03 黒き魔人
衿沙の全身を包んだ紫炎が散華して、そこに立つのは漆黒の魔人。
冬也を振り向きかけた瘴角獣が、気配を感じて向き直り、星空の下に異形と異形は対峙した。
「──葬装惡姫、レイジョーガー!」
縦も横も自身の二倍強ある巨獣に向け、腕を組んで見下すように言い放つ魔人──レイジョーガー。冬也は地べたに転がったまま、その勇姿を凝視していた。
すらりとスマートでありながら、強靭さも感じさせる中性的なシルエット。紫色の結晶体が、両目の位置と額の中央で計三つ妖しく輝く。
スーツがシンプルなぶん、右腕のみを覆う禍々しい重装甲と、左右の側頭部から天に伸びる角の存在感が際立っていた。
まるで正義と悪役の良いとこ取り──ズルいくらいにカッコいい、というのが特撮オタクとして冬也の抱いた印象である。
「衿沙さん、それ……」
よろけつつ立ち上がって、彼は問いかけた。
「話せば長いんだけど、コレは異世界の魔法の鎧を現世で使えるように調整したスーツなの」
彼女は微かにエコーの掛かった声で、さらりと解説する。
「んで、瘴角獣は異世界との悪性干渉点だから、倒さなきゃいけない」
「……なるほど。じゃあ、俺は子供たちを安全な場所に」
さも当然のように語られた、あまりに荒唐無稽な話を、しかし冬也はするりと受け入れ、すぐ自分のすべきことを見つけていた。
「うん、いいね! さすが特撮オタは理解が早くてたすかる!」
称賛する衿沙の、肩を掴もうと左右から迫る巨獣の剛腕。
対して彼女は一歩間合いを詰めながら、掲げた両手で太い手首を掴み、ぴたりと受け止める。
それを横目に走り抜け、冬也は子供たちのもとにたどり着いた。
いろいろ理解を越えている。だからこそ彼は、まるで自分がヒーロー作品の登場人物になった感覚で状況を客観視できていた。
──その感覚こそ、衿沙が異世界で戦い抜くことができた理由のひとつでもある。
「逃げよう!」
冬也の声で我に返った少年は、後ろで泣いている弟をうながし、しゃがんでおんぶする。少年の瞳に宿る、決意の光。
「こっちだ!」
何かがぶつかる衝撃音。瘴角獣の顔面に黒い魔人の右の拳がめり込んだ瞬間だった。
頭上の角がぶるぶると振動しているが、巨獣は一歩も退かない。
それに背を向け冬也は、子供たちを先導して公園の出口の方角へ駆け出す。
木々の間を通る道の先に、街の灯りが見えた。
ここを、走り抜ければ──!
『……トウヤ……』
また声が聞こえた。それが警告のように思えて走る速度を緩め、子供たちを引き留める。
足を止めた彼らの、目の前。道の真ん中に大きな黒い穴が、ばっくりと口を開けた。
もしまっすぐ走っていたら、瘴角獣の口そのもののようなこの穴に、まんまと落下していたことだろう。
「これって……」
冬也は思い出す。アトランティスにおけるペリュトンが「集団で人間を襲って殺す」という記述。
そしてゲーム内の瘴角獣は「大量発生」していると書かれていた。
そう、奴らは一匹とは限らない。
「ってことは……」
地面に開いた口のまわりが、黒く染まりながらざわざわと波打って、角を木の枝みたいに広げながら盛り上がっていく。
周囲に視線をめぐらせると、道の端にも木々の合間にも、同様に地面が黒くせり上がり角がにょきにょき生えていた。
──どうする。どうすれば、俺は後悔しない?
真横からは背負われた男の子の嗚咽が聞こえ、背後からは変わらず戦いの音が響く。
頼りなくて頼りがいもないはずの青年は、このときに限っては、ほんの一瞬で決断を下していた。
「行け! 走れっ!」
少年に檄を飛ばすと同時に、自分自身は前方の、地面から抜け出すように立ち上がった瘴角獣に向かって突進する。
何をしても効果ないのはわかり切っていた。それでも──
「弟を守れっ!」
兄弟が瘴角獣の包囲を抜けて行くのを横目に見ながら、毛むくじゃらの太い腕に胴をむんずと掴まれた冬也は──巨大な口のなかに、頭から丸呑みにされていた。
◇ ◇ ◇
──それは、弟が再婚した母親に引き取られて、最初のクリスマスイブだった。
まだ小学生の冬也はその日、預けられた田舎の祖父母の家の、近所の神社にひとり向かっていた。
神職も常駐していない、小山の上にある小さな神社。鳥居をくぐり石段を登り、辿りついた境内をきょろきょろ見回した。
耳に手をかざして、何かを聞き逃すまいとしている。
「こっち、かな?」
木々の茂る、神社の裏手を覗き込んだ彼は、そこで出会った。
──立派な角の生えた、毛むくじゃらの大きな生き物に。
「……泣いていたのは、きみ?」
おずおず問いかけると、草むらに体を横たえていた生き物は、微かに顔を上げ彼の方を向く。
黒く濡れた目と、赤い鼻が目を惹いた。
「……トナカイ……?」
実物を見たことはないけれど、絵本を弟に読み聞かせた記憶がよみがえる。
サンタのソリを引く八匹のトナカイたち。そして九匹目のルドルフは、皆から笑われていた赤い鼻で、暗い夜道を照らす役割を担うことになる。
弱っているように見えたトナカイに、冬也は手水舎の龍の口からちょろちょろ流れる水を、柄杓で運んで飲ませてあげた。
「ええと、だれか……大人を呼んできた方がいいかな?」
問いかける冬也の服の裾を、そっと噛んで引き留める。やがて彼はトナカイに寄り添って、弟のことやヒーローのことを話し聞かせながら、うとうとしてしまった。
砂利を踏む足音が聞こえて、ふと目覚める。雪がちらついていたけど、なぜか寒くはなかった。トナカイは、もう動かなくなっていた。
「ありがとう少年、彼のそばにいてくれて」
優しい声がした。目を向けると、柔らかい光を背負って立つふくよかなシルエット。細部はぼやけていたけど、なぜか直感でわかった。──サンタクロースだと。
「でも、なにもできなかったよ」
傍らのトナカイに視線を戻して、哀しげに冬也は応える。
「それはちがうよ。つらいとき、苦しいとき、その上でひとりきりだったら、痛みは何倍にも膨らんでしまうんだ」
サンタの声は穏やかに温かく、冬也の哀しみを包み込む。
「そばにいて、優しさを注いでくれたきみは、彼を戦いの傷の痛みから救ったんだよ」
「……そう、なの?」
「そうさ。そして、きみのようなよいこに贈り物を届けるのが私の役割だ。なにか欲しいものはあるかい? 願いごとでもいい。それを叶えられるモノを贈ろう」
唐突な、しかしサンタなのだから当然でもある言葉に、冬也はきょとんとして、それから少し首をひねって考える。
「うん……ぼくは……ヒーローに、なりたい」
「そうか。じゃあ最新の変身ベルトでいいのかな?」
「ううん、オモチャじゃなくて。本物に、本当のヒーローになりたい」
「ほうほう。ヒーローになって、きみはなにをするんだい?」
サンタは、興味深げに問いかけた。
「泣いてる子を助けたい。弟や、トナカイが、泣かなくていいように守りたい」
即答だった。悪者をやっつけたい、ではなく、助けたい、守りたいと。
それを聞いたサンタは、しばらく沈黙した後、大きくうなずく。
「……わかった。ただしヒーローには危険がつきもの。だから、きみがもっと大きくなって、それでもまだ同じ気持ちでいてくれたら、そのときはヒーローになってもらおうと思う」
背負った大きな袋の、虹色の光こぼれる口の中から、緑の紙で包装された箱を取り出す。
「彼の──ルドルフの役目を受け継いで、クリスマスと子供たちの守護者に」
同時に冬也の傍らで、もう動かないトナカイの鼻が輝いて、赤い光の玉がふわりと抜け出してサンタの手の緑箱に吸い込まれ──赤いリボンに成って装飾が完成した。
──瘴角獣に呑み込まれた闇の中で冬也の記憶の蓋が開いたのは、あの緑の箱が、仄かな燐光に包まれながら目の前に浮かんでいたからだ。




