第3話
「ここは……」
車は、にぎやかな繁華街の一角で止まった。
渋谷……? それとも別の場所?
……ごめん、もう十年以上も地球を離れてたから、目に映るものすべてがどこかよそよそしく見える。
それに、ひとつだけははっきりしてる。
ここは――私が知ってる地球じゃない。
「……キマイラ?」
空の上を、大きな鳥に乗った騎士が飛び去っていく。
広場の中央では、転移陣の光が絶えず瞬き、鎧を着て剣や槍を背負った人たちが、ひっきりなしに出入りしていた。
……っていうか。
知り合いがいたんだけど!?
「やっほー! 勇者! 地球にも来てたんだね!」
勇者はTシャツ姿の地球人っぽい男と一緒にいて、楽しそうに笑いながら話していた。
――のに。
私を見た瞬間、顔が一瞬で青ざめて、その男の腕を引っつかんで全力ダッシュで逃げた。
「……ちょっと、なんで逃げるの。私、別に魔王とかじゃ……あれ、いや、魔王だったっけ……?」
自分ではそんなつもり、まったくないのに。
周りから見たら、私は魔王らしい。
しかも――一番やばいやつ。
「あれは……“雷霆の剣”様? あなた、あの人を知ってるの?」
紗月が少しだけ意外そうに目を細める。
どうやら、勇者の隣にいた人、かなりすごい人らしい。
「いや、そっちは知らないけど……隣の人は知ってるよ! あれ、元勇者だよ! あの有名な勇者オリヴァー! 人類の希望って呼ばれてて、第一魔王を倒せるかもしれないって言われてた人!」
「第一魔王? それはお前のことだろう」
「うっ……まあ、そうなんだけど……」
「だが、その男はお前を見て即座に逃げた。戦意の欠片もない。どうやら、名ばかりの存在だったようだな」
「…………」
……いやまあ。
あの人、自分で「私に魅了されたから人類を裏切った」とか言ってたけど。
実際は、タコ姫と駆け落ちしただけなんだよね。
……あれ、私が面と向かってバラしたら、さすがに恥ずかしすぎるでしょ。
「わあ……懐かしいものいっぱい……! あの屋台の貝、潮鳴島の特産だし、あの赤い果物、私いつも食べてたやつだし……あっ! あれ、凛冬国のトマトカリカリボール!? 食べたい! 食べたい!!」
……うん。
異世界の食べ物、全部がまずいわけじゃない。
ただ――
私が食べてたものが、ひどかっただけ。
だって人間の街なんて怖くて入れないし、ずっと山とか森に引きこもってたし。
食べ物なんて、拾ったものが基本。
果物か――
理由もわからず死んでる魔物の死体か。
たまに、妙に元気そうな魔物しかいないときは、知らない植物に手を出すしかなくて……
食べて、気づいたら倒れてる、みたいな。
……うぅ。
紗月に召喚されて、本当によかった……!
人間の世界、最高……!
「すみませーん! トマトカリカリボール一つください! あ、あの、凛冬国の銅貨って使えますか?」
お金は一応、持ってる。
……ほとんど、死んだ冒険者のポケットから拾ったやつだけど。
国ごとの通貨もいろいろあるし。
――まあ、使う機会なんて一度もなかったんだけど。
「何をしている」
不意に、紗月が私の手を掴んだ。
ひんやりした手のひらが重なって、私の手の中の銅貨をぐっと引き抜く。
「円でいい。そんなものを使う必要はない」
「え? そんなもの……?」
私はぱちぱちと瞬きをした。
だって銅貨って、一番安いやつだよね?
凛冬国でも、こういうの一つ買うのに三枚くらいは普通に使うのに。
「お嬢さん、地球に来たばかりだね? ここじゃ地球のお金で十分なんだよ。異世界の通貨はね、もっと別の用途があるんだ」
屋台のおじさんが、にこにこしながら教えてくれる。
「でも、このトマトカリカリボールって、凛冬国の材料で作ってるんですよね?」
「それはダンジョンから手に入る素材さ。味はいいけど能力は付かないから、安く出回ってるんだよ」
ダンジョン……?
……気になる。
地球、どうなってるの?
なんでこんなに異世界のものが混ざってるの?
……私まで召喚されてるし。
そんな私の様子を見て、紗月が口を開いた。
「三年前、この世界に“ダンジョン”と呼ばれる領域が出現した。お前たちの世界の魔法や道具、そして魔物を伴ってな」
三年前……?
それって――
私が死んだ年じゃん。
……え、待って。
私、どれだけ面白いこと見逃してるの!?
「お待たせしました。トマトカリカリボールです」
「ありがとうございます!」
受け取った瞬間、我慢できずに口へ。
あむっ。
さくっ――
……え、なにこれ。
甘酸っぱいのに、じゅわって中から汁が出てくる……!
しかも外はサクサク!
おいしい! おいしい!!
異世界で十年以上過ごして、やっと地球で食べる異世界グルメ……!
♪
しあわせ……。
目を閉じて味わっていたら、ふと視線に気づいた。
紗月が、じっと私を見ていた。
少し眉間にしわを寄せて。
……あ。
「ごめん、はい」
慌てて容器を差し出す。
……あれ、なんか余計にしわ深くなった?
「ほんとにおいしいよ」
一個つまんで、真剣な顔で差し出してみる。
「……お前は……」
紗月は半歩下がった。
どこか疲れたような声で。
「本当に、あの第一魔王なのか?」
「違うよ!」
そこは全力で否定する。
だってほんとに違うし!
家にこもってただけで、人間の街なんて怖くて行ったこともないのに!
なのに噂だけどんどん変な方向に膨らんでいくし!
「私は魔王なんかじゃないよ。勝手にそう呼ばれてるだけ」
「だが、“第一魔王”と呼ばれているのは事実だろう」
「うっ……まあ、それは……そうだけど……。あむ――」
さくっ。
……おいしい……。
紗月が、わずかに息をついた。
「……私の選択が無駄でなかったことを願う。第一魔王。お前の望みは可能な限り叶える。その代わり――力を貸せ。魅惑の力を」
「魅惑? やだ」
「なぜだ」
「人の気持ちを歪めて、感情を踏みにじるなんて……そんなの、絶対にやらない!」
「……」
紗月は黙って、スマートフォンを取り出した。
画面には、“最強の災厄――第一魔王エイヴェリア”についての情報が並んでいる。
終わりの見えないほどの罪状。
それから、もう一度私を見る。
……そして、何も言わずに沈黙した。




