63 惡装鋼姫レイジョーガー【前篇】
目覚めると、そこは見慣れたベッドの上だった。
一人暮らしには充分すぎる、2DKのお部屋。
戸棚に並ぶ、愛しのヒーローたちの勇姿。
なにもかも、いつも通りの朝だ。
けれど私は、胸に穴が空いたような喪失感に包まれていた。
右腕に抱きしめていた魔黒手甲の感触がまだあって、掛け布団をめくると一瞬だけ紫の光の粒子が舞った──ような気がしただけ。そこには何もない。
あれは夢? いいや、そんなはずない。それだけは、はっきりわかる。あの日々が夢なんかであるものか。
何より枕もとの電波時計の日付表示はちゃんと半年経過していたし、その間の記憶も──経験はしていないけれど──しっかりと、頭の中に残っていた。
そう、そればエリシャ・ダンケルハイトが倉城 衿沙としてOL生活を送っていた記憶。
当然ながら、こっちはこっちで色々なことがあったようだ。
「うわあ……」
それらを反芻して、思わず頭を抱える。
まず当然のように彼女は、不器用に例のセクハラ上司と衝突していた。
そして即、雄弁で叩きのめした。以降、彼はすっかり大人しくなって、私は同僚たちからも感謝されまくった。
その後なんらかの力が働いて、企画営業部に異動させられる。しかしそこでも雄弁とカリスマを発揮しまくった私には、今やなんと主任の肩書きまでくっついていた。
──ぶっちゃけ荷が重い。けれど、今の自分になら、どうにかできそうな気もしている。何せこっちは国ひとつ救ってきてるんだ。
そういえば、なんだか肩周りは逆に軽いような気がする。肩と言うか、頭かな? ──起き上がって覗き込んだ鏡台の前で、私は固まる。
「これ、私……か……」
映っているのはもちろん、ヒロインオーディション必勝の超美少女ではなくて、二十五年見慣れた私自身のよく知る顔だ。
けれど、自分で言うのもなんだが、鏡の中にいる私は、私の知る私よりも明らかに──素敵だった。
実はずっと、髪を短くしたかった。子供のころ憧れた特撮ヒロインたち──長い髪をなびかせた彼女も、ツインテールを飛び跳ねさせる彼女も好きだったけど、いちばんなりたいと思ったのは、ショートカットで凛々しく戦う彼女だった。
でも、短い髪が似合うのは本当の美人だけとか、知ったふうに囁くどこかの誰かの声が聞こえる気がして、ずっと勇気が出なかった。おとなしいお前は、おとなしい髪型にしておくのが無難だと。
鏡の中の私は、軽やかなショートカットがよく似合う。
それに表情のせいだろうか、それとも瞳に宿る自信の光か。どことなく、凛とした空気をまとってさえ見えるのだ。
さらには鏡台の前、メイク道具もいくつか買い足されている。髪型に似合うよう、透明感と凛々しさを際立たせるメイクを研究し、その成果をエリシャは私の記憶の中に残してくれていた。
ふと見れば、買うだけ買ってタンスの肥やしにしていた、クールなダークカラーのパンツスーツが、きれいにアイロンがけされてハンガーに待機している。
「そういう、ことか」
紐づいた記憶を反芻しながら、納得する。
私がエリシャを守るためレイジョーガーに変身していたように、エリシャもまた、私がなりたかった私への「変身」をしてくれていたんだ。
それから私は、ダイニングテーブルの真ん中に鎮座する、分厚く重い「パラディン☆パラダイス究極設定資料集」を見つけて、丁重に本棚に移動した。
貼り付けられた無数の付箋で、エリシャの真面目さを目の当たりにし、口元を緩ませながら。
彼女は衿沙としてよりよく生きていくための行動も、エリシャの世界に帰還したときのための準備も、見事なまでに両立していた。本当に、すごい十五歳だ。
そして、私はあの世界で彼女の命を守り切ったのだ。胸の内側から滲むようなこの熱は、きっと誇らしさなのだろう。
とはいえ、浸ってばかりもいられない。
まずは、エリシャがミオリの面影を求めて買い漁った、見るからに高価そうな缶入りの紅茶を味見しつつ。衿沙としては半年ぶりの、出社の準備をしなくては。
──それからの数カ月は、まさに怒涛のように、目まぐるしく過ぎ去っていった。私は私なりに、エリシャの残してくれたものを無駄にせず引き継げていた。
「パラパラのアニメ、劇場版が製作決定したの!」
金曜の退社後。テーブルを挟んで、丼の湯気の向こうに浮かぶ満面の笑顔は、私の高校からのオタ友である奈津美だ。
入れ替わってすぐのころ。突如としてパラパラ──パラディン☆パラダイスをプレイし始めたエリシャに対し、彼女はたくさんのアドバイスをしてくれた。
それだけじゃなく、エリシャのどこかおかしい様子を察して、深い詮索はせずに色々と相談に乗ってくれていた。
──さすが、本業・心理カウンセラーだけある。やっぱり持つべきものはオタ友だ。
感謝のしるしに、今月の女子会のラーメンは私の奢り。ちなみにエリシャは淡麗系醤油ラーメンがお気に入りだったようで、さすが、私と好みが合う。
「しかも、ゲームで未実装のエリシャ生存ルートを、エリシャ視点でやるらしいの」
「へえ、すごいね!」
細縮れ麺をすすりながらのリアクションが、我ながら白々しくなったのは、その情報もチェック済みだったせい。ええ、今の私は特撮に対するのと同等の熱量で、パラパラの最新情報もネットより収集しておりますから。
「それが、ちょっとメタ展開っていうか、世界をゲームのようにループさせて愉しんでいた神様がいて、その神様と戦うお話みたい」
おそらく、パラパラはいまも二つの世界の相互干渉点──「窓」としての役割を失っていないのだろう。だからこそエリシャが主役の物語が作られる。しかも上位存在に挑まんとするお話だという。
わかる。彼女なら、そうするだろう。
「観るでしょ?」
「もちろん!」
即答。それだけは、何があっても見届けなくては。
──ヴヴッ。
そのとき、スマホが振動して新着メッセージを報せる。職場の後輩の詩織からだった。どうしても相談したいことがあって、今日これから会ってほしいという。
生真面目がメガネをかけたような彼女は、エリシャが部署を移動したあと、例のセクハラ上司に次のターゲットにされかけていた。
それを知ったエリシャは、当てにできない人事部に代わって元部署に単身で乗り込み、周到に準備した証拠画像や録音データを突きつけ彼に引導を渡したのである。
さすがに辞職することになった彼のその後については、なんでも怪しいネットビジネスに手を染めているとかなんとか。うん、二度と関わりたくない。
淡麗系醤油ラーメンを手早く食べ切り、奈津美に謝罪と埋め合わせの約束をして店を出る。食券制なので、ラーメンを奢るという目的は達成済みだ。
そして詩織から送られてきたGoogle MAPのリンクを辿り、早歩きで目的地へ向かう。今日はすみれ色のブラウスに濃紺のパンツスーツ。その背筋をぴんと伸ばして、颯爽と。
辿り着いたのは、路地を少し入って階段を地下に降りた先の、表札もない扉。
その向こうの「ネットには載せていない、落ち着いて話せる隠れ家的なお店」で、詩織が待っているはず。
階段を降りながら、ダンケルハイト邸の地下室を──あのはじまりの日を思い出して、胸がざわめいた。
こんなときミオリがいてくれたら、どんなに心強いだろうと思ってしまう。けど、ないものねだりはしてられない。実際は私の方が年上なのだし。
──覚悟を決めて、私は冷たく重い扉を開けた。




