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第10話:蘭花の通訳能力

オランダ商館からの使者は、中年の男性だった。

紺色の上質な外套を羽織り、威厳のある立ち振る舞いをしている。商館の要職にある人物のようだった。

「皆様、おはようございます」

流暢な日本語だった。しかし、明らかにオランダ語の訛りが混じっている。

「私は、オランダ商館のフレデリック・ヴァン・デン・ホルストと申します」

与力の佐々木が一歩前に出た。

「オランダ商館殿。この件は、既に奉行所にて手続きを進めております」

「承知しております。しかし、座礁した船はオランダ船であり、積荷も我々の管轄です。関係者の皆様と、協議をさせていただきたく」

ホルストの言葉は丁寧だったが、湊屋惣兵衛が不機嫌そうに口を挟んだ。

「協議と言われても、時間がありません。積荷の価値は、刻一刻と下がっているのです」

「その通りです」ホルストは頷いた。「だからこそ、迅速で効率的な解決が必要です」

網元の和助も、腕組みをして言った。

「効率的と言われても、危険な作業は我々がやるのです。それに見合った報酬がなければ、誰も引き受けません」

「もちろん、正当な対価をお支払いします」

「どの程度の?」

「それは、作業の内容によって決まるでしょう」

四つの勢力が、互いの顔を見合わせた。

それぞれの主張は分かるが、具体的な解決策が見えない。

そのとき、船員が何かを話し始めた。

ホルストがオランダ語で船員に話しかけたが、船員の返答は、やはり混合語だった。

ホルストが困った表情を見せる。

「申し訳ありません。この船員の話す言葉は、標準的なオランダ語ではないようで……」

蘭花が前に出た。

「私が通訳いたします」

ホルストが蘭花を見つめた。

「あなたは?」

「蘭月庵の蘭花と申します。先ほど、この船員さんとお話しをしておりました」

「あなたが、この混合語を理解できるのですか?」

「はい。父から、いくつかの言語を教わりました」

蘭花は船員と会話を始めた。

船員の名前は、ピエトロ・サントス。ポルトガル系の船員で、長年、様々な国の船で働いてきた経験豊富な男性だった。

そのため、オランダ語、ポルトガル語、英語、さらには中国語の単語も混ぜて話すのだった。

蘭花の通訳により、船の詳細が明らかになった。

船名:マリア・ルイーザ号

出発地:ジャカルタ

目的地:アムステルダム

積荷:医学書、薬品、実験器具

「医学関係の積荷ですか」佐々木が確認した。

「はい」蘭花が答えた。「ピエトロさんの説明では、オランダの研究所に送る予定だったそうです」

ホルストの表情が少し緊張した。

「研究所……どちらの?」

蘭花は船員に尋ねた。しかし、ピエトロは詳細を知らないようだった。ただ、非常に重要な荷物だということは理解している。

「とにかく、貴重な積荷であることは間違いないようです」蘭花が説明した。

惣兵衛が身を乗り出した。

「どの程度、貴重なのですか?」

蘭花は再びピエトロに尋ねた。

ピエトロの説明によると、積荷の中には珍しい薬草や、最新の医学書が含まれている。特に東南アジアでしか取れない薬草は、ヨーロッパでは非常に高値で取引されるという。

「相当な価値があるようです」蘭花が報告した。

和助が心配そうに言った。

「それなら、なおさら引き上げ作業は慎重にやらねばならん。濡れたり、壊れたりしたら大変だ」

ホルストが頷いた。

「その通りです。我々も、最大限の注意を払いたいと思います」

佐々木が尋ねた。

「座礁の原因は分かりますか?」

蘭花はピエトロに聞いた。

ピエトロの説明は複雑だったが、要点はこうだった。

三日前の夜、嵐に遭遇した。風は強かったが、航行に支障をきたすほどではなかった。しかし、突然、舵が利かなくなり、座礁してしまった。

「舵が利かなくなった?」和助が首をかしげた。

「機械的な故障でしょうか?」ホルストが尋ねた。

蘭花は、さらに詳しく聞いた。

ピエトロによると、舵の故障は突然起こった。まるで何かが舵を固定してしまったかのように、全く動かなくなったという。

船員たちは必死に修理を試みたが、嵐の中では思うようにいかなかった。

結果として、長崎の岩場に座礁してしまった。

「不運な事故でしたね」佐々木が同情した。

「しかし、これで状況は分かりました」ホルストが整理した。「問題は、どのように積荷を回収するかです」

四つの勢力が、再び互いを見つめた。

奉行所:正式な手続きと安全性の確保

商人:迅速な処理と損失の最小化

漁師:作業の安全と正当な報酬

オランダ商館:積荷の保全と国際的な体面

それぞれの要求を満たす解決策を見つけるのは、容易ではなかった。

惣兵衛が提案した。

「ここで立ち話をしていても仕方がない。きちんとした場所で、話し合いをしませんか?」

「どこで?」佐々木が尋ねた。

「例えば……」惣兵衛は蘭花を見つめた。「蘭月庵のような、中立的な場所で」

蘭花が驚いた。

「私の茶屋で?」

「あなたは、全ての関係者と話をしており、状況をよく理解している。それに、通訳もできる」

ホルストも同意した。

「それは良い考えですね。中立的な場所での協議なら、建設的な話し合いができるでしょう」

和助も頷いた。

「お嬢さんなら、公平に話をまとめてくれそうだ」

佐々木は少し躊躇したが、最終的に同意した。

「民間の場所で公的な問題を話し合うのは異例ですが……緊急事態ですからな」

蘭花は、四人の視線を感じながら、静かに答えた。

「皆様がお望みでしたら、蘭月庵をお使いください。ただし、私は中立を保ちます。どなたの味方もいたしません」

「それでよろしいでしょう」ホルストが微笑んだ。

午後の刻(午後2時頃)、蘭月庵で正式な話し合いが行われることになった。

四つの勢力と、通訳兼仲裁役の蘭花。

長崎港の座礁事件は、いよいよ本格的な解決に向けて動き出した。


【次回予告】

蘭月庵での四者会談が開催!

それぞれの具体的な要求とは?

そして、船員が語る座礁の真相に隠された秘密!

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