ある子爵令息の結婚
お取り込み中のところすまねえが、イチャつくなら学園の外でやってくれないかな。
なんでこんな所に人がいるんだって? あのな、こういう場所は大抵先客がいるのものさ。人目に付きにくい場所を求めるのは君たちだけじゃないってことだよ、フォーレン伯爵令息。
お前誰だって? エリアス子爵家のミハエルだ。そう、自分で言うのもなんだが政経学科首席のね。
なんで学科も違う人間のことを知ってるかって? 君は有名だよ。学園でもあまり人の寄り付かなさそうな場所に現れては、女とイチャイチャしてるってな。
言ったろ。こういった場所を求めてるのは君だけじゃない。君は誰も見ていないと思っていたのかもしれないが、物陰とか木の上とか、一人になりたい時間を求めて、あちこちに生徒はいるのさ。意外と見られてるんだぜ。
で、そちらが噂の男爵家のご令嬢か。あー、別に警戒しなくていい。俺は人の色恋に口を挟む気は無いから。だけど婚約者の……侯爵家のご令嬢だっけ? あまり粗雑に扱わないほうがいいと思うぜ。
そりゃ知ってるよ。俺だって子爵家の跡取りだ。主だった貴族の縁談くらいは把握してるさ。
アイツとは政略だから愛情なんか無いと? そりゃそうだろ、貴族の結婚なんてそんなもんだ。それでも両家の繁栄のためには結ばなきゃいけない縁だ。
それでも君はその子を選ぶと。婚約は……破棄するつもりだと?
はあ……そいつはちょっと考え無しにも程があるぜ。怒るなよ、人目を忍んで逢引ってことは多少はそのあたりが頭にあるからだろ?
まあな……正妻との仲が良くなくて、妾を持つなんて人は少なくねえけど、結婚する前からってのはちょっと考えものだぜ。
何をカリカリしているんだ。えーと、妾じゃなくて、彼女は正妻にすると?
いやだからさ、婚約相手って侯爵家だろ。そう簡単に覆せるか? あんな美人でスタイルも良くて洗練されたご令嬢の何が不満だってのさ。
は? あんな冴えない女のどこがいいって? 君は一度医者に目を診てもらったほうがいいぞ。
それはともかく、何が不満なのさ。えーと、自分が真に愛するのはその子しかいないと。出会う順番が後になっただけで、もし婚約者より先に出会えていたら、その子と婚約していた。出会う順番がおかしかった、ですか……
率直に申し上げよう。おかしいのは出会う順番ではなくて、君たちのやり方だよ。
ご令嬢、お怒りなさるな。私達はこんなに愛し合っているのに! って言われてもよ、それだけじゃあどうにもならねえのさ。
そうだな……ご令嬢の実家は商会を営んでおられるようだから、商売で例えよう。フォーレン伯爵令息は婚約している。これは商売で言うなら契約済みということだ。
婚約と商売を一緒にするな? 例えだよ例え。結婚をするという契約、物を売り買いする契約、どちらも二者間である物事を合意したってのは変わらねえだろ。
で、婚約を破棄するということは、商売で言うなら売買の契約をご破算にするということだ。それが何を意味するか、商会長の娘である君なら分かるだろう?
そうだよ。契約の破棄に伴って被った不利益は、破棄を申し出た側が負うことになる。しかもその理由に正当性を見いだせなければ、そんな相手と誰も商売なんてしたがらねえだろ。
例えばだよ。穀物の売買を契約して、不作だから価格を少し上げてくれないかという交渉ならアリだ。それで高すぎると契約が破談になっても、その値段でなければ利益が出ないという正当な理由があるから、そりゃ仕方ないなとなるだろ?
だけど君たちの話は、契約したけど気に入らないから破棄ね。というものだ。そこに何の正当性がある?
愛し合っているからなんて理由にならない。契約ってのは互いに何らかのメリットがあるから結ばれるわけで、君たちが愛し合っていることだけで、そのメリットを上回るなんて判断する人はいないよ。
ならメリットが上回ればいいのかって? 理論上だけなら可能性はある。だけど侯爵家と縁戚になる利益をどうやって上回るかだな。金銭的な話だけじゃない、地位とか名誉とか、後は権力的なものも享受するんだから、男爵家の令嬢である彼女と結ばれて、それを上回るのは至難の業だぜ。
それでも私達は、か……ご令嬢、君本人の資質で言うなら、今現在婚約者である侯爵令嬢様を何事においても上回るくらいの実力を得なければならないだろう。
男爵家から伯爵家に嫁いだ令嬢は過去に何人もいるだろって? そりゃいるよ。だけど殆どは、最初から婚約者として選ばれた人たちだ。君の場合は前任がいて、その代わりになるんだから、追いつくだけじゃダメなんだよ。
人というものは比較対象がいると、どうしたって見比べる。前と今が同じ程度では、なんで変えたの? って思うだろう。まして君は貴族の中では下の立場だ。見比べるとき、確実に実力を割り引かれて見定められる。同じではダメなんだよ。
身分で人を差別するのかって言われてもさ、君も男爵家の令嬢なんだから、平民より立場は上で、しかも裕福な商会の娘なんだから、十分にその身分で守られた人間だぜ。そこは勘違いするなよ。
話を戻すが、そういう事情があるんだから、並大抵の努力では補えない。人の何倍もの努力をして、ようやくスタートラインに立てるかどうかという状況なんだよ。
で、どうしろって? そりゃ君が考えることだよフォーレン伯爵令息殿。
そこまで分かってるなら、何かヒントを与えろと? 俺が考えるに、道は3つだ。
1つ、このまますっぱり別れること。今なら学生時代の火遊びってことで、侯爵家も御令嬢様も見てみぬふりをするだろう。多少しこりは残るが、何も問題は発生しないはずだ。
……って、今までのやり取りを聞いていたら選ぶわけがないわな。なら2つ目、彼女を妾か第二夫人として迎えるよう交渉することだ。
普通は第二夫人なんて、正妻との間に子供が生まれないからとかいう理由だから、結婚前から決める話じゃないがな。事情をしっかりと話し、正妻として十分に立てることを約して迎えるならば、交渉次第でどうにかなるかもよ。
……だろうねだろうね。分かってるよ、正妻として迎えたいんだろ。あくまで可能性のある道筋を提示しただけだ。元より君が選ぶとは思っていないよ。となれば最後の道は、さっき言ったとおり、君たち二人が結ばれることで、今の婚約を上回るメリットがあると提示するしかない。
どうやってって……だからそれを考えるのは君の仕事だし、伯爵家の夫人としての器量を身に着けられるかは、ご令嬢の努力次第だよ。
ただ言っておくが、伯爵閣下、つまり君のお父上がその提示されたものを益なしと見なせば、君たちは結ばれることはない。むしろ破滅の道を歩むことになる。
そりゃそうだろ。当主たる父の決めたことに従わず、好き勝手する者を後継に据えるか? 下手をすれば侯爵家を敵に回す行為なんだぜ、正解に辿り着けない場合、もれなく廃嫡だろうな。ご令嬢もその実家の男爵家も連座は免れまい。
それでもやるの? その道を選ぶの? やめた方がいいと思うけどな。
え? 今から色々と計画を考えるから、知恵を貸せって? ヤダよ、巻き込まれるのは御免被るし、君自身が知恵を絞って考えた案でなければ、絶対にボロが出るぞ。
なんとか協力してくれと? まあ……計画案を見るくらいならやってやるが、不備を見つけても直すのは君自身だし、なんならそれでどういう結末になっても俺は関与してないと言い張るからな。
あぁ行っちゃったよ。あんなに意気揚々としちゃって、絶対に上手く行くわけがないと思うんだが……
◆
――1年後
……という顛末でございます。
いやあ、まさかあんなに本気で考えてくるとは思いもしませんでしたよ。
伯爵家の産物を商会で上手く加工して流通させる。その手段から得られる利益まで、全部二人で考えたらしいですよ。
私? 本当に計画案を見ただけです。ここはどうするんだみたいなことは聞きましたけど、こうすればという提案は一切してませんし、考えたのは全部彼らです。
いやだから、私は別れた方が身のためだって勧めたんですよ。どう考えたって上手くいくはずがないと思いましたもの。
ただ、元々二人の仲が良くないのは両家も分かっていたみたいですし、古くからの友人だった侯爵閣下と伯爵閣下が若い頃にお互いの子を……みたいな話で結んだ縁だったようで、お前がそこまで考えるならって、穏便に解消となったようですね。男爵令嬢殿も、話を聞いて尻尾を巻いて逃げるかと思いましたもの。
まあ……醜聞にならずに良かったんじゃないですかね。
良くない? 王太女殿下は何か御不満が?
あー、侯爵家のご令嬢は王太女殿下のご友人であられましたね。穏便に収めたのは良かったが、嫁ぎ先が急に消えたご友人が不憫だと……まあたしかにそれはそうですね。
で、入れ知恵をした私に何か責任を取れと?
嫁に迎えろですと? 随分と急な話で。で、そこへタイミングよく侯爵令嬢様が姿をお見せになる……最初から仕組んで臣をお呼びになられたのですか……
私、しがない子爵家の跡継ぎですよ。侯爵家のご令嬢が嫁ぐような相手ではないと思いますが。
いえ、ご令嬢に不満はございませんよ。こんな冴えない女は嫌ですかって、そんなことありませんよ。
殿下、たしかにこんな美人で器量良しの何が不満なんだって伯爵令息に問い質しましたけど、ここで茶化さないでくださいよ。そういう話は抜きにして、私と縁付くメリットが彼女にないでしょう。
お前は私の秘書官だろうと? たしかに大役を仰せつかりましたが……それはつまり私が大過なく任を務めれば、いずれは国の重責を担う役に就くことになる? いやいや、買い被りにも程がございます。
なんですかご令嬢。私では相手にならぬかと? 何故目を逸らすのかと? いえいえ、むしろ困っているのは私です。貴女のような美人にそんな目で見つめられては、目の合わせようがございませんよ。
いやだから……目を逸らしたところへ視線を合わせにこないでください。
殿下も、笑い事ではございませんよ……
偉そうなことを言っておいて、ミハエルは女性免疫が少ない模様