クエスト99 三時のおやつを食べよう
ハクロ後宮の姫達は浮き足立っていた。
次期巨人王候補に選ばれた五人の王子、その間に割って入ってきた第三位王子 宰相 蘇鉄。
王都に帰還した翌日には、老いた巨人王が後宮を訪れないのを好い事に、自分こそがハーレムの主であるかのごとく振る舞い始める。
しかし、宰相ソテツがいくら王の如く振る舞っても、エルフ族の秘薬で無理矢理若さを保つ、盛りの過ぎた男に興味を示す女はいない。
それよりも、仮面で顔を覆っていても脂の乗った男っぷりの青磁王子や、光り輝く金髪に薔薇のような美貌の紫苑王子に、姫や女官は心を奪われていた。
だがソテツは最近後宮入りしたばかりの年若い姫に興味を示し、彼女と三人の女官を自らの館に誘い込んだ。連れ込まれた者はそれから一切姿を見せない。
後宮務めの女官の半数は、第四位側室 王の影YUYUの諜報活動の手足となるクノイチだった。
残りの半数はそれぞれの姫に仕え、中には女官同士の激しい抗争や、目障りな王の影を蹴落とし後宮の実権の握ろうと野望を燃やし、例え姫自身にその気が無くともコノ機会に力を得るために画策する者もいる。
「菖蒲姫さま、どうやら次の巨人王は第三位王子の宰相ソテツさまらしいですわ。
第十二位王子の青磁さまや末席の竜胆王子様と比べ、ソテツさまの権力は現在の巨人王様と同等です」
「女官長、それがどうしたの?
宰相は私のお父様より年上、もうすぐ五十になるじゃない。
それに宰相に囲われた姫が姿を見せないのは、散々もてあそばれて表に出られない酷い姿になっているって噂よ」
アヤメ姫付きの年輩の女官長は、彼女が綺麗に平らげた砂糖菓子の皿を片づけながら、それとなく話を切り出した。
彼女の仕えるムチムチぷよぷよのフクヨカな体型をしたトド姫は、これまでどの王子の目にも留まらなかった。
しかし彼女が、未だに清らかな乙女なのだと知った宰相ソテツが興味を示してきたのだ。
何という幸運が降って湧いてきたのだろう、女官長は思った。
宰相ソテツには嗜虐趣味があると言うが、そのぐらい耐えるのが姫の務めではないか。
「一度宰相ソテツさまとお会いしてはいかがでしょう。
アヤメ姫を是非にと、いずれ次期巨人王となるソテツさまの后に相応しいとまでおっしゃっています。
これはアノ女『王の影』を後宮から、いいえ、ハクロ王都から追い出すチャンスです」
女官長は熱心にトド姫に話を進める。
しかし以前まで王の影にライバル心を燃やしていた彼女だが、最近はめっきり大人しくなっている。
「私、年寄りは趣味じゃないの。
もっと男らしい、背の高い素敵な王子様でなくちゃイヤ。
その話はもう終わりよ、私はこれから後宮門の食堂の方へ出かけます。
あの白いお菓子を焼く、女神さま付きの黒髪女官が戻ってきているんですって」
どうやらトド姫の興味の対象は、後宮門の食堂で作られる風変わりなお菓子と、後宮前広場のマーケットに並ぶ食べ物の屋台に移ったらしい。
巨体を左右に揺すりながら驚くほど足早に部屋を出ていくトド姫の後ろ姿を眺めながら、女官長はため息をついた。
もはや姫の意見など聞く必要はない、この話は女官長である自分が判断して話を先に進めよう。
そうでなければ、今までこの我が儘娘に付き合ってきた自分たちの苦労が報われない。
***
「しばらく砂糖を節約するから、代わりに深い森で採取した甘い果物でお菓子を作ります。といっても、僕が作れるのは簡単なモノだけど。
毛長羊ヤギミルクと紅孔雀卵に煮詰めた果物を混ぜた、甘夏苺味、四角葡萄味、巨大頭バチの蜂蜜味の三種類カスタードクリーム。
小さなシュー生地の中に詰めた、なんちゃってヒロタのシュークリームです」
ハルを引き留めるためにお菓子が食べたいと言ったYUYUと水浅葱は、その日ついに新作お菓子の味見をすることになった。
萌黄と護衛のクノイチ娘はすっかりハルの料理アシスタント、そして三時のおやつは女官食堂の名物イベントになっていた。
「ではハルさま、いただきます。
はふっ、あら、この膨らんだ薄皮パンは表面はパリパリと香ばしくて、食べると中はもちもち。クリームは濃厚ミルク味に甘い蜂蜜、綺麗な薄黄金色で優しい味ですね」
「私の方は甘酸っぱくて爽やかな、モグモグ、あっ、クリームが、ペロリ。
これはどこか懐かしい苺ミルク味。深い森の果物は甘味が濃厚で、充分砂糖代わりになります」
「シュー生地がしっかり膨れるように焼くのに、とても苦労したんですよ。
深い森のレアモンスター、ミミックが潜む宝箱に炎の結晶を詰め込んでオーブンにして、温度調整と気密度を保ち試行錯誤十五回、やっと今日シュークリームが完成しました」
嬉しそうにお菓子づくりの苦労話をするハル。
しかし、それを聞いたYUYUと水浅葱の手が止まった。
「ハルくん、宝箱の中身のミミックはちゃんと退治したのですか?」
「中にいたミミックは軟体動物で、調理法を間違えて塩をまぶしたらナメクジみたいに溶けちゃって。
あっ、宝箱はちゃんときれいに洗ってから使いましたよ」
「やっぱりハルさまは、ミミックまで料理するつもりだったのですね……」
食堂の窓には「三時のおやつ争奪戦」を控え待機する女官達が、王の影YUYUの試食光景を羨ましそうに覗きこんでいた。
食堂の扉前にも、新作お菓子から漂う甘く香ばしい香りにつられた女官たちが押し合いへし合いして、そこへ巨大な肉塊が割り込んできた。
トド姫は女官を押し潰し掻き分けながら食堂の扉までたどりつくと、憎っくきライバルのYUYUに姿を見られないように扉の影に隠れた。
「あの女神さま付きの黒髪女官は、どこから美味しい食材を入手しているのかしら?
材料さえ手に入れば、私のグルメを極めた味覚で腕の良いお抱え料理人達に、まったく同じ料理を再現させてみせます」
やがてなんちゃってヒロタのシュークリームを食べ終えたYUYUが席を立ち、入れ替わりに女官達が大挙して食堂に詰めかけ、まるで女子校の購買争奪戦のような光景が繰り広げられた。
そのけたたましい騒ぎを余所に、黒髪女官は食堂を出てゆく。
後宮門の警備兵と少し談笑した後、外のマーケットへ向かった。
トド姫が後宮門の上部へと続く木の階段を登ると、身体の重みで階段は軋みながら悲鳴をあげる。かなり高さのある門の上の踊場から、黒髪女官の行方を追う。
女官は簡単な許可を貰えば外のマーケットまで出られるが、側室の姫は後宮の外へ出られない。
トド姫は毎日後宮門の上から、マーケットの賑やかな様子と主に屋台の飲食店チェックを行い、気になる料理は女官にお使いをさせて手に入れた。
マーケットのほぼ中央、ロバの引く青い荷馬車と小さなテントの露天の前に黒髪女官がいた。
娘はどうやら果物を扱う店に出入りしているらしい。
「ふふっ、さっそくあの店の商品をすべて買い占めましょう。
同じ果物を使えば、女神さまのお菓子も簡単に再現できるはず。
それにしても、例え女官とはいえ他の男と軽々しく口を聞くなんて、まったくはしたない娘ね」
マーケットを見物するために用意していたオペラグラスで、黒髪女官の様子を監視していたトド姫は、市場の人々に次々に声をかけられ楽しそうに笑う黒髪女官に苛立ちを覚えた。
娘は何かを待っている様子で、しばらくすると露天に横づけされていた青い荷馬車の扉が開き、中から果物を抱えて男が現れた。
「なるほど、あの荷馬車に果物を保存しているのね。
それにしても、荷馬車から出てきた男は随分と背の高い、なんて長くて細いスラリとしたな手足をしているの。
厳つい巨人男じゃない、まるで白樺の若木のように素敵!!
そうよ、私の夢にまで見た理想の王子様。あの方は誰?」
トド姫は物見ヤグラから身を乗り出し、オペラグラスを握りしめて赤い荷馬車を覗いていると、現れた背の高い男が何かを訴えながら黒髪女官に縋り付く場面を目撃する。
「えっ、イヤァァーー!!あの黒髪女官、私の理想の王子様とどういう関係なの」
トド姫は興奮して踊場の縁を掴み激しく揺さぶり、怒りで力任せに足を踏みならすと、頑丈な石造りの後宮門がグラグラと揺れた。
下で警備をしている兵士が悲鳴をあげ、トド姫に止めるように必死で声をかけたが、憤怒状態の彼女の耳には届かなかった。
「ウツギさん、次はいつ深い森の狩りに行くの?
お菓子作りに果物をもっと使いたいから、沢山採ってきてもらいたいんだ」
シュークリームの評判が良さそうなので、材料の果物の追加を頼みに来たハルに、ウツギは困ったような表情で答えた。
「次の深い森での狩りはさらに奥地まで遠征して、大物のレアモンスターを狙うんだって。
森の中は凶暴なモンスターばかりで、オレもう怖くて怖くて逃げ出したいよぉ!!」
相変わらす臆病なウツギは、カマキリのようなギョロ眼に涙を溜ながら、黒髪女官姿のハルに泣きついてきた。
その様子を見ていたフルーツロール屋店主の白根は、呆れ顔でウツギを叱りつける。
「なんでお前は器用で力もあるのに、度が過ぎるほどの臆病なんだ?
オレがもっと若くて力が合れば、竜胆に頭を下げて頼んででも狩りに参加したいぐらいだ。
深い森の中には、珍しい果物が溢れるほど実っている、それを好きなだけ採取できるんだぞ。
ウツギ、お前はハーフ巨人とはいえ、少しは巨人の血が流れているのに、いつまでも皆に頼って守るモノを持たないから、意気地がないんだ」
「竜胆さんはウツギさんの料理の腕を見込んで、深い森の狩りに連れて行くんだよ。
食材も命がけで苦労して手に入れたモノだから、ウツギさんが美味しく料理して皆に食べさせてあげなくちゃ。
それとも以前のように、手押し車で荷物運びをする仕事がいいの?」
シロネと叱咤とハルの諭す言葉に、ウツギは半泣きの顔を上げた。
二人から教わる料理にやりがいを感じ始め、今更荷物運びの仕事に戻るなんて出来ない。
目の前にいるハルやシロネよりも、ハーフ巨人の自分の方がはるかに力はあるのに、どうしてこんなに臆病なんだろう。
俺は大切なモノを持たないから、勇気がないのか?
さらに意気消沈して考え込むウツギを見て、ハルが慌てて声をかける。
「ウツギさんは意気地なしじゃないよ。
ほら、ロウクの用心棒に僕が絡まれた時、果物をぶつけて助けてくれた、イザとなれば勇気を出せるんだ。
もう少し頑張って、自分に自信を持とうよ」
ウツギを励ます女官姿のハルの肩越しには後宮門が見えた。
いつも門の上の踊場には、愛らしいバラ色の頬の美しい姫がマーケットの様子を楽しそうに眺めている。
今俺の大切なモノは、毎日ひと目で良いから、彼女の元気な姿を見ること。
もし自分に勇気があれば、彼女に声をかけて名前を聞くことが出来るだろうか。
「俺、もう少し頑張ってみる。
そのかわりに、ハ、ハルさんに頼みたいことがあるんだ?
実は俺、後宮の中に居る女官で、とても気になる人がいる」
「ウツギさん、気になる想い人が誰なのか、クノイチさんならすぐに調べてくれるよ。
ウツギさんの好きな女の人って、どんなタイプなの?」
ハルの声掛けと同時に、売り子娘に扮していたクノイチ娘が姿を現し、ウツギを取り囲んで興味津々で話を聞く。
「えっと、彼女はとても綺麗なオレンジの巻き毛の人だよ。
大きな茶色の瞳に大きな桜色の唇、それに赤ちゃんみたいな桜色のホッペをしている」
「へぇ、オレンジ色の髪の他に何か特徴はあるの?身長は僕より低いかな」
「ああ、背の高さはハルさんと同じぐらいで、横ハバはハルさんの三倍あるよ。
いつも綺麗なドレスを着て、まるで風船みたいに可愛いんだ」
えっ、僕の横ハバ三倍の女の人で風船みたいに可愛いって……かなり太っている?
それに派手なドレスを着るのは女官じゃない、側室の姫のひとりだ。
オレンジ色の髪で太った姫と言えば、彼女しかいない。
「も、もしかして、ウツギさんの好きな女の人って……トド姫、第九位側室の菖蒲姫!?」
あまりに意外な展開に、ハルとクノイチ娘たちは互いに顔を見合わせた。
「そうか、あの方はアヤメ姫というのか。彼女にお似合いの綺麗な名前だ」
それは、身分違いの恋の始まり。
***
第四位側室 王の影の館に、宰相ソテツの元から密かに助け出された姫と二人の女官がいた。
ひとりの女官は助けが間に合わず、すでに骸となりそのまま置いてゆかれた。
「何という愚かな事を。
エルフの秘薬での若返りでは満足できず、王族の『血と肉』『魂』の契約を行うとは。
王族の契約は、決して外部には漏らしてはならない、軽々しく扱ってはならない。
それを宰相ソテツは自らの寿命を延ばすためなら、誰とも構わず契約を行おうとしています」
「助け出された姫さまは命拾いしましたね。
『血と肉の契約』を手っ取り早く済ますには、清らかな乙女と行為でなければ儀式は成立しませんから」
『血と肉の契約』には二種類の方法、文字通り互いの血と肉を用いる方法と、清らかな乙女との行為による方法がある。
そして『魂の契約』とは、契約者の命を死の淵より蘇らせる儀式が必要だ。
つまり一度命を奪い、再び蘇生させなくてはならない。骸となっていた女官は、その儀式を行い失敗したのだ。
部屋の隅のソファーで抱き合って震えながら泣きじゃくる二人の女官の前に水浅葱は歩み出た。
慈悲深い微笑みで二人の手を取ると、瞳の奥をのぞき込む。
「とても怖い、思い出すのも恐ろしい出来事でしたね。
忘れてしまいましょう、貴女方には荷の重い記憶です。
何も見えない、何も聞こえない、何も覚えていない」
水浅葱の持つ読心術は女官が体験した恐怖の記憶を書き換え、先に助け出した姫の記憶もいじった。
人形のように意志を失くした二人の女官は、影で控えていたクノイチが部屋の外へ連れてゆく。
巨人王選定が行われるひと月の間、真実を知る彼女たちを隠さなくてはならない。
「犠牲になった女官のおかげで、普通の人間の血では『王族の契約』は成立しないと判りました。
手っ取り早く『王族の契約』を行うには、相手が清らかな乙女であり、貴い血統の持ち主でなくてはならないのです」
そもそも後宮に清らかな乙女なんて居るわけないではないか。
女神聖堂の修道院にでも探しに行った方が早い話だ。
「それがYUYUさま、実はアヤメ姫はこれまでどの王子の目にも留まらず、未だに清らかな乙女らしいのです。
宰相ソテツは次にトド、いえ第九位側室 菖蒲姫を手に入れようとしているとか。
それと、これは報告するのも恐ろしい話なのですが……。
一月前後宮に入った【女神さま付きの黒髪女官】も狙われているという噂で、ああっYUYUさま、落ちついてくださいっ!!」
「みずあさぎ、いま、なんといいましたか?
めがみさまつきのくろかみにょかんは、ひとりしかいませんよ」
ついにこの話にもロマンスが!!えっ、違うって?