第30話「それでも、終わりじゃない」
その日、咲良は何も持たずに登校した。
筆記具も、ノートも、鞄さえも。
ただ、制服と身体だけを連れて、静かに教室の席へと座った。
誰も何も言わなかった。
むしろ、誰も彼女を見ていなかった。
けれど、それがよかった。
(日常が戻ってきた。何も起きていないように。すべて、夢だったかのように)
でも咲良は知っている。
自分の手のひらには、もう戻らない何かの感触が残っている。
傷ではない。痛みでもない。
もっと深く、もっと曖昧で――確かに“熱”を持った記憶。
授業が終わり、教室の喧騒が引いていく中。
ふと、誰かが自分の机の上に、そっと何かを置いていった。
小さな、銀色の指輪だった。
市販品の安価なもの。
でも、どこか見覚えがある。
(これ……)
咲良が拾い上げると、内側に刻まれていた小さな文字が目に入った。
「Y&S - no name, no end」
咲良は、その指輪をそっと握りしめた。
それはプロミスではなく、呪いでもなく、ただの“記憶の鍵”だった。
帰り道、空は高く、青かった。
もう春が近づいている気配がする。
歩道の影の中、誰かがすれ違った。
見たことのある髪。
見たことのあるリボン。
けれど、声はかけなかった。
目も合わなかった。
それが、“ふたりの約束”だった。
(もう触れない。でも、消えない。
もう呼ばない。でも、忘れない)
咲良は、ゆっくりと歩き出した。
風が頬を撫でていく。
物語は静かに、ひとつの節目を迎える。
だがこれは、終わりじゃない。
これはただ――最初の章が、閉じただけ。




