013 正義の真意
東名スカイウェイ(旧東名高速道路) ーーーー
四車線の車道は、車両が一定の間隔を保って難なく走行している。
人口減少に伴い、高速道路沿いや各インターチェンジ周辺では無人となった宅地が増え続けていた。
改修に先立ち、政府はそれらの宅地買収を表明した。
買収や行政への帰属が完了した後、三十年をかけて上・中・下段それぞれ四車線の三層構造の立体高速道路に改修された。
結果、渋滞はほぼ解消され、名称も『東名スカイウェイ』と改められた。
ちょっとした距離でも上中段は高速道路扱いで通行料が取られてしまうが、それでも利用者は多い。
信号のない道が快適なのは、いつの時代も変わらないらしい。
「今日は買い出しの手伝いに付いて来て頂いて助かりました。」
「いえ、色々目ぼしいものを見つけられたので。」
「それは良かった。」
二人は決行日に備えて、と言うよりもスヴァンバルの備蓄品の補充でちょっとした買い出しに出ていた。
大きなバンの後部座席には、買い込んだ物資が大量に積まれている。
大量に扱う物は直接パレット買いするらしいが、今回は一品ごとの数は少ないものの、種類は豊富だ。
立ち寄ったのはプロ御用達のホームセンターと食品店だ。
園芸用品をはじめ、容器や工具などもそこで揃えられた。
主にそれらを買ったのは椎名だ。
本日の夜食用にバーベキューの食材が揃っている。
「雄哉さん、ちょっとお聞きしたい事が。」
「何でしょう?」
「何度も確認してる気はするんですが、スヴァンバルって結局目的って何ですか?」
「目的ですか?昨日の会議や映像で見て頂いた通り、ユグドラシルを植える事で戦争を発生させない事です。」
「それはあくまで表向きの話ですよね。スヴァンバルってただの慈善事業なんですか?自然が急に発生したところで戦争が止まるとは思いにくいんですが。」
時速90kmで高速道路を走る中、映像で見せられた内容だけでは納得できないと、椎名が寿雄哉に疑問を改めてぶつけた。
寿雄哉は困ったような笑みで黙する。
「それに、戦争を止めるのは政治の問題ですよね。一般人が関われる事じゃ無いと思うんです。大それたキャッチフレーズを見せるってことは何か別の目的、ついでに出来る何かだと思うんですよ。」
「ハハ。キャッチフレーズよりも表向きの売り文句として見ているんですね。ご実家は商売をされているんでしょうか、普通そこまで考える方は居ないんですけどね。」
「…まぁ専門知識とかはないですけど。結局行動してるのは人間だからあり得る事っていうのは、いくらでも考えられるじゃないですか。」
椎名は確信があるかのように問い続けた。
目的は戦争を止めるだけではないと一点張りだ。
表向きとは別の意図があるのではないかと。
「椎名さんは、本当に。危機管理や、状況予測、恐れ入るくらいしっかりしてます。恐れ入るほど、本当に。」
その場の勢いで口にしたわけではないのだろう。
寿雄哉は、椎名の思案を感慨深く受け取ったようだ。
別の見方をすれば、寿雄哉は集中力が散漫にならないように、細かい話は避けているだけとも言えるが。
椎名の推察には、寿雄哉も無下にはできないだけの鋭さがあった。
「…成績悪いんで、全然そんな事ないです。」
「成績ですか。そうですよね、椎名さんは学生です。本来はそれに専念すべき年齢です。」
ハンドルは握ったまま。
車道の奥を眺める形で、言葉を探すように語りかけた。
寿雄哉の回答を、椎名は素直に受け取れなかったのか、浅い溜め息と共に言葉が漏れる。
学業の成績は今でも人材価値としてみなされることはある。
自分への価値を第三者目線で見た上での発言なのだろう。
寿雄哉は横目にチラリと椎名の顔を窺うと、車を横道に逸らした。
比較的狭い道だが、車の通りは殆どない。
運転しながら応える話ではないと判断したのだろう。
ハザードランプを付け、車がかろうじて一台通過できる位置で歩道際の白線に寄り、サイドブレーキを引いて停車した。
いまだにアナログ式のサイドブレーキが残っているのは、緊急時の機械的な停止手段として一定の需要があるためらしい。
「けど、それを忘れてしまいそうになるくらい、あなたの言葉には力があるんです。」
手をハンドルから離して、シートに背を預ける。
一呼吸置いて椎名の方を見た。
「大事なのは言葉だけじゃないんです。あなたが見せる、その若い年齢にそぐわない行動力や振る舞いが、言葉に重みを与えてるんです。」
「言葉じゃなきゃ伝わらない事もあるじゃ無いですか。」
「はは、それは返しの常套句ですね。私が椎名さんと同じ返しを使うことがあったら『具体的には?』と聞かれるでしょう。そうしたら私には多分答えられません。だから、逆にもし言葉に迷ったり、信じて貰えなかったり、自分が絶対に正しいと思う時があったら、椎名さんなら行動に示せばきっと良い結果が出ると思います。」
「僕に人を動かす魅力はないです。」
「はは、そんな事ないですよ。少し飲み物でも飲みましょうか。」
会話だけでは手持ち無沙汰になるのを気遣ったのだろう。
シートベルトを外して寿雄哉は後部座席に積んだ飲み物を取りに外へ出てバックドアを開ける。
お茶とスポーツドリンク、ミリアに頼まれた大量のお菓子のひとつ、スティックチョコを取り出して運転席へと戻った。
「現実的に考えるとですね、実際のところ学校の成績なんて大したものじゃないんです。」
「でも成績がないと就活出来ないって言うじゃないですか。」
「一般的に成績が必要な理由は、よく知りもしない相手のことを判断する材料ですから。大事なのは、そうですね。こうやって内容を理解して普通に会話して下さっていることだと思いますよ。」
「… …」
誰しも通る道であろう学校生活。
寿雄哉は自身の学生時代の経験則から、椎名を一人前の人間として評価しているようだ。
しかし椎名は、自分の意図とは違う答えに引っ掛かりを覚えている様子だ。
頬に手を当てる様に口を手のひらで覆い、押し黙る椎名の不満を抱えた目つきは鋭い。
寿雄哉の意図したことか定かではないが、企業秘密を探ろうとしているのだから、はぐらかされるのも当然と言えようか。
彼の学校という言葉をキーワードに、話は脱線している。
「すみません、話が脱線してしまいましたね。」
「…いえ、為になる話だと思います。」
「ははは…椎名さんの疑問については正直なところ私もね、分からないんですよ。」
「はい?」
椎名の眉間に皺が寄る。
嘘か誠かはともかく、『知らない』という言葉が少し癇に障ったようだ。
寿雄哉は車に搭載されたシーツーを起動した。
施設周辺の映像がフロントガラスに映し出された。
支部拠点の外部監視カメラだ。
一つの画面には、テーブルに座ってティータイムしているミリアの姿が映っている。
リアルタイムの映像だ。
他は通路二点、道外れに五箇所と川沿いに一点と、意外と映し出された映像が多い。
まだ他にもあるようで、スライドショーのように映像がいくつか切り替わり流れている。
「戦争を止めた成果、と言うより戦争を止めた先に何の結果が生じる事が望まれているのか。椎名さんはそれが知りたいのですよね。」
「…そうですね。僕は行動した結果なんてただの自己満足に過ぎないと思うので、その後がどうなるのかが大事なんじゃないですか。」
「情に溺れて大局を見誤る。今の私たちは、ある意味同じ立ち位置なのかもしれません。椎名さんが今仰ったことは、本来なら我々の方が先に気付いて、向き合わなければならない問題なんでしょうね。」
寿雄哉はミリアの映る画面に指を差し、画面を動かしてみろと椎名に手振りした。
椎名は怪訝そうに、意図を探るように寿雄哉と画面を確認しながら、ミリアが映る画面を指で二往復スライドした。
画面に見えるミリアが何かに気付いて、こちらに顔を向けて笑いながら小さく手を振っている。
駆動音が聞こえたか、またはレンズの移動が見えたのだろう。
寿雄哉が椎名に『彼女の反応、面白いでしょ?』と言いたげに指をさして笑みを浮かべた。
どうやら、常習犯らしい。
椎名も苦笑いしている。
椎名は雄哉の方へ傾けていた身体をシートへ戻し、息を吐きながら再び口を開いた。
「…仮に、本当に雄哉さんが知らないとして、雄哉さんは知りたく無いんですか?そう言うの。自分がやってる事とか、ついていく人物の事とか、何が大事で、何が正しくて、これから何をするべきなのか、何が必要なのか。それってはっきりとすれば、先を見る事だってできるじゃ無いですか。」
「ハハ…。」
大概、そこまで言われれば聞き手は癇に障るものだろう。
寿雄哉は「その通りです」と言葉一つで首を縦に小刻みに振った。
嫌な顔ひとつせずに笑みを浮かべて、清々しさすらある。
二人の間の空気なんぞ知る由もなく、画面越しのミリアがカメラに乗り出してゴソゴソと音を立てて何かをしていた。
気付いた二人はミリアの不可思議な行動に注視した。
顎の輪郭が大きくぼんやりと見えながらカメラが揺れ動いている。
何か直したのだろうか。
そっと離れて画面越しに左を見ろとミリアが指差している。
寿雄哉が視点を左へスライドすると建物の壁面が映り、画面が少し暗くなった。
どうやら壁際に設置されているらしい。
画面の片隅に何かが視界に入りこんできた。
燕の巣でもあるのだろうか。
陰りのある紫色の面に、三角形状の黒い点。
ピントが自動で合わさると人面が画面一杯に映り込んだ。
「「うお!!」」
驚いた拍子に、カメラの視点をサッとミリアに戻す。
寿雄哉と椎名は驚きの表情で互いに見合わせてしまう。
驚いて勢いよく視点を戻したことで、二人の反応はミリアにも伝わったのだろう。
ミリア側のカメラの俊敏な駆動にミリアは和やかに笑みを浮かべて手を叩いて喜んでいた。
その様子に寿雄哉は呆れ顔だ。
寿雄哉は車載のシーツーでミリアに「驚かせないで下さい」と送った。
画面越しのミリアが後ろ姿で右手を空中で手振りしている。
ミリアがメッセージ内容を確認したのか、飛び跳ねながらその場で旋回して笑いながらカメラに向かうと、両指でピストルを模って「やってやったぜ」と言いたげな仕草を見せて手を振っていた。
椎名は「あはは」と小さく笑う。
「うーん」と唸る寿雄哉。
今度は自身のシーツーで操作していた。
度々メッセージに反応したミリアの動きは止まった。
いちいち背を向けるのは、壁があるから閲覧するのに邪魔なのだろう。
シーワンは壁面に沿って表示角度を自動調整するが、見づらければ立ち位置を変えるしかない。
ミリアは「そこまでか」と言わんばかりに後悔を顔いっぱいに浮かべていた。
カメラに向き直り、謝罪を込めているのか手を合わせて物言いたげだ。
「何を言ったんですか?」
「ちょっとお仕置きに、今日のデザートは抜きと。」
「あー、はは…。」
お仕置きにしてはと言いたげな椎名だが、健やかな子供を見る目で画面を見ていた寿雄哉の笑みを椎名が飲み物を飲みながらジッと見ていた。
「私が……自分の人生のどん底だと感じていた時期に、スヴァンバルに拾われたんですよ。」
「え?」
「その時、私は高校の半ばですかね。」
会話の節目を思い出すように話が戻った。
シーツーに触れて前のめりになっていた上体を、深い呼吸と共にシートに預け直す。
「…もしかしたら、スヴァンバルの真実を知ったとき。椎名さんの仰る、世間的な正しさを基準にするのであれば、この仕事を続ける事は間違いかもしれません。正しさばかりで判断をしたなら、きっと恩を仇で返す事になってしまう。私には避けたい事です。」
「それが人を殺めたり、被害を与えることがあったとしてもですか?罪を犯してまで。」
「そう、とは言い切りたくはないですが、私はお嬢様方に人生を捧げたいんです。だから出来うる限り、お嬢様方に降りかかるリスクを私が背負うつもりです。それが、私という人物の役目だと思っています。」
「… … 僕は、自分にとって何の目的もないまま、何も知らず、誰のためかも分からないまま罪を犯すようなことはしたくないです。」
「この国は……いえ、この世界は、多少のリスクを負ってでも新しいことを試さなければ、いつまで経っても変わりません。誰だって百パーセント正しくなんて出来ないのに、他人には百パーセントの安全を求める。そうやって互いの足を引っ張ってしまうこともありますから。」
椎名の慎重な姿勢には、きっと『そう言うなら、ここで辞めるか?』と答えたくなるかもしれなかった。
寿雄哉は恐らく、椎名に出会ってから今までの会話や行動を汲んだうえ、ならば辞めろなどと投げつける立場では無い。
大久保や松本が言っていた『お互いに迷惑だ』と。
ここまで連れてきたのは寿雄哉とミリアだ。
犯罪予備軍みたいな情報を知ってしまった椎名も、政府とスヴァンバル自体にも口封じに目をつけられてしまう。
しっかり巻き込まれた被害者だ。
これからも何も知らない一般人ではなくなってしまっている。
大久保と松本が言っていた事の意味を寿雄哉は理解している。
ここから先、どんな結果を伴う選択をするかは、もう本人次第でしかない。
「だけど、俺の知る明智希里江さんが主導していると言う事なら話は別です。彼女の行動力や頭脳明晰なとこは小学校のころから尊敬の意味で知っているので。…あぁ。」
「貴方にそう言われる希里江さんは鼻が高いですね、きっと」
「…はぁ。雄哉さんもそう言う事って事ですかね。」
「流石です。その通りです。」
「情に溺れる……。そうですね、確かに僕も、希里江さんが考えたことならって思うこと、あるかもしれませんね。」
ため息混じりに、椎名は寿雄哉の真意に辿り着いた。
寿雄哉は笑みを浮かべた。
『何のため』より『誰のため』、それが二人に共通した行動原理だった。
ただ、決意を固めている寿雄哉と違い、椎名はまだ様子を見ている段階、といったところか。
「椎名さんの問いに満足いただける回答が出来ないのは、申し訳なく思います。」
「いえ、雄哉さんが思ったより人情深いと言うより義理堅い方なんだと言うことが分かりました。」
「人情深いですよ、私だって。ちゃんと人を殺めず、被害のない状況を考え出す事にいっぱいいっぱいです。」
「あはは。」
冗談か本気か分からないような口調で寿雄哉は応える。
椎名はモニターに顔を向けてはいるが、横目に寿雄哉を見ていた。
寿雄哉の心理を見抜こうとしているのだろう。
モニターに映るミリアは、足を交互にぷらぷらしながら読書中だ。
人目を気にしてる様子はなさそうだ。
「お答えとは違いますけど、少し神話についてお話ししましょうか。」
「神話ですか。」
「えぇ、ファンタジー話は嫌いですか?」
「北欧神話とかギリシャ神話は特に好きですよ。」
「良いですね。スヴァンバルの動向は、神話という御伽話の真髄に迫ることも、我々が動いている理由かもしれません。」
「御伽話は実話の誇張、と言う話ですよね。」
「ちゃんとあの動画を理解されたんですね、嬉しいです。」
「え、話、まさかそれで終わりじゃないですよね…?」
「ハハ、そうですね。神話の究明こそが、我々探索部門の本業とでも言いましょうか、実は世界各地に我々の支部があるんです。支部はそれぞれ、神話の舞台とされる地域に拠点を置いています。」
「追ってる神話について関連しているのは、ユグドラシルだけじゃないんですね。」
「そうですね。神話にまつわるものを調べています。現在、調査済みの地域を含めて拠点を置いているのは、主にギリシャや北欧をはじめとしたヨーロッパ各地や、アジアの数カ国ですね。まだ未調査の地域があるとかで、今後も拠点は増えると言ってましたね。」
「本格的、なんですね。なんか凄い事に関わってしまった気がします。」
「はは、同感です。遺跡の発掘は文化財保護の観点から、場合によっては公的な援助を受けられるんですが、我々団体の本格調査なので自分達で資金を集めないといけないのです。」
「もしかして日頃の園芸みたいな事をしてるのって。」
「庭園造りとか清掃や生花は瓦礫の多い国になってしまったので、緑を増やす為の活動をしています。それが資金源ですね。意外と団体や企業などに人気なんですよ。」
「あぁ、なるほどねぇ…そういえばブラジルに行ってると言う話もありましたよね。」
「そうですね、今お嬢様方は未開拓地に赴いているのもあるでしょうが、ブラジルには森林研究と活動準備で滞在してるらしいですね。」
「なるほど。緑地開拓は日本だけじゃないんですね。」
「日本は正直言えば…いえ、話が脱線しましたね。神話の起源を探る手掛かりでもありますが、どうやら遺跡の各所に点在してる碑文の中に、世界各地の地名や文化と符合する記述があるらしく、特定の場所を探しているのですよ。」
「特定の場所というと?」
「ミーミルという場所らしいです。」
「ミーミル、もしかしてミーミルの泉ですか?」
「ご存知ですか?」
「神話なら知恵の泉と呼ばれる場所ですよね。神話に出るオーディンって言う人物も片目と引き換えにその泉の水を飲んで叡智を得たとかなんとか。」
「私よりも詳しいじゃないですか。」
「いえ、そう言われると覚えが正しいかどうか怪しいですけど。もはや都市伝説ネタじゃないですか。」
「はは、正直私はそう思いますね。」
寿雄哉は笑いながら答えた。
椎名の推察通り、ユグドラシルを育てて戦争を止めることだけがスヴァンバルの目的ではないらしい。
少なくとも、椎名はそう判断したようだ。
ミーミルの泉という場所に行く手立てが見つかってないようで、ユグドラシルに関係しているのか、それ以前に本当に存在しているのかすらも分かっていない。
結局のところ、明確な目的も目標も分からなかった椎名にとっては『ユグドラシルは過程なのだろう』という憶測に落ち着いているようだ。
「でも一応ちゃんとした活動っぽいのに、なんで目をつけられてるんですか?」
「おや、目をつけられていると言うのは、椎名さんは何処でそのようなことを?」
「あ、いえ。あー、ミリアさんが表沙汰にできないって言うので。それにガラス玉も狙われたんだか盗られたんだか、こないだ僕が拾った場所で…場所が、警察沙汰になってたので。」
椎名は実際のところ羽柴ら探偵チームに目をつけられた為に、スヴァンバルの知らざる状況を情報として僅かに得ている状態だ。
その発言に寿雄哉は少し口を押さえたまま黙り込む。
椎名は失言したとばかりに横目に窺っている。
「なるほど。椎名さんの着眼点は素晴らしいです。ですが、訂正させて頂くと、一応ではなく、ちゃんとした活動ですよ。」
「あ、ですね。すみません。」
椎名は指で頬を掻いて自身の失敗に悔やんだように口をへの字に曲げた。
寿雄哉も気に留めていないように話題を和ませたようだ。
椎名の要望通りに話を進める。
「その点では些か不思議な事がありましてね。数十年前にユグドラシルの存在に気付いたとされる人物が、投稿した内容と共に消された、という噂がありまして、意図的に何者かが認識や意識を逸らそうとする傾向があるんです。」
「共に消された?投稿を削除ってことです?それは、SNSかなんかですか?」
「…えぇ、SNSですね、当時は歴史に関わるガセ情報を流させない為だと思われていたそうですが、今やAI動画などで幾らでも捏造された情報が散乱してるにも関わらず、そういったガセ情報は削除されないんですよ。」
投稿の削除は珍しいことではない。
権利侵害なら当事者が申し立てることもあれば、規約違反として運営側が削除することもある。
そこまでは昔と変わらない。
しかし問題なのは、記述されたのがあるかも分からない神話のネタ。
その関連でどこが削除申請を出すのか疑問が残る。
「…つまり、神話に関わる文献だったから削除されたと。」
「そうとも言えるんですが、削除理由は明記されないんですよ。世界の文献を調べても、神話の起源も、ユグドラシルが実在したという情報もはっきりしてないんです。ですが、神話そのものへの解釈や創作は許されているのに、ユグドラシルが実在した可能性に踏み込もうとする記述は削除されるんです。」
「と言うと、どう言う事なんですか?あまりにそれっぽいこと書くと、正しい歴史と誤認するから辞めろとか、歴史に関わる文献だから、とかっていう解釈なんですかね。」
「……神話ですから、宗教的に圧がかけられてるなどの解釈とも考えてます。」
「なんか、昔も常識と違う説を提唱するだけで迫害されるなんて事があった気がするんですけど、殺しがないだけでやってること似てますね。」
「はは。結局のところ、削除申請者は政府関係と考えても良いでしょうね。少なくとも個人で行なっていることでは無いはずです。」
「なるほど。とりあえずユグドラシルの探索は公に出来ないと。例えば、いや、仮に…百歩譲ってミリアさんの体質を考えれば、神話に出てくるようなものが実在する、としましょう。」
「ははは、百歩、ですか。」
「一歩でも良いです。それで、なんで真実味を隠す必要があるんですかね。神話に出てくるような場所や能力を持った人が存在するなら、それこそ天皇のように扱われてもって思うんですが。」
「そうですね…実際に、ミリア様以外にも同じ体質の方がいるかも分からない。なら例えば、ミリア様が第一人者として、最初は丁重に扱われるでしょう。ですが、有力者たちがミリア様と似た能力欲しさに試行錯誤するとしましょう。もし成果が得られない場合、強行手段として、クローン作製や人体解剖といった表沙汰には出来ない行為がミリア様の心身に及ぶかもしれません。」
「そんな非道な事するんですかね。」
「ありえない、とは言えないですね。実際に世界で人体実験は、問題になっている事柄ですから。兵器になり得るものは他国への圧力になりますので。ただ、能力を扱うにはガラス玉の力が必要なので、無駄になるでしょうがね。」
世の中の大半の出来事は、自分と無関係な場所で起きている。
無関係なうちは、それが自分の問題になることもない。
裏を返せば、関係が繋がり始めれば出来事や問題が発生してしまうという事を寿雄哉は言っている。
今回、椎名の立場はガラス玉を拾うか拾わないかと降ってきた選択肢から『拾う』を選んだ、ただそれだけの事で、さまざまな事件に繋がってしまっている。
「僕は、子供の頃からと言うより、中学生の頃から一つ決めてることがあるんですよ。」
再び話を切り出したのは椎名だ。
「それは、気になりますね。聞いても良いですか?」
「能ある馬鹿は爪を隠さず。って座右の銘です。」
「あはは、語呂が面白いですね。能ある鷹は爪を隠す、じゃなくですか?どう言う意味ですか?」
「コミュニケーションを取るなら、自分をひけらかす方が相手の反応を得やすいと思ってます。声がデカい人間って良く見せようと自慢したがりだから注目されやすいし、話題になりやすいじゃないですか。だから、相手が考えを表に出しやすい状況にするために、自分が馬鹿で居る、って考えですかね。実際、僕は馬鹿なので、他人の知識が欲しいんです。」
「なんだか、理にかなったような考えですね。正直なるほどと思いました。でも椎名さん、それは馬鹿ではないですよ。少し恐ろしくもあります。」
「…僕も口だけです。なので、口に出せば、やらなきゃいけないと思って実行できるように心掛けて、出来る限りの事をするんです。だから出来れば、自分の拙い知恵で無関係の人を傷つけない様にしたい、そう思ってます。」
齢十七にして口にした、献身にも似た決意。
笑いも吃りもない、真っ直ぐな声音だった。
雄哉に向けただけではなく、自分の気持ちを確かめながら、言葉を吐き出すように言い聞かせている。
ただ口に出した以上、いつかはその言葉に責任を持たなければならない。
正しさを掲げるほど、自分もまた法や結果から逃れられなくなる。
その経験は椎名には恐らくまだ無いだろう。
「……若さ故か。」
瞼を閉じた寿雄哉が呟くと同時、車内に通知音が鳴った。
二人は同時に通知音の発生源を見た。
フロントガラスの右下から、通知音と共に通知欄が現れる。
一件のメール
大久保 貴
尾行確認、厳重警戒… … 全文を表示
気になる文面が記載されているのを確認した二人は、不穏な空気を読み取って横目に顔を見合わせた。
寿雄哉はその通知メッセージをタップして開く。
文章を一目見た瞬間、目を見開いた。
車のエンジンをかけるや否やハンドルを切って急発進する。
「椎名さん、監視カメラの操作お願い出来ますか?」
「はい。」
カメラの視点を助手席の椎名の手前に投げるように移動させると、椎名は半ば驚きながらもカメラの視点を見直した。
口調こそ冷静だったが、寿雄哉の心情が表に漏れ出ているかのような荒々しい所作だ。
椎名は先程から見ていたカメラの視界に映っていたミリアの画面には、その姿が映っていない事を確認した。
「これ、カメラの巻き戻しって出来るんですか?」
「出来ますが、設定上今は難しいです。現状で痕跡を探して欲しいです。切り替えはーー」
「ーーわかりました、やってみます。」
『お疲れ様です、雄哉さん。どうなさいました?』
「良かった、今日は田中さんもいらっしゃったんですね、お疲れ様です。ミリア様はそちらに戻っていますか?」
指示に運転、報告、連絡と忙しない。
ここより拠点までの道のりはまだ遠い。
現在は藤沢市。
向かう先は、拠点がある愛甲郡清川村の山地だ。
『ミリア様ですか。先程外へ散歩にと出てましたが…ちょっとお待ち下さいね。松本が出張してるのでセキュリティの確認が…。』
「松本さんは大久保さんと出てます。緊急なので早急に調べて頂きたいです。」
『お急ぎのご様子ですね、分かりました少々お待ち下さい。』
「お手数かけます」
椎名は見落とすまいとカメラをズームしたり切り替えたりと痕跡を探し続けている。
横のタスクには未だに開いたメール画面。
椎名は画面の内容を横目に捉えた。
2083/05/05 15:38
From: 大久保貴
To: 寿雄哉
CC: 松本淳平、近衛ミリア
尾行確認、厳重警戒を
羽柴、厚木市近辺で行動
情報漏洩、身柄に注意
メールの内容が椎名の視界に入った。
目を細くしてカメラに改めて注視するが、微かに震えた手を口元へと置いた。
考え込む仕草で震えを誤魔化しているかのようだ。
同時に、寿雄哉の視線は横へ向けられていた。
その視線の行先は、椎名の仕草を捉えていた。
⌘⌒ ⌘⌒ ⌘⌒
スヴァンバル日本支社地下実験施設[外庭] ーーー
「……」
風に擦れる囁きが耳を撫でる。
鳥の囀りは聞こえない。
フェンスに囲われた送電塔と変電室。
入り口を越えてすぐ、正面には変電室、左は送電塔、右の区画はフリースペースとなっている。
フリースペースに設置してある年季の入った昔ながらの簡易ベンチと木造のテーブル。
その上にティーカップ型タンブラーが一つ。
中身は紅茶。
椎名達にイタズラをした後の返答から少しした頃。
壁掛け時計の針は、時刻十五時十分を少し回っていた。
そこには黒髪の少女ミリアが座り、椎名に預けていたガラス玉を両手で大事に包んで眺めていた。
「君は、どこから来たのだろうね」
彼女の声に反応する者は誰もいない。
少女は付近の誰に声をかけたわけでもなく、ガラス玉に視線を落としている。
「夢に出てくる声は君なのかなぁ。でも夢の中の君はもう少し大人っぽかったかしら。」
吐息が漏れたように言葉だけが紡がれる。
頬杖をついてガラス玉を人差し指で当てて転がしている。
爪の先と指の腹が交互に触れるたびに、ガラス玉は小さく発光をオンオフしている。
「夢の声は雄哉くんかと思ったけど、やっぱ違うかなぁ。」
遊びに遊んで満足しきれなかったミリアは、あれからカメラ越しで反応してくれない寿雄哉たちに不満を募らせた独り言のようだ。
監視カメラには収音機能がない。
椎名たちのシーワンからは音声は無かった。
車の仕様を知っているミリアだからこそ、聞いて欲しさに語っているのか、ただ喋りたいだけなのかは分からない。
ミリアは、既に机の上での頬杖をやめて頬を腕に乗せ、突っ伏す形で片腕は真っ直ぐ奥へ伸ばしている。
それでもガラス玉いじりはやめなかった。
「… …夢って、なんで見るんだろう。たまに知らない人も居るし。知らない場所に居るし。」
唐突な哲学に陥った自問自答で、眉間に力が籠る。
沈黙から暫くして再び唐突に「ぁ」と声を発した。
「そう言えば。椎名くんと試しに植えたユグド野菜の様子見てないや。」
シーワンを身につけて、指をなぞり時刻を確認した。
2083/05/05 15:19
「んー、帰ってくるの四時だか五時とか言ってたっけな。」
ちらっと監視カメラを覗いて手を小刻みに振り、その場を離れた。
⌘⌒ ⌘⌒ ⌘⌒
「山崎、悪いな多忙な時期に」
「いんやぁ、旦那の頼みとあっちゃぁ断るわけにゃいかんでしょう。」
「呼んどいてなんだぁ、警視長が良いのかい個人都合で動いちまってよ。」
「たまには非番もあるってなもんですよ、ハッハ。」
「ハッ、野暮ってぇ事ぁ言うつもりぁ無かったが、ありがてぇよ。」
「まぁ迎え無しで清川村に現地集合だったのは減点かな、ははは!」
「かー、神奈川県警に寄り道したくならぁ」
副業してますよこいつ、と見せびらかしに行くぞなどと脅迫じみた発言を羽柴が悪戯に口にした。
山崎が「勘弁したって下さい」と笑って返す。
「んで、詳しく聴いてなかったが、今回はなんの事件に巻き込まれてんで?」
「あぁ…まぁなんだ面倒くさがらずに聴いて欲しいんだが」
「おいおい、事件や捜査が面倒じゃない事なんてねぇでしょう。勿体ぶる必要ねえんで言ってみて下せぇよ。」
「…そうだな。スヴァンバルって知ってっか?」
「世界的に有名ですわな。」
「その日本支部の連中がよ。全長200キロだの、周囲40キロにもなる木だの植えるんだってよ。」
「フッ、全長200メートルじゃなく200キロって?」
「あぁ…」
「ナーハッハッハ!!大気圏飛び出てんじゃねぇですか、月でも目指すんですかい!!こりゃ傑作ですな!!一体何万年掛かる話ですかい、こりゃたまげた!」
「普通そうならぁな…。」
「なんだぃ旦那、あんたストレス抱えちまってるんですかい?流石にそれはガセどころかアニメとか小説の話でしょうよ。」
「ストレスは、別に抱えちゃねぇな…多分。」
「良いんですよ、たまにゃこうやって御伽話にあやかって探検ってなもんも、乙なもんってね、いくらでも付き合いますよ。」
「違ぇんだわ。いや付き合ってくれんのはありがてぇが。うちの馬鹿が寄越したデータによ、ユグドラシルのレポートってなもんがあってな。ミニシルつうサンプル植物に専用のアンプル使って実験してんだとよ。」
「神話に因んだ植物ですかい。流石植物のエキスパートですな。洒落たもんで。」
「…あぁ、でな、そのミニシルってのがものの数秒で膝くらいまで成長するんで、なんやかんや計算すっとそれくらい成長するって話なんだわ。」
「はぁ〜、神秘的な木ですなぁ。見てみたいもんですわ。はっはっは、でしたら野菜に活用すりゃ世界的に重宝されるでしょうな、えぇ、どうですかい旦那。」
「あー、おめぇにそこまで煽られっと、流石に間抜けが過ぎて我に返っちまいそうだわ。なんならアイデア出してんじゃねぇよ。」
「ハッハッハ!いやいやいや、男はロマン!女は、知らん!冒険してなんぼですよ、今日はこのまま山で過ごそうじゃぁありませんか!」
「そりゃ、奥さんは不満だろな。ピクニックに来たわけじゃぁ無ぇのよ。」
「そんでここに旦那の目的の何かがあるんですかい。」
「あぁ俺の手のもんの調べによりゃ、この町ってより、こっから山ん中行ったとこに、連中が出入りしている道があんだとよ。」
「羽柴の旦那。」
「あんだ?改まって。」
「一人で動いてんじゃないんすねぇ。」
「誰情報だよ。流石になんでも一人でやる時間ねぇべよ。」
「こりゃ伝説がひっくりかえる事態でさ。」
「伝説って。俺ぁ自分を持ち上げた事ねぇんだが。」
「ハッハ。なに、この事は誰にも言いやせんよ。」
「だから語っても隠してもねんだがな…。」
「さぁさ、新たな伝説を立てに山へ参りましょうぞ旦那、ハッハッハ!」
「勘弁してくれ。」
道中で何も見当たるものはなかった。
人の手が入っている森の中の砂利道へと入り、二人は辺りを見渡しながら静かに進んだ。
森のささやき、川のせせらぎ、鳥の唄。
時折響く鹿の鳴き声は、人間が来たと知らせあっているかのようだ。
「実に良いとこですな、旦那。」
「あぁ、ほんとキャンプには持ってこいだ。」
「妙ですかな。」
「結構な。」
羽柴がポケットからケースを取り出し開いた。
中身はシンプルなクリアグラスの眼鏡、シーワンだ。
「おや、珍しい。」
「流石に風景まで覚えてらんねーからな、あと見落としがありそうでな。」
「本気ですな。まぁ私ゃずっと本気でしたがな、ハッハッハ。」
「よく言うぜ。」
優に学校のプールほどの川幅がありそうな浅瀬の澄んだ川は、鳥の水飲み場となっていた。
茂みは多いが、並んで群生した草花と見映えは良い。
砂利は多いが、ちょうど良くテントが張れそうな土壌。
ここに建ててこの景色をご覧あれと言わんばかりだ。
「小岩に留まる枯葉も、流木もねえ。」
「手が入ってますな。観光地候補ですかね。」
「スヴァンバルの領地で間違いなさそうだな。」
「…んー」
草木は自然と生い茂っているようでいて、どこか人の手が入っているように見える。
自然にできた環境ではない、というのが二人の見解だ。
「どうしたよ。」
「いえね、管理は誰かなと。」
「あん?何言ってんだ、スヴァンバルだろ。」
「あ、ちょいまち旦那、あそこ、誰かいますぜ。」
川を越えた先、向かいに並ぶ草花の茂みから、奥に緩い斜面を上がったところに、木々の開けた場所があった。
そこには黒髪の、か細い後ろ姿が見えた。
小さくしゃがみ、脇にジョウロのような何かが見える。
『捜索人物ニアタルト思ワレル人物ヲ発見シマシタ、照合ヲ開始シマス』
「ん?」
羽柴のシーワンが反応した。
時折見えた横顔と登録写真の照合をシーワンが自動で開始したようだ。
登録写真は織田から受け取ったものだ。
『…… 照合ガ完了。一致シマシタ。続ケテ録画ヲ開始致シマスカ?』
人物照合が完了した。
ミリアだ。
「…ありゃ大当たりだ。今回の件の重要人物だな。」
「あんなお嬢ちゃんが?はあー。何しでかしたんで?」
「いや、特にまだ何もしちゃいねんだが、案件で間違いねえんだわ。」
「虫も殺せなさそうな綺麗なお嬢ちゃんがねぇ。」
「手元で何かやってんな、園芸道具か?」
「旦那、ありゃさっき言ってたアンプルじゃねぇか?データがどうのこうの。」
「おいおいまさか、ここで植えてんのか。」
「…些か、その周りだけ、枯れ木や枯れ葉が多い気がしませんかね。関係ないかもしれんですが。」
「いやお前さん、流石に良いとこ目ぇつけるぜ。ありゃサンプルの副産物だ。急成長した先に枯れるところまでがセットなんだとよ。」
「ってこたぁまだ実験段階って事になるんですかね。」
「分からんが、お陰で、ここがユグドラシルのポイントじゃないのは確かだ、な……おいおい…。」
「んな…。」
少女の隣から、茶色や緑の芽が突き出た。
その芽は蛇のように天へと伸び続け、枝分かれしていく。
瞬く間に座った少女の頭を超えた。
枝先に実らしきものが膨らんだ瞬間、力を失ったように地へと折れると皺のように萎み、茶色へと枯れた。
「旦那。植物って、あんな、蛇みたいに出てくるもんでしたっけ。」
「…山崎。」
「へぇ。」
「見たよな。」
「えぇ、確と信じ難い事に。」
「現行犯でいけっか?」
「いやぁ流石にちょっと…厳しい、ですかな……ですがぁ、未知の薬剤を所持している以上、まずぁ警告からになりやすが、もしも逃走したり抵抗してきた場合にゃ、危険物所持者として制圧を認められそうですな。」
「十分だな。麻酔弾、許可くれ。」
「いつも使ってるでしょうに、無断で。」
「こまケェこたいいんだよ、早よしろ。」
「ちゃんと守ってくだせぇよ…これより16時11分、種苗法及び無許可危険薬物使用容疑。逃走・抵抗した場合のみ危険人物に相当すると見做し、麻酔弾の発砲を許可する。」
「よし。」
⌘⌒ ⌘⌒ ⌘⌒




