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彼との背

作者: ケト

「ねぇ」


 私の隣で歩く彼に声を掛ける。

 

「……何、柚希(ゆずき)?」


 私は少し顔を上げる。

 彼と目が合う。


「……はぁ」


 私はため息を吐いた。

 

「人の顔を見てため息を吐くなんて失礼な奴だな」

 

 彼は冗談交じりに教科書の入ったカバンを私の腰にぶつける。


「痛っ! 女子を殴るなんてサイテー!!」


「おやおや、女子なんてどこにも居ませんが?」


 そう言って、私を小馬鹿にして逃げ出した。


「このー!」


 逃げる彼の背中を私は小走りで追いかける。


 中学に入ってからはいつだってこうだ。

 幼馴染、違う。そんなに綺麗な関係じゃない。

 彼とは腐れ縁の関係だ。


 彼との帰り道はいつだって喧嘩ばかりだった。

 彼が馬鹿にしてきて、私が怒って……。毎日その繰り返し。

 

 恋愛感情なんてあったものじゃない。

 家が近いから一緒に帰っている。ただ、それだけの関係だ。



──



 いつから彼と立場が逆転したのだろう。

 昔は私の方が上だったのに。


 小学校に入学した時は私が彼を馬鹿にして、歯向かおうとするけど敵わなくて……。

 でも、学年が上がるにつれて彼は生意気になって、そして力も強くなって……。

 

 中学3年生になった今、男女の差で私は彼に完璧に追い抜かされてしまった。

 かけっこも、腕相撲も、なわとびも……、全部私の方が上だったのに。


 それに背も……。

 

「……で、何でため息なんて吐いてたんだ?」


 隣の彼が聞いてきた。


「だって……」


 彼の方を見る。

 首を上に向けなきゃ彼の顔を見ることが出来ない。


「アンタの背、おっきくなったよね」


「ま、成長期だからな!」


 彼は自慢げに笑う。その笑顔が憎らしい。

 

 小学校4年生までは、私の背の方が高かった。

 帰り道、隣の彼を見る時はいつも視線を下に向けていた。

 彼の頭頂部が良く見えていた。


 それなのに、5年生になったら頭頂部が見えなくなり、

 6年生になったら、視線はほとんど一緒になって。

 中学生になったら、追いつかれて。

 2年生になったら、完全に追い越されて。

 3年生になった今、私の視線はいつも上に向いていた。


 私の背は成長が止まり、彼の背はどんどんと伸びていった。

 そして、彼の背はまだ伸び続けている。

 

「……まだ伸びてるの?」

 

「おうよ」


 彼の背が憎い。


「私は止まったっていうのに……」


「男子は中学生になったら伸びるって先生も言ってただろ?」 


 やっぱり彼の背が憎い。


 私だって知っている。小学5年生の時から感じていた。

 彼の背はどんどんと大きくなって、身体つきも男子っぽくなって。

 対称的に私の背は止まって、身体つきは女性っぽくなって。


 子供の頃とは視線が変わった。

 下向きだった視線がだんだんと高くなり。

 目線の高さが同じになった。

 でも、彼はまだ止まらない。

 

 私が見えるのは、下から見る彼の横顔だけ。

 必死に上を向かないと彼の顔も見えない。 


 彼が走り出したらどうしよう?

 私は追いかける。だって、負けたくないから。

 隣に居たいから

 でも、追いつけない。だって彼の方が速いから。

 そして、背中しかみえなくなり。

 やがて、彼の姿を見失う。


 彼の背が伸びるにつれて。

 私の視線が上に向くにつれて。

 私は置いて行かれる。

 そんなことばかり思っていた。

 

 隣で歩く彼との距離が遠く感じる。

 高さが違うだけで、私の心は沈んでいく。

  

「……もうすぐ卒業だね」


 卒業式まであと1ヶ月もない。

 来月にはお互い高校生だ。


「卒業って言っても俺たちはまた同じ学校だけどな」


 彼とは一緒の高校だ。

 でも、彼とはどんどんと疎遠になっていくだろう。

 

 だって、彼の背は伸び続けているのだから。


「変わっちゃったね」


 私はポツリとつぶやいた。


 寂しかった。

 彼の背が高くなっていくのが。

 彼が成長していくのが。私が止まっているのが。

 ただ、寂しかった。

  

「そうか?」


 彼は不思議がる。

 

「変わっちゃったよ。昔はあんなに小さかったのに、もう高校生になるなんて。

 もう、背伸びしないと顔もよく見えないよ」


 気を緩めれば泣きそうだった。

 寂しくて、悔しくて、悲しくて。

 感情の波が溢れ出そうだった。 


「言われてみればそうだな」


 けろりとした態度で言葉を続ける。


「いやさ、昔も今もずっと隣で歩いているからあんまり変わった気がしなくてさ」


 そうだ。

 ずっと隣だった。

 だからこそ、視線の高さが変わっていくのをひしひしと感じてしまう。


「私、結構辛いんだよ。アンタの顔を見るのに首を上げないといけないからさ」

 

 ちょっと嫌味っぽくなってしまった。

 でも、構わない。これが私の本心だから。


「だから……高校では別々に帰ろうよ」


 本当は嫌だった。

 彼と家に帰るのが好きだった。

 彼と離れたくなかった。

 

 だけど、彼は成長したんだ。

 彼の背はこれからも伸びていき、やがて私を置いていく。

 置いて行かれた私は昔の思い出にすがるように立ち止まる。

 

 そんな未来が見えている。

 これ以上、彼と一緒にいて私が苦しむくらいなら。

 この先、彼が私を置いていくくらいなら。


 私が彼を突き放す。

 それが彼にとって──いや、私にとって一番の選択だ。

 だって、彼が遠くに行けばきっと身長差なんて分からなくなるから。


「ほら、お互い忙しくなると思うし無理に一緒に帰らなくてもね。

 もう高校生にもなるしさ」


 まっとうな理由を並べていく。


 私たちはもう高校生になる。

 それは大人になるということ。

 1人の男性と女性になるということ。


 彼の背は伸び大人になっていく。

 だから、私も大人にならなきゃいけない。


 だから、子供の関係は終わり。

 私たちの関係は終わりにしないといけないんだ。

 だって、もう昔の彼じゃないから。

  

「嫌だね」

 

 だけど、彼は否定する。

 

「……なんで?」


「柚希、俺だけが背が伸びたから悔しいんだろ?」


 そうだ。

 だから、私は彼の隣で歩くのが苦しいんだ。

 置いて行かれそうで怖いんだ。

 

「そうだけど……」


 私はゆっくりと肯定した。

  

「だったらさ。ずっと柚希を苦しめてやるから」


 彼はまるで小さい子供のようにいたずらっぽく笑みを浮かべた。

 

「隣で歩くのが、一番上を向かなきゃいけないから辛いんだろ?

 だったら、一緒に帰ろうぜ! 高校3年になった時にはもっと苦しくなっていると思うからさ!」


 ただ私を馬鹿にし続けたいそれだけの理由だった。

 そんな馬鹿げた、私のことなんてこれっぽちも考えてない理由だった。

 それなのに、私はホッとした。


「バーカ!」


 私はカバンで彼の肩を殴る。


「いった!! ──って何笑ってんだよ!?」


「あははは!」


 3月のまだ肌寒い風が私の顔にぶつかり流れていく。

  

 彼との背の差はもっと離れていくだろう。

 それでも、彼は隣で歩いてくれる。


 そのことがただ嬉しかった。

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