第17話「屋上、夜風の中で」
夜の校舎は、静かだった。
まるで時間が止まったかのように、窓の奥も、廊下の奥も、誰の気配もない。
咲良は校門を乗り越え、旧館脇の鍵の壊れた非常階段から上階へと駆け上がった。
風が吹くたび、金属の手すりが微かに軋む音がした。
(加奈……どうか、まだ……)
五階、六階、そして屋上。
錆びた扉を押し開けたとき、咲良の目に飛び込んできたのは――
加奈の後ろ姿だった。
夜風に髪が揺れていた。
制服の裾が、鉄の柵の外へとはみ出ている。
「――加奈ッ!!」
咲良の叫びに、加奈の肩がびくりと震える。
「咲良……ちゃん……」
振り返ったその顔は、驚きと、混乱と、疲労でくしゃくしゃだった。
「どうして……来たの……?」
「あなたを助けたくて決まってる!」
咲良は駆け寄って、加奈の腕を強く掴んだ。
その温度に、加奈の目からぽろぽろと涙がこぼれる。
「わたし、全部……見たの。結依ちゃんとあなたのこと。動画も、傷も……キスも……」
「加奈……」
「でもね、咲良ちゃんが誰を選んでもいいって思ってた。ただ……忘れられたまま、終わるのが怖かったの」
咲良は言葉を失った。
加奈の目は、透明で、ひどく寂しかった。
(この子は、わたしを“取り戻したい”んじゃない。
ただ、“忘れられたくなかった”だけなんだ)
「加奈。わたし……もう誰かに選ばれるのも、誰かを選ぶのも、怖いよ。誰かを守ろうとして、誰かを傷つけて……」
「それでも……来てくれたじゃない」
加奈が咲良の手を握った。
「それだけで、もう……わたし、いいの」
次の瞬間、屋上の扉が“ギィ……”と音を立てて開いた。
吹き込む風とともに、ひとりの影が現れる。
結依だった。
髪は乱れておらず、制服も完璧に整っている。
ただ――その手に、重たいスチールのバールを握っていた。
「お姉ちゃん、また嘘をついたね」
その声は、深く静かで――底なしだった。




