフッフフフ、あの野望を成し遂げたいと思います!!