表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒と白と階段  作者: 清泪(せいな)
時と砂と新聞
7/52

 タイチは家に帰ると、まず自分の部屋に鞄を置いた。

 次に台所を抜けて、ベランダを覗く。そこには姉のアキが立っていた。


 高校二年生のアキは、帰宅するとすぐ家事に取りかかるため、大抵この時間は制服のままだ。


「ただいま」

「おかえり。……どうしたの? わざわざベランダまで来て」

「姉ちゃん、洗濯、手伝おうか?」

「今ちょうど終わったとこ」


 そう言いながら、アキはタイチのシャツを最後に干し終える。


「タイチ」

「ん? なに?」

「そこ、邪魔」

「ごめん」


 タイチがよけると、アキは洗濯かごを抱えて部屋の中に入った。


「……じゃあ、買い物は?」

「いつも通り、学校の帰りに済ませたけど」

「そっか。じゃあ、えっと……晩ご飯! 俺が作るよ」

「アンタ、料理できたっけ?」


 タイチにとって家庭科は苦手科目だ。

 他の成績もあまり良くはなかったが、中でも家庭科は特にひどかった。


「どうしたの、急に?」


 アキは冷蔵庫から1.5リットルのコーラを取り出し、戸棚からコップを二つ用意して注ぐ。


「いや、あの、前から手伝おうと思ってたんだよ」

「ふ~ん。……誰かに言われたの?」


 アキはコーラを一気に飲み干す。

 コップが小さいとはいえ、あまりに気持ちのいい飲みっぷりだ。

 タイチには真似できない。炭酸が胸のあたりで詰まる感じがして、気分が悪くなるのだ。


「違うって。俺は俺なりに……」

「女の子に言われたんでしょ? “家事くらい手伝いなさい”とか、そんな感じで」


 女ってのはエスパーなのか?

 それともどこかに監視カメラでもあるのか?


「まぁ、動機はどうあれ心意気はよしとしよう」


 アキは自分の空いたコップに、もう一杯分のコーラを注ぐ。


「今日は全部終わったから、明日から洗濯担当を任命します。がんばりたまえ、タイチ君。以上」


 言い終えると、アキはタイチの背中を軽く叩いて、コップを持ったまま自室へ戻っていった。


 明日からずっと洗濯担当なのか。

 そう思うと少しだけ気が重くなったが、タイチは後悔しないようにと自分に言い聞かせた。


 クミに言われたからやろうと思ったんだ。

 それは確かだ。でも、それが悪いことだとは思わない。

 タイチは残ったコーラを飲み干し、自室へと戻った。


 


 部屋に戻ると、タイチは押し入れを開ける。

 中には、父親が残したという映画のビデオテープが、ダンボール箱に詰められていた。

 その中から、一本を取り出す。


『時と砂』。


 ──クミと話していた、あの映画のビデオだ。

 晩ご飯まで、まだ時間はある。もう一度観てみよう。


 


 翌日の放課後。

 タイチとクミは、音響係として再び二人で打ち合わせをしていた。


 九月中旬とはいえ、やるべきことの半分も終わっていない。

 本来なら宇野と上牧にも手伝ってほしいところだったが、二人はさっさと帰ってしまっていた。


「勝手だよな、あの二人」

「でも、あんまり早く決めすぎても、舞台進行との調整までやること無くなっちゃうし」

「そうやって甘やかすから、のうのうと帰るんだよ」

「射場君だって、強く引き止めなかったでしょ?」


 タイチは言葉に詰まった。

「それは……その……」

「なによ、それ」


 パワーバランスが、いつも決まっている気がする。

 それが少しだけ、情けなかった。


 でも、それを覆すにはどうしたらいい?

 そもそも、覆すべきなんだろうか?

 いや、もし覆したら……そのあと、どうなる?


 誰か、答えをくれ。

 そう願っても、そんな都合のいいやつが現れたためしなんて、ないのだけど。


「もう、二人で決めちゃおうぜ。あの二人はあてにせずに」

「うん、それがいいね」


 クミがはっきりとそう言ったのが、少しだけおかしくて、タイチは笑った。


 誰にでも好かれるタイプの彼女は、別に優等生然とした“いい子”というわけではない。

 言うときはちゃんと言う。毒を吐くときはしっかり毒を吐く。

 たぶん、だからこそ、人に好かれるのかもしれない。


 


「昨日、『時と砂』、もう一度観直したんだ」

「すごい。私も観直したの」

「高塚もビデオ持ってるの?」

「最近DVDが出たから、それを買ったんだ」


 DVDか。いいな、それ。

 タイチの持っているビデオは、何度も観すぎて映像がすっかり劣化していた。


「やっぱ、いいよね。残酷な話なのに、どこか儚くて、美しいっていうか」

「“淋しげで愛しい”でも合ってると思うな」

「お、それもいい表現だね。射場君、詩的だね」


 日常に紛れた悪意。

 味気なく、淡々とした透明な殺意。

 乾いた、素っ気ない罪悪感。

 終わりのない孤独感。


「改めて観ると、カメラワークとか、そういう感情を引き立ててるよな。あと音楽も、やっぱすごく空気感出してる」

「語るねぇ、射場君」

「高塚、こういう話好きだろ?」


 「うん」と頷いたクミが可愛くて、つい頭を撫でたくなったが、タイチはその手を引っ込めた。


 今日もまた、机二つ分の距離が、タイチを抑えつける。

 その距離は、いつか縮まるのだろうか。

 それとも、永遠にこのままなのだろうか。


 ──簡単に持ち上げられるはずの机が、まるで動かない壁のように思えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ