05 異界侵蝕
『舞闘』
光の結晶化したDANCERのカードが両膝に吸い込まれると、足が勝手に軽やかなステップを踏みはじめた。
──うっ。もしかしてハズレを引いた?
冬也の焦りを見透かしたように襲いかかった瘴角獣は、しかし華麗に舞い踊り背後に回り込む彼の動きに翻弄される。
そのまま足をもつれさせ、仲間の瘴角獣を巻き込みながら地面に倒れ込んだ。
「──零星踏穿!」
そこに続くレイジョーガーの凛々しい声と共に、黒く研ぎ澄まされたピンヒールが、紫光をまとって瘴角獣ののっぺりした顔面を踏み貫いていた。
衿沙が本物のヒーローとして活動してきた先輩であることは、察しがついた。初めて公園で会った時も、きっと瘴角獣を調査していたのだろう。
本物のヒーロー、それに本物の怪物。ありえないことだけれど、自分でも呆れるほどすんなり受け入れることができた。
──ずっと、なりたかった存在だから。
母親に引き取られて以降、一度も会っていない弟のことを思い出す。
一度だけ掛かってきた電話の向こうでは、相変わらず泣いていた。
あれから、もう十年近い。幼いころの涙はきっと、もっと楽しい記憶に上書きされていることだろう。……でなきゃ困る。
それでも冬也にとっては、あのとき弟の涙を止められなかったことが、ずっと後悔として残っていた。そして本当のヒーローになれば、あの日の弟のような誰かたちを悲しみから守ることができる。
十年間も胸の奥で密かにくすぶっていた信念の熾火。
それがいま炎となって、彼を突き動かしているのだ。
──黒き魔人レイジョーガーと、銀赤の騎士トナカイザー。二人の連携によって、またたく間に瘴角獣の数は半数以下まで減らされてゆく。
よし、このまま全滅させる! そう冬也が決意したのと、それはほぼ同時だった。
『……トウヤ……!』
「足元、気を付けてっ!」
脳内に聞こえる──おそらくルドルフの──声と、同時に響くレイジョーガーの警告に慌てて視線を向けた足元。
黒かった。夜だから、というレベルではなく、周囲の地面がすべて、墨汁をぶちまけたように真っ黒く染まっている。
目の端で、ついさきほど倒した一体がその黒い地面に溶け込んでいった。
「これは──」
まるで、瘴角獣が地面から出現するときの黒い穴のようだ。
逃げなくては、本能がそう感じたのと同時に、ぐらりと視界が揺れる。
「なんですかこれ?!」
足元の黒い地面が小山のように盛り上がってゆく。冬也は為すすべなく転がり落ちながら、衿沙に問いかける。
「巨大化!」
「……なるほど!」
倒した敵が巨大化するのは戦隊ものならお約束、驚くことではない。オタクとしての共通認識による高速の意思疎通で、すぐに平静を取り戻す冬也だった。……のだが。
──やばい。
視界が樹々の枝の中をぐんぐん上昇してゆく。
公園の入口辺りからあの兄弟がこちらを見上げている。その向こうには、クリスマスに浮かれた平和な街のイルミネーションがちらつく。
こんなバケモノを、公園の外に出すわけにはいかない。
しかし体の自由が利かない。
そして装甲に守られていても感じる、強烈な圧迫感。
トナカイザーの首から下は、立ち上がった巨大瘴角獣の右手にすっぽりと握りしめられていた。
「ちょっ、大丈夫っ!?」
自身は額の紫水晶による攻撃予測で退避したレイジョーガーが、足元から威容を見上げる。
──サイズは魔鎧龍ぐらいか。瘴牛鬼ほどではないけど。
樹々に囲まれ照明の少ない公園の、中央から生えた巨大な瘴角獣の上半身。おそらく毛むくじゃらのシルエットと枝角のおかげで、クリスマスできらびやかな街から見れば、木に同化して目立たないだろう。
そう衿沙は冷静に分析する。
しかしこの人喰いの巨獣を公園から外に出してしまったら、状況は逆転する。クリスマスに賑わう街はパニック必至。それはなんとしても避けねばならない。
「いまのところ大丈夫です! それより、こいつを外に出すわけには!」
二人の間で、その目的は共有できていた。しかしどうする。異世界側の存在がここまで大規模に侵蝕してきたことはない。
「トナカイザーになんか奥の手ないの?」
「奥の手………………すいません、わかんない……くッ……です!」
巨大瘴角獣に握られた冬也の返答は、すこし苦しげだった。さらに周囲からは、残った通常サイズの瘴角獣が迫る。
──そのときだった。
「……がんば……ぇえ……」
それは微かに、けれど確かに、耳に届いた。
トナカイザーの装甲が小さく上げるみしみしという悲鳴に紛れて、冬也にも確かに、聞こえた。
「……がんばれぇええぇっ!」
公園の入り口から見上げる兄弟。背負われた小さな弟が、小さな口から必死に絞り出す応援の声だ。
やはり、自分はヒーローの器じゃなかったのか? ちいさく消えかけていた冬也の胸の奥の火が、ふたたび強く燃え上がる。
「そうだ、俺は──」
同時に力が、みなぎる。微かに押し返した瘴角獣の巨指の隙間で、起動帯のレバーを回す!
「──守る!」
『CHOOSE PRESENT』
頭上に飛び出した金のカードは雷を背負うトナカイが描かれたDonder、そして。
『EXTRA』
カードの裏から真横にスライドし、もう一枚のカードが出現する。カード名はBlitzen、描かれるのは雷をまとうトナカイ。
『雷鳴』
『稲妻』
電子音声と共に二枚のカードは、それぞれ空中でぐるり逆向きの円を描き、トナカイザーの左右の角に吸い込まれる。
蒼白い光に包まれた双角より、ほとばしる雷は枝分かれして、蛇のように瘴角獣の手から腕を這いまわった。
ヴフォォォォ……オォオン……!
苦しげな咆哮を響かせて、巨獣はその右腕を大きく振りはらう。夜空にすっぽ抜けたトナカイザーが、きれいな放物線を描きながら、街の方へ吹っ飛んでいく。
「これって……!」
それを見送りながら衿沙は、紫水晶の分析のなかに、何かを見出していた。仮面の下、口元に微かに浮かぶ不敵な笑み。
──ただ、こいつを何とか抑えないと。
収まらない瘴角獣が地団駄を踏んで、足元にいたノーマル瘴角獣たちが踏みつぶされる。
だが、そこで巨体の動きは、ぴたりと止まった。
「……え?」
巨獣の両腕は左右に、まるで夜空に磔られるかのように掲げられ、その拘束から逃れようと頭を振って藻掻いている。
ほんの一瞬だけ幻影のように、白く輝く巨大な掌が、瘴角獣の両の手首を掴んでいるのが見えた。
──あれは、マリカの「聖掌」!?
続いて毛むくじゃらの胸の中心に、紫の光の十字架が浮かび上がり、瘴角獣は弱々しい咆哮を漏らしながら、だらりと頭を垂れた。
見間違えるはずもない、機能を制約された今のレイジョーガーには使えない最強の技──零星断罪刃・十字葬刻破の凶々しき輝きだ。
──エリシャ、あなたね!
この瞬間、きっと異世界でもみんなが戦っている。
侵蝕の規模が大きいだけ、互いの干渉力も大きいということだろう。おそらく、異世界ではすでに追い詰めている。
しかし、悪性干渉点は両側で滅さなければ、復活してしまう。
「よし──」
世界を隔てて離れていても、あの仲間たちと、何よりエリシャと共に戦える。それなら私は、絶対に負けない。
「──ここからは、クリスマスパーティーの開宴よ!」
見上げた聖夜に言いはなち、衿沙は踵を返すと、勝利の鍵──トナカイザーの元へ駆け出していた。




