クエスト95 巨人王帰還
複雑で細かい描線がレースのハンカチに例えられるハクロ王都の巨大全方位転送魔法陣。
神科学種のティダが半月以上かけて修復した魔法陣は、しかし完璧な術式でも全く起動しなかった。
失敗の原因は魔法陣の描かれた石畳の凹凸と歪み。
偶然その場に居合わせたハルが石畳につまずいた事で魔法陣の歪みが正され、またハルの内に宿す祝福の力が魔法陣を起動させ、遙か彼方の北の地にいる一人の巨人兵士を転送させる事に成功した。
「第六班、縦三横五、南西方向に歪み。
次、第七班、縦四横七の石畳は中央が浮いてぐらついている。
方位磁石を使い、すべての石畳の左下の辺が正確に北を向くように調整しろ」
気力を取り戻したティダは、履いていたヒールの高い靴を脱ぎ捨て素足で巨大魔法陣の上を歩き、石畳の凹凸を確認しながら魔法陣修復の職人たちに鋭い声で指示を飛ばす。
すでにティダにより調教済みの職人たちは、てきぱきと指示通りに魔法陣を型どる百四十四の石畳を補修していた。
「うーん、この様子じゃ、他の連中が全員王都に飛ぶにはまだまだ時間がかかるだろうな。
俺だけ一足先に王宮に帰るわけにも行かないし、それにしても……」
魔法陣の中から追い出された巨人兵士とハルは、最初の待ち合わせ場所だった広場入り口の噴水前のベンチに腰掛けて弁当を広げていた。
「えっと兵隊さん、お腹空いていませんか?
お昼ごはんまだ食べてないなら、僕らと一緒にお弁当を食べましょう」
「萌黄とハルお兄ちゃん二人じゃ、お弁当こんなに沢山食べられない。
白い髪の兵隊さん、ハルお兄ちゃんの作ったお弁当はとても美味しいんだよ」
見た目は三十代後半だが、完全な若白髪で口ひげを生やした巨人兵士は、さっきから腹の虫を大合唱させながらハルの持つ五段重ね重箱弁当をチラチラ見ていたのだ。
しかし例え一人だけ先に転送されたとはいえ、兵士は皆が揃うまで勝手に持ち場を離れられないのだろう。
「おおっ、ありがたい。なんて親切な少年だ。
今日は日が昇る前から転送準備にかり出されていて、ろくに飯も食ってないのだ。
遠慮なくいただこう。これは珍しい異国料理ではないか」
巨大魔法陣の中で、失敗を取り返すべく鬼気迫る様子で修復作業の指揮をするティダを余所に、ハルと萌黄と巨人兵士の三人はのんびりランチタイムを始めた。
ハルがこの終焉世界で出会った巨人戦士は、オアシスで竜胆と共に自警団をしていた巨人従者やコクウ港町の海上警備兵。
中でもコクウ港町エリアの領主、第十二位王子 青磁は飛びぬけて偉丈夫だった。
そして今、ハルの目の前で五段重ね重箱弁当を眺めている巨人兵士は青磁王子に勝るとも劣らない巨漢だ。
曇り一つ無く磨かれた紺の鎧と金色に輝く背中の紋章、腰に下げた二本の剣の鞘には細かい金の装飾が施され、柄には大きな紺色の宝石がはめ込まれている。
ハルに対して気さくな態度で接しているが、巨人王近衛兵の中でも上の位だろう。
差し出された重箱弁当を受け取った巨人戦士は、黒漆に葡萄柄の螺鈿模様が描かれた重箱の蓋を開ける。
閉じこめられていた食材の香りがふんわりと漂い、中に美しく盛りつけられた料理を見て、腹を空かせた巨人は思わず声を上げた。
「ウワッ、まさかこの独特の香りは髑髏松茸、それに色鮮やかに茹であがった真っ赤な巨大陸カニ。甲羅で蓋をして松茸を詰めているのか。
はむっ、おおっこのカニ肉は柔らかいな、簡単に箸でほぐれるぞ。濃厚なカニ味噌に松茸の香りが染み込んで、松茸のコリコリした食感は病みつきになる味だ」
ハルが驚いて目を見張る。弁当の食材は深い森の珍味と言われる松茸や巨大陸カニ、それを巨人兵士は簡単に言い当てたのだ。
「下の段の弁当は、随分と赤みの強く脂の乗った肉のあぶり焼きだな。
ハハハッこれもまた、箸で摘んだだけで肉汁があふれる、これほど肉が引き締まった霜降りといえば珍獣鉄兜牛の肉じゃないか。荒塩と胡椒だけで味付けているが、素材が新鮮な肉は半生が一番旨い」
重箱に詰められたあぶり肉を一つ一つ噛みしめ味わいながら食べる巨人兵士に、ハルは満面の笑みで身を乗り出して顔をのぞき込んだ。
「兵隊さんは料理の材料も味も全部判るんですね、ああっ嬉しいっ!!
竜胆さんなんか、あっ、竜胆さんって僕の仲間なんだけど、年寄りイノシシ肉も激レア鉄兜牛も焼けば同じだってろくに味わいもせずガバガバ食べるんですよ」
「そんなヤツには屁こき大イタチの硬肉でも食わせてやればいい。
三段目の弁当は、うわっ、森の金剛石と言われる黄金鶯の卵じゃないか。
少年、この重箱の中身は、巨人王の食事でもめったにお目にかかれない高級食材ばかりだ。
いったいこれは誰の弁当なんだ?」
遙か北の大地に遠征していた巨人兵士には、ここ一月で王都に起こった出来事を知らない。
深い森で竜胆たちが珍しいモンスターを狩るので、多少金額は張るが高級食材も市場に出回るようになっている。
「それは、ほらあそこで巨大魔法陣を修復している銀髪のエルフと、ウサギ面を被っているSENさんのお弁当です。
僕らの居るロクジョウギルドは、深い森でレアモンスター狩りをしているから、珍しい食材も採取できるんです」
「ほう、ロクジョウギルドなら知ってるぞ。元近衛兵でグリフォンの騎手だった桔梗がギルド長だろ。深い森で狩りをするとは、随分と面白いことを始めたな」
「へぇ、やっぱり桔梗さんって凄い人なんですね」
白髪の巨人兵士は忙しく箸を進めながらも、食事の礼にと遙か北の大地での出来事をハルたちに話して聞かせ、特に砂漠暮らしだった萌黄は白銀世界の話に瞳を輝かせて聞き入った。
すっかりくつろいでいるハルに、魔法陣の中にいるティダが念話で頼みごとがあると合図をしてきた。
「ティダさん、何か用事あるのかな。
僕ちょっと行かなくちゃ。兵隊さん、お弁当全部食べて下さいね」
「おう少年、ありがとう。
弁当箱は後で洗って返すぞ」
そして立ち上がると魔法陣の中へ駆けてゆくハルと、萌黄もその後をついて行った。
ハルによって王都に帰還した巨人兵士は穏やかだった表情を厳しいモノに変えて、二人の子供の後ろ姿を見つめていた。
***
「やっとゴールが見えてきた、あと半刻で魔法陣修復が完了する。
巨人王の居る遙か北の大地を含む、終焉世界の全エリアすべてと直結するためには、マス目の中の小さな百四十四個の魔法陣を一斉に起動させる必要がある」
「ハルちゃん、魔法陣を起動するために必要なのは『祝福』の力。
ハルちゃんが広場で光の柱を出現させた女神降臨。それを再び起こしてもらいたいんだ」
祝福とは、この終焉世界で魔法や奇跡を起こす力の源。
だがそれは巫女乙女や聖人と呼ばれる人々にしか扱えず、戦いに明け暮れるSENやティダは祝福の力が殆ど失われていた。
「待てティダ、ココでハルを引きずり出すな。
ハルの力を頼らないと起動しない巨大魔法陣なんて、全くの不完全じゃないか。
人間や巨人が、自分たちの力で魔法陣を起動出来なければ意味が無いだろう」
SENは女神の憑代であるハルの正体をカモフラージュするために、これまで様々な情報操作(主に萌え女神)を行ってきた。
しかし巨大魔法陣を起動させるためにハルを使うなら、人々の前にその姿を晒さなければならない。
「なら他に方法はあるっていうのか、SEN?
もう巨人王帰還の時間が迫っているぞ」
ティダもハルの安全を第一に考えるSENの言い分は良く判る。
しかし交通機関が殆ど失われた終焉世界で、転送魔法陣が正確に起動するようになれば、人々の日々の暮らしにその恩恵をもたらすのだ。
「巨人王と共に王都帰還予定の兵士や従者は千人近くいる。
ティダ、これだけの人数を全員転送させるために、百四十四の魔法陣を一つずつハルに起動させるのかっ!!
どんな無理ゲーだよ」
ハルをはさんで左右でにらみ合うSENとティダに、どっちにも付けずに困り果てたハル。
思わず天を仰いだハルの目に、広場前の巨人王王宮とその後ろにある後宮のクリスタル塔が飛び込んできた。
クリスタル塔の中から巨大魔法陣はとても綺麗に見えるんだろうね。
この広場までスズランさんの声は届くかな?
魔法陣が起動できなくて王様が帰れなかったら、またスズランさんに歌って誤魔化してもらわないと……えっ、歌、歌って。
「ちょ、ちょっと待ってSENさん、ティダさん。
巨大魔法陣を起動させるには、祝福の力が必要なんだよね。
あのね、後宮門前でスズランさんが女神の歌をうたっているんだけど、その時集まった人に配る千羽鶴はスズランさんの歌に反応して祝福の力が増えるんだ。
祝福を帯びた千羽鶴を、巨大魔法陣の上にばらまいてみたらどうかな?」
***
今度こそ巨人王が御帰還される。
広場を取り囲む群衆は朝よりも増え、広場周囲や大通りは足の踏み場もないほど人々が埋め尽くしていた。
そして修復された魔法陣の中央に舞台が設けられ、それを取り囲む美しい黒髪の娘たちと、中央には明るい橙色のドレスを身にまとう美しく豊満な体格をした灰色の髪の歌姫 鈴蘭がいた。
クリスタル塔から広場で行われる魔法陣修復作業を、クリスタル塔から高みの見物をしていたスズランに急な呼び出しがかかった。
巨大魔法陣の上で巨人王帰還を祝う儀式が開かれることになり、巨人王を迎える女神の歌を捧げるようにと告げられたのだ。
突然の大舞台に、スズランの体の震えは止まず、血の気は引き喉がカラカラに渇いている。
クリスタル塔の上から眺めていた時とは違う。群衆との距離はとても近く、あれが女神の歌姫なのかと好奇の視線が自分に注がれているのが判り。
しかも、皆に敬われながらも畏れられる終焉世界の覇者、暴力王と呼ばれる巨人王の前で歌を披露しなくてはならないのだ。
どうしよう、怖い、でも歌わなくては……
大丈夫、いつも通り、わたしは歌わなくては、歌わなくては!!!
澄んだ美しい女の声が広場に響きわたる。だがその声は、普段の迫力ある力強さが乏しいように感じられた。
女神の歌声に合わせて、黒髪の娘たちが放った紙細工の鳥が七色の祝福の光を放ちながら魔法陣の上を漂う。
広場に展開されたレース模様の巨大全方向転送魔法陣が、仄かに輝き始める。
「まずいな、歌姫は動揺して声が乱れて張りがない。
祝福の力が弱い」
広場入り口で人混みに紛れながらスズランの様子を見ていたSENは、彼女の第一声の弱々しさに嫌な予感がした。
ハルの持つ祝福は一瞬にして広場に光の柱を出現させたが、それを再現するには膨大な量の祝福の力が必要だ。
今のスズランの歌は、聞く者の心を動かし揺さぶる力強さが足りない。
ミゾノゾミ女神の奇蹟を出現させるには、強烈な願いと信じる力を必要とするのだ。
なかなか起動する気配を見せない全方位転送魔法陣に、群衆の中からも戸惑いと不満げな声が挙がってきた。
「あの女は誰だ」
「いつもと歌声が違う」
「本当に女神様の歌姫なの」
非難めいた声が人々の中から漏れ聞こえ、スズランはプレッシャーに耐えきれず歌が切れ切れになる。
次の歌は、なんだった、思い出せない、歌えないっ。
「SENさん、スズランさんの様子がおかしい!!
歌うのを止めてしまった」
「いきなりコノ大舞台でビビるなっうのが無理な相談だな。
こうなったら、助太刀してやるか」
SENは何を思ったのか、アイテムバッグからヴァイオリンを取り出すと目の前の噴水に登り始める。
警備兵がウサギ面の怪しい男の行動を止めようと駆け寄るが、それを蹴り飛ばすと噴水てっぺんに曲芸のように直立しヴァイオリンを構えた。
弦を押さえ弓を一振りする。
鳥の鳴き声のような高音のヴァイオリンの音色が、モーツアルトのアリアを奏で始めた。
ざわめきが一瞬静まりかえり、噴水の上に立つウサギ男を見て、子供たちが歓声を上げながら噴水の周囲に集まってきた。
中身はミイラ変態紳士だが、マーケット広場で客寄せにヴァイオリンを引くウサギ男は子供たちの人気者だ。
ハルもSENのヴァイオリンの音色に合わせ、優しげな明るい声で歌う。
隣にいた萌黄もつられて周囲にいた子供たちも一緒に、中には多少音が外れているが気にせず笑いながら、ヴァイオリンの音色に合わせて歌い出した。
舞台の上でうつむいたまま震えるスズランが顔を上げる。
「ああ、ハルの声がする、どこにいるの?
人が多くて探せない。
そうよ、私はハルに助けてもらった恩返しをしなくちゃ、歌を歌うのよ!!」
ハルと子供たちの声に呼応するかのように、ふわふわと宙を漂っていた紙細工は、まるで意志を持つ鳥の群のように魔法陣の上を旋回しはじめた。
メロディーを奏でるヴァイオリンが唸りさらに激しく演奏を続ける。
「声を聞かせろ、歌姫スズラン。夜の女王よ」
毎日、クリスタル塔の上から響きわたるミゾノゾミ女神の歌声。人々は祈りの言葉の代わりに、その歌を口ずさむようになっていた。
幼い子供の声に少女たちの瑞々しい声が重なり、艶のある女性の声や野太い低い声まで混じり合う。
そして大観衆の声すら覆い尽くすような、聖なる鳥の求愛の歌声とも天空の幻の楽器とも例えられる、情感あふれ生き生きとした透き通った美しい女神の声を持つ女の歌が広場に響きわたる。
次の瞬間。
地面に並べられた百四十四個の魔法陣から光の柱が立ち登り、宙を舞う鳥の紙細工が光の柱に吸い込まれてゆく。
光の柱は螺旋に絡み合いながら一本の太い柱となり、雲を貫いて天を目指し遥か北の方向へ伸びてゆく。
それと入れ替わりに、何かが魔法陣の上に出現しようとしていた。
「来るぞ、魔法陣が起動した」
圧縮された空気と光が巨大全方位魔法陣の上で弾け、次の瞬間人々はその光景に息をのんだ。
磨き上げられた鋭い刃先の剣を天にかざし、紺色に光り輝く鎧を着た兵士が整然と一列に並び、紺色の王旗が魔法陣を埋め尽くす。
遙か北の大地より、巨人王の巡行団が帰還したのだ。
「これは 第一近衛兵団の先発隊だ。
次こそ終焉世界を支配する覇者、巨人王とその側近たちの御車が来る」
広場の警備兵に帰還した巨人兵士が加わり、王を迎えるために魔法陣の周囲を厳重に守り固める。
再び魔法陣の起動が始まり光の柱が立ち上ると、今度は巨大な山のような膨大な質量が転送されようとしていた。
突如獣の吼声と重々しい地響きが起こり、何かがジャラジャラと金属音を立てて大量に落ちる音がする。
現れたソレは紺色の巨大な鷲の翼と上半身、獰猛な獅子の下半身をもつ三匹のグリフォンが縦並びに繋がれ御車を引いていた。
そして巨人族の富の証である五色の玉と黄金に彩られた御車は、もはや乗り物ではなく巨大な車輪の付いた三重の塔にような御殿だ。
「なんだ、この七福神の宝船状態は……。まるでスケールが違う」
財宝もそうだが、魔獣の中でも最高位に位置するグリフォンを三頭も馬代わりに使役するとは。
さすがのSENも、驚きを通り越してあきれた様な声を絞り出し呟くだけだった。
御車の上部、塔の部分には無造作に金銀財宝が山積みされ、御車が動くと宝物が雨の様にこぼれ落ちてくる。
そして紺に金の紋章が刻まれた観音開きの扉が開くと、中から五色の玉で縁取られた冠が見え、ゆっくりとその姿を現す。
終焉世界の覇王、巨人王 鉄紺。
燃える様な赤い髪の浅黒い肌の巨漢の王。
しかしその顔には深く皺が刻まれ、この遥か北の大地への遠征が王の最後の巡行だと誰もが予感していた。
人々は無事帰還した王の姿に深々と頭を垂れるが、すぐに皆顔を上げ王を仰ぎ見る。
巨人王の視線に怖じける臆病者は、王の配下ではないのだ。
「おい、あれを見ろ。王様のお人形さまが来たぞ」
ハクロ王宮の正面バルコニーから、白い綿毛のようなモノが舞い降りてくる。
それは純白のレースのドレスを身に纏った、背中に純白の小さな四枚羽のハイエルフ。
人々にロリコン王と仇名を与えた元凶の、純真無垢で愛らしい天使の様な愛玩人形だった。
王の影YUYUは、巨人王の右肩にフワリと留まると、その耳元で何かを囁いている。
「へぇ、YUYUさん、あの小さな羽でも飛べるんだ」
「ハイエルフの小さな翼はほとんど飾りだから、あれは飛んでいるのではなく滑空しているんだ。
純白のフレアドレスはパラシュートだな。
この騒ぎはまるで、ねずミーランドのパレードとオリンピック開会式を足して二で割ったような派手さだ。
王都どころか、他のエリアからも人々が巨人王帰還を見に集まって来る理由が判ったぜ」
「そういえば、あの白髪の兵隊さんも仲間のトコロに戻ったのかな。
みんな鎧兜をしているから、何処にいるのか見分けがつかないね」
そして巨人王の御車と近衛兵団の隊列は、金銀財宝を振りまきながら王都中を練り歩き、こぼれ落ちたお宝を拾おうと人々は群がり後を付いて歩く。
日没までに全方位転送魔法陣は八回起動し、一千名以上に増えていた巨人王巡行団は全員ハクロ王都へ帰還した。