第2話 噂話は暴動へ通ず
マリアの美貌は瞬く間に王国中に噂話として広がった。
それはマリアを実際に見た貴族たちの間だけでなく、子爵家から王都までの道すがら立ち寄った領地の民や道中に出くわした商人、さらには、せっかくだからと足を運んだ王都の商店街の人々などの一般庶民たちの間でも話題になり、爆速的に広がったのだ。
マリアを見た人々は、涙ながらに祈りを捧げたり自身の財産を差し出したりと、大変な騒ぎになった。箱入り娘のマリアは、キョトンとしていたが、涙を流す人には労りの言葉をかけ、自身の財産を渡そうとしてきた人には丁寧に断りを入れる。なぜ、周囲の人が自分を見て興奮しているのか、わからなかったのだ。
優しく微笑むマリアと言葉を交わすだけでも、「ありえない奇跡だ!」と天に昇りそうになる人まで出たため、子爵家の面々はあるときから、マリアをできるだけ馬車から出さないようにし、押しかける人々に「有難いことだが、我々は王都へ行かねばならないので」と丁寧に接し、帰るときは「疲れているマリアを早く家に連れ帰りたいので」と説明した。
すると、マリアの身を案じる人々は「それならば、たしかに私たちに構ってられないですね」と納得して、道をあけてくれた。そんな人たちに、動き出した馬車の中から、窓を開けて「ありがとう!」とにこやかに声をかけるマリア。そんなマリアを見て、人々は崩れ落ちたりした。
そんなこんなで、やっと帰ってきた子爵家。
子爵家の面々は、これから起こるであろう騒動に備えて警備を強化し、部族長にも自警団として働いてもらうよう協力を仰いだ。部族長は「マリアたんのために!」と重々しく頷き、話を聞いた部族の面々は「マリアたん!!」を合言葉に、鼻息荒く子爵家の領地を見回った。
そうして、とても自警団には見えない自警団が大活躍してとっ捕まえた誘拐犯、犯罪組織の面々、怪しい商人は手荒く牢屋へ直行。国王や高位貴族からの縁談の打診を携えた使者は威圧感が凄まじい面々に囲われて子爵の元へ案内された。使者涙目。
予想通りの騒動に、子爵は「やっぱりな……」と遠い目をしながら部族長へ労りの言葉をかける。マリアは、最近よく屋敷に来るようになったひげ面のおじさんに「おじさま、今日のおやつはシュクレームです」と声をかけて、笑顔でおやつを差し出した。
マリアからの労りの言葉に、思わず目頭を押さえる部族長。彼は感動しながらシュクレームという、中にトロトロとした甘いクリームが入っている、一口大のおやつを食べた。そんな部族長を暗殺しそうな目で睨む部下。下剋上が起きないよう、背後に気を付けた方がいい。
「マリア、マリアはどんな人と結婚したい?」
「結婚?」
「そうよ、マリア。お父様とお母様みたいに、ずっと一緒にいたいと思う人と、ずっと一緒にいるのが結婚。
マリアはどんな人と結婚したいのかしら?」
うーんと悩むマリア。そして、マリアの返答によっては、来ている縁談から良さそうな令息を見繕おうと思っていた子爵家の面々。
子爵家が選ぶ立場なのは傲慢ともいえそうだが、王族や国中の高位貴族、さらに噂を聞き付けた隣国の王家からも縁談が舞い込んでいるため、どうしても選択するのはこちらとなる。寄せられている大半の縁談を「マリアの希望なので」という大義名分で断るしかないのだ。
そんな思いとは裏腹に、マリアが口にした返答により、計画は白紙となった。
「本に書いてあったの。恋って落ちるものなんだって。
私、恋をして、その人と結婚したいの」
そのマリアの答えにより、婚約者は作らない、という結論に至った。
さて、子爵家としてはそれでよくても、納得できないのは求婚した面々である。
王城に招かれたマリアを直に見た第1王子や第2王子、王子の側近として登城していた高位貴族の子息、さらには密かに王国内を視察していてたまたまマリアを見かけた隣国の皇太子など、位が高くて、まさか自分が断られるとは思っていなかった面々は、子爵家の決定に不満を抱いた。
「マリアたんも、自分と会えば自分と恋に落ちるはずだ」
そう自信満々な面々は、せめて見合いの場を設けてほしい、と子爵家に申し入れをしたがけんもほろろに断られる。子爵家からすれば、そんな場にマリアを連れて行けばそのまま監禁・軟禁されたり誘拐されたりする恐れがあったため、よっぽどのことがない限り、子爵家の領地から出したくないのだ。
かといって、よそ者を下手に招くと、屋敷に何かしかけられたり、屋敷の構造を把握されて誘拐される可能性もある。なので、招きたくもない。
そのため、見合いの場を設けたりすることもできない。というよりも無理。
そんな子爵家に対して、彼らは簡単にいうと圧力をかけようとした。子爵家と取り引きのある商会へ、取り引きを止めるよう圧力をかけたのである。兵糧攻めにすれば、領民たちを守るために見合いの場を設けるだろう、と思った。
もちろん、実際に停止するのではなく「取り引きを停止するらしい」と噂を流すだけにとどめるよう通達し、実際の行動までは起こさないように念を押した。
結婚相手の親に強烈なマイナス印象を与えることは、避けたかったのだ。
しかし、その話は子爵家に伝わる前に、なくなった。「取り引きを止めるらしい」と噂を流せ、と言われた商会の面々は、「マリアたん(と子爵家)にそんなバカなことができるか!」と怒り狂い、一般庶民たちにこの話のすべてを流したのだ。
その結果、各地で暴動が起きた。
「マリアたんを守れ!」「貴族の横暴を許すな!」「マリアたんに自由を!」と皆が叫び、各地で反対運動を展開。どんどん規模が大きくなり、最終的に王都に押し寄せる事態となった。
我が子たちの策略を温かく見守っていた大人たちは、まさかの騒動に愕然とした。そして、民の怒りを鎮めるために、「マリア・ノエル子爵令嬢の婚姻の自由を保障する。これは、誰にも侵されることのない権利だ」と王の名のもとに公表。
この声明は「マリア権利宣誓」と名付けられ、後の世で制定された、すべての人々の婚姻の自由を保障する条文と一緒に、その起源として語られる有名な宣誓となった。
※※※
そんな騒動から何年か経ち、マリアは16歳となり王立学園へ入学した。
この入学の際もマリアが騒動の元になることがわかりきっていた学園側と子爵家の間で話し合いが行われ、彼女は様々な防護魔法をかけられた制服が支給され、寮ではマリア以外の入室を拒否する魔法がかけられた特別な個室が与えられた。個室は全自動清掃機能なども完備し、使用人たちが入らなくても大丈夫なように様々な魔法がかけられている。
もちろん、特別扱いを受けていると知ったら、マリアが遠慮することがわかっていたので、そのような特別扱い(というよりも騒動防止のための隔離措置)を受けていることは知らされず、マリアは今日も元気に学園へ通っている。
そんなマリアのクラスは、高位貴族や王族、獣人、竜人など、圧がすごいクラスメイトたちが犇めいている。もちろん、これはマリアと恋に落ちるために圧力をかけた男たちがマリアと同じクラスになった結果だ。
圧力に負けた学園側ではあったが、もちろんマリアへの配慮を忘れない。そういった圧がすごい面々は男性だけでなく女性ももちろんおり、権力やら腕力やらでものを言わせそうな男たちをけん制している。
他クラスからは密かに「魔境」「地獄」などと呼ばれているクラスだ。
そんな中に放り込まれた一般生徒は肩身が狭い思いをしていた。下手にマリアに近づくことはしないようにしていたし、担任もそうした事情はわかっているので、マリアと接触する機会がある役職などはできる限り振らないように気を付けていた。
さて、マリアとしては仲の良い友達(隣国の王女と国一番の魔女)ができて順風満帆な学園生活を送る日々。
はじめてできたお友達と、ちょっとしたことで笑いあったり、一緒にお菓子を食べたり。そんな楽しい日々を送っていたマリアだったが、そんな日常がちょっと変わる出来事が起きた。
「演劇……?」
「ええ、うちのクラスは学園祭で演劇を披露することになったんですの」
「マリアは昨日、早退したじゃない?そのときに何をやるのか話し合ったのよ」
体調不良で早退したマリアは、友人の言葉に目をぱちくりさせた。そんな表情もぐっと心臓にきた2人だったが、平静を装ってマリアに接する。ここで下手に反応してしまうと、マリアが驚くだろうし。
「今日はその配役決めですの。投票で決まることになってまして」
「演目はもう、決まっているの?」
「ええ、『花びら舞うときに、あなたへ』に決まったわ」
「!あの、恋愛小説!?」
マリアは驚いていたが、この演目は組織票が入って決まっていた。マリアお気に入りの小説ということは知られていたし、恋愛小説だからラブシーンもある。ヒロインは絶対にマリアになるから、相手役をやりたい面々が結託したのだ。
「投票って、どうやるの?」
「登場人物はもう決まってるから、その登場人物にふさわしい人を記入するのよ。
そのとき、自分の名前は入れちゃダメだからね」
「他薦で決まったら、恨みっこなしということになったそうですわ」
「そっかぁ。じゃあ、さっそく考えなきゃ」
うんうんと唸るマリア。もうヒロイン役は確実にマリアになることはわかりきっているので、友人たちの心配事は相手役だ。いったい誰が、この可愛い友人とラブシーンを演じるのか。
今のところ、マリアには特に気になる男性とかはいないことはわかっている。そんなマリアと、ラブシーンを演じるのだ。もちろん、練習でも一緒の時間を過ごすことになるだろうし、「マリアと恋に落ちる相手」に一歩二歩と近づくだろう。
このクラスにいる男連中は空気がすごいことになってるし、下手したら血で血を洗う騒動が起きる可能性がある……とも思う。
そんな風に思っていた。
そう、無意識のうちに、相手役は高位貴族や王族、獣人、竜人など、圧がすごい男たちの誰かになると思っていたし、クラス中がそう思っていただろう。
「は?おれ?」
相手役に当選したのは、まさかのユセフ・グリン伯爵子息だった。
高位貴族や王族、獣人、竜人でもない、一般生徒。いわゆるチャラ男。
なぜ彼が当選したのかは単純明快。自分には投票できない、というルールだったため、自分以外に投票しなくてはならなかった男たちが「あいつには誰もいれないだろう」と思ったユセフに入れたのである。男子全員がそう思ったので、クラスの男子票がすべてユセフに入ることになったのだ。
一方、女子票はというと、相手役の候補が多すぎたため、票がばらついた。その結果、ユセフが圧倒的1位として、マリアの相手役を勝ち取ってしまったのだ。
「あの、グリンさん。よろしくお願いします」
「え、ああ…よろしく」
当然のようにヒロイン役に抜擢されたマリアは、相手役になったユセフにはにかみながら挨拶をする。ユセフは何とかマリアに言葉を返しながら、その後ろで眼光鋭く自身を睨みつけている男たちに、命の危険を感じていた。