第29話「ふたりの記憶にだけ残る」
図書室の静寂は、まるで時間そのものを包み込んでいた。
結依の手の温度が、じわじわと咲良の掌に染み込んでくる。
まるで、過去の記憶がひとつひとつ溶け出しているかのように。
言葉はない。
目も合わせない。
ただ、指先の繋がりだけが――ふたりをつなぎとめていた。
(きっと、この時間を誰かに説明しろと言われても、できない)
咲良はそっと目を閉じる。
それは「愛」なのか、「執着」なのか、あるいはただの「諦め」なのか。
どの言葉にも当てはまらない。
(でも、それでいい。
今だけは、“ふたりだけ”の記憶として、ここに閉じ込めてしまいたい)
やがて、結依がゆっくりと手を解いた。
咲良は目を開ける。
結依の顔には、珍しく泣きそうな表情が浮かんでいた。
けれど、涙は流れていない。
「ねえ、お姉ちゃん。お願いがあるの」
「……なに?」
「今日のこと、“誰にも話さないで”。
この時間は、“ふたりの記憶にだけ残して”ほしいの」
その声は、震えていなかった。
強い決意が、静かに宿っていた。
咲良はゆっくりと頷く。
「……わたしも、そうしたい」
“ふたりだけの場所”“ふたりだけの秘密”
そして、“ふたりだけが覚えている関係”。
それは、壊れて、歪んで、痛みを伴って、
それでもなお、確かに生きていた証だった。
結依は立ち上がり、扉へ向かう。
「じゃあ、またね。……名前は、呼ばないけど」
咲良は笑った。
「うん、わたしも」
扉が閉まる。
咲良は残された空間の中で、机に手を置いたままじっとしていた。
たぶん、誰に聞かれてもこう言うだろう。
――「なにもなかったよ」
でも、それがどれだけ“濃密な何か”だったかを、知っているのは――ふたりだけだった。




