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その後、クミは次々と劇で使う曲を提案してきた。
タイチは「それはちょっと……」とか「いいかもな」など、賛否を交えて意見を返していく。
とはいえ、結局はクミの提案通りになるよう、うまく話を持っていった。
途中、タイチはふとした効果音にも音響係が音をつけなければならないと知り、感心する。
そうした音響用の参考CDを用意していたのも、クミだった。
彼女はきっと、音響というものをしっかり勉強してきているのだろう。
タイチも映画はたくさん観ているはずなのに、今まで一度も音響に意識を向けたことがなかった。
映画の世界に自然と溶け込めるというのは、ある意味すごいことだ。
でも、そういう細部に目がいかなかったことにタイチは気づかされ、改めて感心した。
音決めが順調に進んでいたころ、チャイムが鳴った。
午後五時は全校生徒の下校時間。
最近の物騒な世の中に対する対策として、部活動をしている生徒を含め、全員が五時には帰るよう指導されている。
……という建前だが、タイチにとっては、むしろ「厄介払い」めいて聞こえた。
校内放送が鳴り、下校を促す教師の声が響く。
今日の担当は、タイチのクラスの担任・総持だった。
「うわっ、もうこんな時間!? 帰らないと、お母さんに怒られる!」
クミが慌てて荷物をまとめ始めた。
「高塚んちって、そんな門限厳しいのか?」
教室にいた他の生徒たちは、放送があってもどこかのんびりしていた。
「門限っていうより……洗濯があるから」
「洗濯?」
「うん。あと、買い物も」
なんだか主婦みたいだな。
タイチはクミのエプロン姿を想像した。
悪くない。
うん、けっこう、いい。
「何うなずいてんの?」
「い、いや、大変だなって」
クミには、人の頭の中を読める能力でもあるんじゃないか。
いや、別にやましい想像をしてたわけじゃない。
健全な、未来予想図だ──タイチはもう一度うなずいた。
「うち、母子家庭なんだ。射場君、家の手伝いとかしないの?」
「姉ちゃんがいるし、任せっぱなし」
「ダメだよ、ちゃんとやらなきゃ」
タイチもまた、母子家庭で育った。
父親の顔は覚えていない。三歳のときに離婚してから一度も会っていない。
「わかったよ。高塚が言うなら……やってみる」
「え?」
自分でも驚くほど自然に出た言葉だった。
「いや、その、俺もやんなきゃなとは思っててさ。誰かに言われたなら、やっぱちゃんとやろうって……」
必死にごまかすタイチ。
何をどうごまかしてるのかは、自分でもよくわからなかったが。
「うん。よろしい」
まるで昭和の教師のような言い方で、クミは優しく微笑んだ。
「アレアレ~? なんだかうまくいってんじゃないの?」
クミが教室を出た直後、いつの間にかアツシが現れていた。
ちょっとしたマジシャンみたいで、タイチはびっくりする。
アツシは、さっきクミが座っていた席に腰かけ、帰っていくクミに手を振っていた。
タイチが机を元の位置に戻している最中に現れたらしい。
「人をお化けみたいに言うなよ。他のクラスでぼけっとしてるお前が悪い」
アツシの言う通り、タイチはずっと呆然としていたようだ。
気づけば、さっきまでいた生徒たちもほとんど帰っていた。
「その様子じゃ、けっこううまくいったんだろ?」
「うん、まあ。話は盛り上がったかな」
「話が弾んだだけで余韻に浸るって、純情超えてちょっとキモいな」
「うるさいなぁ」
「それより早く帰ろうぜ。もう下校時間、だいぶ過ぎてるぞ。先生に見つかったら怒られる」
そう言ってアツシは、タイチの鞄を机に置いた。
二組に置きっぱなしだったものだ。
「サンキュー」
「いいから、ほら、さっさと帰るぞ」
促されてタイチは立ち上がる。
外を見ると、夕日が差していた。
廊下側の窓から見えるグラウンドが、黄金色に染まって綺麗だった。
「どうした?」
立ち上がったまま動かないタイチに、アツシが声をかける。
タイチの視線はグラウンドを向いていたが、そこには誰もいない。
「……いや、なんでもない」
首を横に振って、タイチは答えた。
「帰ろう」
そう言って教室を出ていく。
アツシは「なんだよ」と呟きながら、その背中を追った。
正門から出るとアツシの家が近く、後門から出るとタイチの家が近い。
「新作のサッカーゲーム買ったんだよ。これからうち来て、やらね?」
アツシが誘ってきたが、タイチは首を横に振った。
「今日は家事の手伝い、するって決めたんだ」
ゲームにはちょっと心惹かれたけど、クミに言われた言葉が頭をよぎる。
今はそれが、いちばん大事だ。
けれどアツシには、タイチの言葉が冗談にしか聞こえなかった。
今まで一度も、そんなことを言い出したことなんてなかったし、むしろ「家事押しつけられて最悪」なんて愚痴ばかり聞かされていたのだ。
「変わったんだよ、俺は。今日から、バッチリと!」
タイチは胸を張ってそう言うと、「じゃあな」と手を振って後門へ向かっていった。
アツシは、「なんだよそれ」と呆れ気味に呟き、タイチの背を見送る。
振り返りもしないその姿に、小さく「ちぇっ」と地面を蹴りながら、正門の方へと歩き出した。