第1話 マリアたん
マリア・ノエル子爵令嬢のとんでもエピソードは、この世に誕生したときから始まる。
彼女を産み落とした母親は、元々の体の弱さもあり、死に瀕していた。いや、子どもを産めば命を落としかねない、と医者からも忠告されていたのだ。それでも、愛する夫の子を産みたいと、渋る夫を説得して、母の死と引き換えに産まれたのがマリアだった。…そう、本来ならば。
「ああ、ジュリア…!なんという…!奇跡だ!!」
「ああ、神よ!!この奇跡に感謝いたします!!」
「ジュリア、私たちがわかるかい?子どもも無事だよ!」
確実に死へ向かっていたマリアの母、ジュリアは、ある時から体を持ち直し、無事に意識を取り戻した。ジュリアを囲む夫と両親が神への感謝を口にする中、ジュリアは目をパチクリとして、口を開いた。
「神さまが、お礼だと仰られて…戻ってこれたの」
「お礼?」
涙でビショビショの顔を晒しながら、自分の手を強く握る夫に、ジュリアは困惑を隠さずに告げた。
「ええ、私の産んだ子をいたく気に入ってくださったみたいで……。
あのような子を産んだ母親への褒美、と」
そう、マリアの誕生が、母の命を救ったのだ。
それからマリアは、とても可愛がられて育っていった。屋敷中の者に愛され、可愛がられたと言っても過言ではない。
しかし、それと同時に、周囲には隠されて育つことにもなった。その光り輝く美貌は赤子のときから健在であり、その美貌だけでも誘拐やらなんやらの心配があった。それだけでなく、神からの寵愛を受けたことで、子爵家の領地は驚くほど豊かになった。本当に神からの寵愛がきっかけなのかはわからないが、普通ではありえない豊かさに、神がかり的な力を感じだったのだ。
そのような子を、周囲に堂々と見せるわけにはいかず、マリアは屋敷の中だけで過ごす日々を送っていた。
さて、そんなマリアと子爵家一同であったが、例の部族襲撃・撤退事件をきっかけに、マリアの類まれなる美貌は王国内でも知られることとなった。すると、当然のように、荒くれ者の部族たちの矛を収めさせたその美貌見たさに、王家が主催する昼食会へ招待されたのである。
名目上は「侵略してきた部族を見事に降伏させた子爵家への褒美」であり、「家族で来るように」と念を押されてしまったがゆえに、子爵家は不安を抱えながら、マリアを連れて王都へ赴くことになった。
何事もないように祈ることしかできず、不安は募るばかりである。
※※※
「はじめまして、ノエル子爵家のマリアです」
その年齢にしては上出来なカテンシーを披露したマリア。そのマリアを見て、謁見の間にいた全員が呆然としているのを、マリアの父、キルシュは訳知り顔で見ていた。
やはり、マリアの美貌は美人を見慣れているはずの王都の者たちも見惚れるレベルのものだったようだ。キルシュの隣で膝まづいている部族長も、マリアを恍惚とした表情で見ている。…毛むくじゃらのおっさんがそんな顔をしても、誰の得にもならないが。
「陛下、この者の一族が此の度、我が領土、ひいては我が王国の民となりたいと申しておりますゆえ、同行いたしました。
どうか、寛大なご対応をお願いできれば、と」
あらかじめ手紙で伝えており、すでに内諾はいただいているが、改めて謁見の間で話題にし、公式なものにしなくてはならない。神妙な面持ちで陛下へ申し出ると、マリアを凝視していた目をようやく外し、こちらを見た。
「…そうか。我が王国の民となる、と。賠償は済んだのか」
「はい、この者たちが保有していた宝石類で。こちらは、王家への献上品となります」
一番価値のある宝石を王の側近へ渡すと、側近は素早い動きで王の元へ戻った。その際、怪しげなものではないか、宝石鑑定士に確認させるのも忘れない。
王は献上された宝石を一目見て、頭を下げている族長に声をかけた。
「そなたが、王国の民となるきっかけは、なんだったのだ」
「はい、マリアたんと敵対せずに、マリアたんのためになることをしたいと思ったからです」
「…マリアたん?」
妙な呼び方に王が困惑すると、キルシュは多少苦笑いをしながら、答えた。
「どうも、この者たちの部族では、もっとも尊い者への敬称として『たん』を用いるそうで……」
「マリアたんはまさしくマリアたんでしたので、マリアたんと呼んでおります」
「そうか、マリアたん…、うむ」
こくり、と頷いた王。周囲の側近たちや高位貴族たちも「マリアたん」の呼び方に妙な感銘を受けた。むしろ、これ以上ない響きだと思い、皆が頷く。
今後のマリアの呼び方が決定した瞬間だった。