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茨北中学校では、十月の第四日曜日に文化祭が開かれる。
二学期に入ると、校内はその準備で一気に慌ただしくなる。
高校受験を控えた三年生も、例外ではない。むしろ一番忙しいかもしれない。
文化祭は創立当初から続く伝統行事で、一年生は研究発表、二年生は合唱、三年生は演劇、と決まっている。定番すぎて誰も疑問に思わないほどの恒例だ。
「タイチ、これが中学ラストチャンスだぞ」
富田アツシは、お気に入りの髪型を軽く整えながらそう言うと、教室の机にうつ伏せて寝ていた射場タイチの背中をぺしりと叩いた。
「痛いって、叩くなよ」
「だから言ってんだよ、ラストチャンスなんだって!」
タイチは眠たげな目をアツシに向けたが、彼はどこ吹く風だ。
「……なんだよ、ラストチャンスって」
また変なことを言い出したな、とタイチは思った。
アツシは思いつきで一人盛り上がる癖がある。突拍子もないテンションで話しかけてきて、こっちの都合などお構いなしだ。
それが面白い時もあるけれど、今は五時間目の国語が終わった直後。眠気が限界を超えていて、付き合う元気もない。
「女子にアピールする最後のチャンスに決まってんだろ!」
アツシは得意げに言った。
アピールって何を? とタイチは一瞬考えたが、すぐに察した。どうせ恋愛の話だ。
「ラストって、文化祭が終わっても学校あるじゃん。まだ半年くらい」
学校そのものが無くなるとでも言いたげなアツシに、タイチはうんざりした声で返す。
文化祭が終われば、受験ムードが一気に加速する。
教室にはピリピリとした空気が流れはじめ、誰も彼もが参考書とにらめっこだ。
タイチにとって、そんな毎日があと半年も続くと思うと、気が重くなる。
高校に進んでも、同じ日々はまだまだ続く。
二週間前まで夏休みだったとは信じられないほど、時間の流れが違って感じられた。
「バカだ、本当にバカだなぁお前は」
アツシは芝居がかった動作で眉間を押さえ、大げさにため息をついた。
まるでドラマに出てくる刑事のモノマネだ。
「バカバカ言うなよ。わかってるけどさ」
「お前、ただでさえ女子と話せてないのに、受験の真っ只中でどうやって会話増やすんだよ?」
あらためて言われると、地味に傷つく。
反論できないのがまたつらい。
タイチは勉強が苦手だし、テレビの話題にも疎い。話しかけられても返せないことが多い。
結局、沈黙ばかりが続いてしまうのだ。
「修学旅行ってビッグイベントでも、何もできなかったお前にとって、これがホントのラストチャンスなんだよ」
その一言が胸に刺さった。
タイチは、夏前の修学旅行を思い出す。
蒸し暑い六月、歩き疲れるほど移動したけど、楽しかった。もう一度行きたいと思えるくらい。
夜は同室の男子で集まって、好きな女子の名前を暴露し合ったりもした。
翌日はその子の顔がまともに見られなかったほど、緊張していたのを覚えている。
でも——思い出の中に女子との交流は、ほんのわずかしかない。
旅行から帰ると、カップルがポツポツ誕生しはじめた。
アツシからは「帰ってきたら付き合い出すやつがいるって、あるあるなんだよ」なんて言われたけど、本当にそんな流れがあって、タイチは完全に置いてけぼりだった。
そしてそのアツシも、林セツコと付き合いはじめた。
アツシは特に運動部に入ってるわけでもなく、背もそこまで高くない。
成績だってタイチと同レベル。
なのに、なぜかモテた。
理由は簡単だった。見た目に気を使い、しゃべりがとにかく面白かったのだ。
「今はトークができる男がモテる時代なんだよ」
そう言ってアツシは、セツコと付き合い始めたことを嬉しそうに語っていた。
……ただし、夏休み中に三度別れて三度よりを戻すという、不安定極まりない関係らしい。
今は「冷戦中」だと、本人は笑って言う。
「ラストチャンスって、受験終わってからでもいいだろ?」
タイチはぼそりと言った。
“ラスト”なんて言われると気が重くなる。
チャンスはいつだって、先延ばししたくなるものだ。
「受験終わってから? 卒業式に告白でもすんの?」
呆れたように言われて、タイチは頷いた。
定番中の定番。昔からある“卒業式告白”ってやつだ。
ストレートすぎるけど、あの雰囲気が背中を押してくれるなら、自分だって告白くらい一つや二つはできる気がする。……たぶん。
二人に告白するわけじゃないけど。
「お前さ、卒業式の日に呼び出して、『私も前から射場君のことが好きでした』とか言ってもらえるとでも思ってんの? ドリーミィすぎんだろ」
ドリーミィって何だよ、と一瞬思ったが、頷いてしまった。
「んなぁこたぁない!」
サングラスのおじさんの真似だろうか。昼のバラエティ番組で見たような気がする。
ツッコミを待っていたアツシだったが、タイチはスルーを決め込んだ。
間を持て余した彼は、小さく咳払いをして話題を戻す。
「お前さ、イケメンでもないのに、いきなりコクって即OKもらえると思ってんのか? イケてるメンズかよ!?」
さっきスルーされた腹いせのように声を張るアツシ。
タイチは苦笑した。
自分がイケメンじゃないのはわかってる。一人なのに“メンズ”と複数形で言われるのは余計だが、反論する言葉が見つからない。
「ただでさえ女子との会話ゼロなのに、突然告白されて、女子が『え? 誰?』ってならないと思ってんのか?」
また痛いところを突かれて、タイチは思わず胸に手を当てた。
心臓の鼓動がまだ感じられる。
少しだけ——ホッとした。