第15話「かけちがえたボタン」
放課後の昇降口。
咲良は一人、誰もいない靴箱の前で佇んでいた。
空気が重い。
体にまとわりつくような、見えない湿度。
胸の奥に詰まった何かが、息をするたびに痛む。
(結依が……加奈に“何か”をした。直接じゃないにしても、追い詰めたのは、事実だ)
なのに――咲良の足は、動かなかった。
怒ることも、泣くこともできなかった。
(それを止められなかったのは、わたしだ)
靴を履き替え、外へ出たその瞬間。
「お姉ちゃん」
背後から声がして、身体が固まる。
「……どうして、まだ学校にいるの?」
「お姉ちゃんが、ひとりで帰るの……嫌だから」
振り返ると、結依が立っていた。
制服は乱れもなく、整っている。
けれど、その瞳の奥は――何かを失ったように、空虚だった。
「ねえ、お姉ちゃん。昔のこと、覚えてる?」
「昔?」
「小学生のとき。風邪ひいたわたしに、学校サボって一日中看病してくれたよね」
懐かしい記憶。
けれど、今はただ、胸が痛くなるだけだった。
「その日ね、嬉しかった。嬉しすぎて、ずっとお姉ちゃんの後ろをついて回るようになった」
「……結依」
「でも、あのときから気づいてたんだ。お姉ちゃんは優しいけど、どこかで、誰にでも同じように微笑むって」
結依が一歩、咲良に近づく。
「わたしだけの“特別”じゃなかった。だから……私は、特別にしたかった」
その目が、真っ直ぐに咲良を射抜く。
「全部ねじれてもいい。壊れてもいい。だからせめて、お姉ちゃんの世界を、わたしだけの色で塗りつぶしたいの」
結依が咲良の手を掴む。
その手は冷たくて、震えていた。
「ねえ、ひとつだけ答えて。……まだ、あの子のこと、心配してるの?」
咲良は、答えられなかった。
口を開こうとして、けれど言葉が出なかった。
その沈黙が、結依の顔を――確かに歪ませた。
「……ああ、やっぱり。かけちがえたままだったんだね、最初のボタン」
その言葉と同時に、結依の手がゆっくりと離れていく。
まるで、すべてを諦めた人のように。
「でも、安心して。今度こそちゃんと“止める”から」
咲良の胸に、鋭く冷たい何かが突き刺さる。
(“止める”って……誰を? 何を……?)
問い返すより早く、結依の姿は校門の先へと消えていた。




