02 アトランティスの怪鳥
「──えっ!?」
「きみも好きなんだ?」
凛々しさの奥から、お仲間発見!の嬉しさだだもれな輝きを瞳に宿して、彼女は問いかけてくる。
「はい! あ、俺はリアルタイム世代じゃないんですが」
「んん? 何そのひっかかる言い方。私も、履修したのは後からなんですけど」
「あっ、ごごめんなさい……」
「いいよ、わざとじゃないのわかってるから」
うふふ、と悪戯っぽく笑う。至近距離で放たれたギャップ萌えの直撃弾を喰らい、冬也はもはや瀕死である……。
もしかしたらこの出会い、あわてんぼうのサンタクロースが数日早くやってきたのかも知れない。夢見心地の彼の目はそのとき、ふとスマホを持つ彼女の右手──手首に巻かれた黒い腕輪に、吸い寄せられた。
「そっちの腕輪は、何のやつでしたっけ?」
「えっ……これ? これはあれ、ほら、ただのスマートウォッチ的なやつ」
「……あ、そうなんですね。ごめんなさい、何かの変身ブレスかなって」
言われてみればシンプルなデザインで、何かと似ていたわけでもない。なぜそんな風に思ったのだろう、と自分でも不思議だった。
「──うん、まあ、そうかもね。さてと、それじゃ私、もう少し見て回るから」
彼女はどこか曖昧に言葉を濁し、LINEに連絡先が登録されたことを確認すると、そう告げる。──もしかして触れてはいけないことだったのだろうか、と後悔が露骨に顔に出る冬也を見て、彼女は思わず小さく噴き出していた。
「ふふっ……よろしくね、鹿角 冬也くん?」
そして登録名の読みを確認するように、彼の名を呼んだ。
「はい! ええと……」
冬也もスマホの画面を確認する。現在放映中の戦隊モノのブラックのアイコンに添えられた名は「衿沙」。えりしゃ? いや、えりさ? ここでまた間違えたくないという気持ちで、逡巡してしまう。
この決断力のなさが頼りなさの原因だと、自覚はしているのだけれど。
「私は倉城 衿沙。好きなように呼んでくれていいけど、一応、お前以外でお願いね」
そして微笑みと芳香を残し、彼女は雪のちらつく夜に消えていった。
◇ ◇ ◇
「──冬也、今日はもう上がっていいぞ」
迎えた、クリスマスイブ。
カウンター奥から掛けられた叔父の声を聞き、冬也はエプロンの紐をほどくべく手を背に回した。
まだ夕方の五時半。イブだから気を使って早く帰らせてくれる、わけではなく、このあと喫茶店の常連さん限定のクリスマスパーティを開催するらしい。
叔父いわく「本物の大人になったら参加させてやる」そうだが、あまり興味はなかった。
あの後、衿沙が口にした謎の単語を調べてみた。
たしか「ペリュトン」と言っていたはず。耳に、妙に残っている。
すぐにGoogle先生が「アトランティス大陸に生息した怪鳥」だと教えてくれた。
牡鹿の顔と脚に、鳥の翼をもち、集団で人間を襲って殺す。彼らの影はなぜか人間の形をしていて、人を殺すことで本来の影をとりもどす、とある。
そしてもうひとつ検索網の上位に掛かったのは、スマホ用ゲームのクリスマス限定イベント開始の情報だった。
大量発生した魔物「瘴角獣」を駆除する、という内容だ。
ずんぐり体形で赤黒い毛むくじゃらの怪物のイラストには、目も鼻もなくて、やたらと大きく裂けた口だけが不気味に笑っている。頭部に生えたトナカイっぽい角がかろうじて、クリスマス要素を担っているようだ。
クリスマスのうちに全滅されば、喰われた人たちを救い出せる! ということらしい。
毛むくじゃらの怪物に喰われた、という話には、どちらかというとゲームの瘴角獣のほうが合致しそうだ。
女性向けであろうそのゲームの、イベント限定だというサンタやトナカイの扮装をした美形キャラたちも並んでいる。なかでも片腕を黒い装甲で覆った、中性的な雰囲気の銀髪美少年がなんとなく目についた。
怪物に遭ったという女性は酒に酔っていたというし、もしかしてこのゲームを遊んでいて、現実とごっちゃになってしまったとか……?
そんなことを考察しながら冬也は、気付くとあの公園の方に向かって歩いていた。
手前の商店街で、さすがに行ってもしょうがないと足を止める。広場ではクリスマスイベントが開催中で、手作り感あるイルミネーションのなか、熟年グループがハンドベルを奏でている。
それを聞くでもなく、いちばん離れた位置のベンチに腰掛ける。
衿沙に連絡をしたくていろいろ考えてみたが、結局なにも思い出せなかった。
迷った挙句、あのまま寝ていたら普通に命が危なかったかもしれないことにようやく思い至り、今日の昼にめちゃくちゃ丁寧な長文のお礼を送信した。
スマホを確認してみたが、返信はまだない。
──そのとき、ふと。誰かに呼ばれている気がした。
辺りが急激に、暗くなっていく。ハンドベルの奏でるジングルベルが遠ざかる。
そこで、唐突に思い出す。昨日もこんなふうに、急に意識が薄れて、気付いたら公園で寝ていたんじゃなかったか?
とにかく、必死で意識を保とうと抗う。
『……トウヤ……』
再び、誰かに名前を呼ばれた気がした。浮かぶイメージは、大きくて毛むくじゃらで、立派な角のある生き物。
ペリュトン、だろうか? ……記憶の底の蓋が、もうひと押しで開かないもどかしさ。
また何かが聞こえて、彼は耳を澄ます。
誰かが泣いている。それは──子供の泣き声。
視界のなかに浮かんできた見覚えのある景色は、先日の公園のようだ。何かに怯えた表情の中学生ぐらいの少年が茫然と立って、その背に隠れた小さな男の子が泣きじゃくっている。きっと兄弟だろう。
弟を背にかばう少年に向かって、にゅっと伸びる毛むくじゃらの太い腕。
──やめろ!
声は出ない。体も動かない。ただ男の子の泣き声が頭の中いっぱいに響いて──浮かんできたのは幼いころ、母親が家を出て行ってから泣いてばかりの弟を慰めたくて、ダンボールで作ったベルトを腰に巻き、ヒーローに変身してみせた思い出。
「──起きろッ! 冬也ッ! 起きろぉぉぉ!」
冬也は絶叫していた。同時に体が動く。前方には、角のある赤黒い毛のむくじゃらの巨体の背中。そのさらに前方に、怯えて動けない兄弟。
迷っている時間はない。全力で肩から体当たりしていた。
「ぐぎゃっ」
そして情けない声をあげながら、巨木のような圧倒的質量に思いきり跳ね返されて、地面に転がる。
……グモォオォ……
くぐもった咆哮を響かせて、ゲームの記事で見た瘴角獣そっくりの怪物が、ゆっくり振り向いた。
ゆるキャラのようにずんぐりした巨体の頭部で、巨大な口がいっぱいに開き、並んだ牙のすき間から涎がしたたり落ちる。
──やばい。
とりあえず、注意をこちらに向けることはできたけど、この先のことは何も考えていない。
瘴角獣の巨体の向こう側、兄弟は状況を理解できず、まだそこにいる。
「逃げ……て……」
絞りだした冬也の声は、全身の痛みでかすれてしまう。このまま無駄に喰われるのだけはいやだなと、少し他人事のように思った、そのとき。
「よくやったぞ、冬也くん。ちょっと疑ってごめん」
強くて温かい声が、彼の鼓膜を叩く。
白いコートの裾をひるがえし、兄弟を背にかばって立つ衿沙の姿がそこにあった。
「──纏装!」
彼女は右手を顔前に掲げ、凛と言い放つ。手首の黒い腕輪から紫色の炎が溢れだして、彼女の全身を包み込んでいた。




