62 令嬢の帰還【後篇】
レイジョーガーこと纏魔鎧装零式・星牙の本来の開発目的は、魔黒手甲の完全起動にあります。
ダンケルハイトの血脈のみならず、膨大な魔力と卓越した魔力操作の技術、更にはセンスと相性──およそ本人でなければ使いこなすことは不可能とされる「ダンケルハイトの鎧」を完全復活させるための「補助具」を作る。
それが若き日のお母様とお父様のスタート地点でした。
ずっと右腕に抱きかかえてきた、私が聖剣で魔鎧龍ごと両断にしてしまった魔黒手甲。その半分は、さきほど目覚めたときにはもう紫の粒子を遺して消滅していました。
けれど、もともと不足を補うために作られたレイジョーガーの輪具さえあれば、残された半分だけでも何とかできるかも知れない。あとは──
『ええ、あとは調整してみるわ』
ダンケルハイトの優しい声が、聞こえた気がします。
私は天に掲げた右腕に、左腕を交差させながら、黒い輪具に半分の魔黒手甲を添える。それは紫炎の渦に姿を変えて、輪具に絡みつく。
「無駄な足掻きを! そんなものを起動する魔力が、おまえのどこに残っている!」
私の狙いを察したのか、皇帝が大仰に嘲笑います。
確かに、ほんのわずか眠っただけで回復した魔力は微々たるもの。対して完全起動には、私本来の魔力の限界まであってもぎりぎり足りるかどうか。
けれど、大丈夫。
「ラファエル先輩──!」
私はその名を呼びます。落ちるしばしの沈黙、そして。
「──はいはい、お待たせいたしました」
小さく聞こえた柔らかな声は、戦いの舞台と正反対、迷宮口のほうから。
そこに立つ、あいかわらず緊張感のない声の主・第二王子ラファエルこそ最後のピース。視線を向けると彼は、手にした杖の下端を地面に突き立てたところ。
それと同時に私の足元から、手のひらサイズの白い球体が、地面を透り抜けぽこりと空中に飛び出した。
デフォルメされた愛らしい目と口を備えるそれは、地下迷宮への避難誘導でも活躍したラファエルの使役魔メラるん──なかでも白色の彼は、二者間の魔力譲渡が可能です。
シロるんが私の胸に吸い込まれ、そこからじんわりと魔力が体に沁みわたります。これだけでは、焼け石に水だけれど。
「おのれ、小賢しい真似をッ!」
気付いた皇帝が、動く。同時に私の足元からは、続けざまにぽこぽこと無数のシロるんが飛び出して、私の胸に殺到してきます。
それは、私の立つ地面のずっと下、地中に広がる迷宮でラファエルが集めてくれた、避難者から私への支援──!
全身に満ちていく魔力と共に、シロるんに込められた想いが微かに伝わります。
それは魔戦士への畏れとすこしの憧憬と、なにより強く込められていたのは、自分たちを、王国を、王妃様を、家族を、彼を彼女を──愛するものを──守ってほしいという願いたち。
──ええ。私に、お任せなさい。
溢れる魔力が、紫の燐光となって私の体の輪郭をなぞってゆく。黒髪が重力から解放されて、ふわりと肩上に拡がります。
しかし、そこに皇帝の蒼と金の巨体が猛襲する。
暴力的な威圧感をまとった巨大な人型の鉄塊を、両サイドから捨て身の体当たりで足止めしてくれたのは、王子と皇子でした。
「纏装──」
躊躇わず、私は呼びます。右手首の輪具に絡みつく紫炎の渦に、全身に満ちる魔力が濁流のように吸い上げられる。
同時に私の足元から、紫光のラインが地面に複雑な幾何学紋様を描きつつ、円形に拡がってゆく。
形成された巨大な魔紋円の中心に私は立つ。
二人のプリンスを一撃に撥ねとばして迫る鉄塊が、大地を凹ませながら円の内側に踏み入れた瞬間──円全体から天に向けて柱のように噴き上がった紫炎の奔流が、侵入者を外側に弾き出しつつ私を呑み込んでいました。
紫に染まった視界の中で、私の全身を大きくて温かなものが、ふわりとした浮遊感とともに優しく包み込んでいく。
それはいつかのお母様の抱擁のように、そして衿沙が一緒にいてくれたころのように、溢れる心強さを私に与えてくれます。
これが、魔黒手甲の疑似完全起動──あまりに強く大きなその力について、設定資料集にはただ「最強の魔鎧」の仮称でしか載っていなかった。
けれど、衿沙の愛する特撮を最新のテレビや映画まですべて履修してきた私には、それをなんと呼ぶべきかがわかる。そう、その名は。
「──シン・レイジョーガー!」
紫炎の散華と共に、誇りを込めて名乗ります。晴れた視界に映る光景は大きく拡がっていて、立ち上がったアスラデウスが呆然とこちらを見上げていました。
──魔戦士ダンケルハイトは、常人の倍の身の丈を誇ったと云う。
私は、まさに伝承通りの巨大な漆黒の魔戦士の姿に変じていたのです。正確には、巨大な魔鎧の上半身胸鎧内に私の体が収納されているかたち。
レイジョーガーとは違って己の体型に関係なく、ひたすらに屈強な超重装騎士として、皇帝より頭三つぶんも高い目線で立ちはだかるのです。
「さあ、仮面舞踏会を続けましょう──!」
言い放って踏み出した、ずしりと重い右脚は、自分のものと遜色ない自由さで動く。
額には変わらず第三の目として、お母様の形見の紫水晶が私をサポートしてくれています。
「おのれ魔戦士ッ! またも我が前に立ち塞がるかッ!」
吠える皇帝ですが、そのへんの因縁は残念ながら設定資料集には書かれておらず──なので申しわけないけれど、知ったこっちゃありません。
私にとっては目の前にいる真の黒幕を討つ、ただそれだけ。
激昂する皇帝は両の手に、蒼金の炎から巨大な両刃剣と長方盾を創り出すと、それらを振りかざして襲いかかる。
対する私は、地響きを上げながらも無造作に歩を進めます。
「鏖崟魔塵劍んんん!」
間合いに入ると同時に、皇帝はぎらつく黄金光に包まれた大剣を振り下ろしてくる。
対する私は攻撃予測をなぞって眼前に迫るその兇刃を、左手の指三本でつまんで静止させつつ、堅く握りしめた右の巨拳を打ち下ろします。
鳴り響く凄まじい破壊音と、身代わりでくの字にひしゃげた大盾を残し、足裏から蒼炎を噴射して後方に高速離脱する皇帝の巨体。
その頭部で紅い八眼が輝き、背からも八本の攻撃予測線が周囲に走る。その先は私でなく、周囲に散った仲間たちのもとに延びています。
シン・レイジョーガーの第三の目は自分だけでなく、守るべきものたちへの攻撃予測も可視化してくれる。
ダンケルハイトから代々のご先祖さまたちに大切に継承され、お母様とお父様が蘇らせ、そして衿沙が命を吹き込んだ、そう、これは誰かを守るための力──!
「己が無力に絶望せよ魔戦士ィィッ!」
絶叫と共に皇帝の背から四方八方へ蜘蛛の巣のごとく伸びるのは、狂魔学者の魔鎧の尻尾と似た、先端の尖った黄金の触手。
正面からは敵わないと察し、触手で仲間たちを刺し貫いて、私の心を折ろうとでもいうのでしょう。
対して、私は握りしめた右の拳に、残る全魔力を注ぎ込みます。ダンケルハイトが衿沙に伝えた技を、衿沙の記憶を通して、私が受け継ぐ!
「零星『真』拳ッ!」
足首まで埋まるほど大地を踏みしめ、真っすぐ突き放った紫光まとう正拳は、肘から先が切り離されて、紫炎噴射の尾を長々と引きながら宙を翔けます。
紫光の弾丸と化した魔拳は、魔鎧内部で私が振るう右腕に連動して縦横無尽に翔け廻り、触手を次々と叩き潰し、引きちぎる。
そして最後に、成すすべなく棒立ちの皇帝を頭部を直上から、漆黒の五指で鷲掴む。最高出力の紫炎噴射で、藻掻く巨体の膝をつかせ、さらに顔面を大地に押し付けて──その姿を見下しながら、私は冷たく優雅に宣告するのです。
「これにて──終宴」
瞬間、魔拳に注ぎ込まれていた膨大な魔力が解放され、紫の爆炎の柱となって、皇帝の巨体を呑み込み天まで迸っていました。
天を突く火柱に背を向ける、魔力を使い切って粒子化しつつある魔鎧胸部から、黒髪とドレスに風をはらませて、ふわりと地面に飛び降りる私。
「……やった、か?」
視界の端でミハイル王子が、剥き出しの上半身から溶け落ちた魔瘴装甲をどろりと滴らせながら、呟きます。……こ、これは見てはいけないやつ……そして、それは口にしてはいけない台詞のような……。
「……おのれ……おのれ魔戦士ィイィ……!
案の定、怨嗟の声が響きます。肩越しに振り向くと、薄れゆく紫炎のなかから、魔鎧を一片も残さず失った皇帝が這い出して、よろよろと立ち上がったところ。
その全身は、無数の魔紋が放つ蒼い光に包まれ、守られているようです。
「だが我は不死身なりッ! 何百何千年掛けようと、必ずやお前の王国を──」
のたまう皇帝の足元には黒穴──転移門が拡がりはじめています。ここで逃がすわけにはいかない。しかし私は慌てず騒がず、簡潔に二言だけを発するのです。
「右肩、真後ろ」
聞いた皇帝の表情が、明らかに変わる。
「御意」
一瞬の間も空けずに続いた影狐の声と共に、皇帝の右肩から、紫の光刃の切っ先が生えた。
背後から魔刀黒逸で、私の示した右肩後部を刺し貫いた彼女は、そのまま皇帝の背を蹴って、とんぼ返りで離脱する。──さすが、私のお姉ちゃん!
皇帝の全身の魔紋からは光が失われ、くすんだ青灰色に変じてゆく。無数の魔紋のなかで、いま影狐が貫いた右肩のそれが、全体の制御を統括する特別な魔紋だったのです。
「なぜ……知って……」
疑問も無理はない。一日ごとに場所の入れ替わる統括魔紋の位置は、皇帝本人しか知らないはずなのだから。
「それは──」
だって、設定資料集の手書きイラストに「じゃくてんはココ→」と走り書きされていたんだもの……と事実を答えるわけにもいかないので、こう言っておきましょう。
「──私が、悪役令嬢だから」
意味もわからず困惑を深める皇帝の、魔紋の守りを失ったその顔面に次の瞬間、実の息子の蒼い鉄拳が叩き込まれる。その巨体は宙を舞い、瓦礫のさなかに頭から突っ込んで、そのまま動かなくなるのでした。
「さあ、これで皇帝の座は空位。どうだ、エリシャ? 改めて、帝国の玉座に興味はないか?」
ほんとうに懲りないひと。だけど、彼の声と表情はこれまでで一番、真剣でした。
ふと不穏な気配を感じて見回すと、いつの間にかラファエルと並んでこちらに向かってくるユーリイ──私の婚約者様が、ものすごい顔でアズライルを睨んでいます。
帝国の子供たちと連れだって、眠そうな目をこすりながらこちらに向かってくるマリカの姿もあります。視線に気づいて満面の笑顔と共に立てた彼女の親指に、私も笑顔と親指を返す。
そして私の傍らに控える影狐にも、二人で笑顔と親指を向けるのでした。彼女はすこしだけ躊躇してから仮面を外して、親指を立てながら、はにかんだ笑顔を見せてくれます。
──今度こそ、本当に、すべてを守り切った。みんなを、そして自分自身を。その実感が湧き上がる。
ひとつだけ物足りないのは、誰よりもこの想いを分かち合いたい彼女が、今は別の世界にいるということ。
「そうね。帝国の玉座、考えておいてあげる」
右腕の、魔黒手甲が変化した第二の輪具に触れながら、アズライルに答えます。
これから私はもっともっと力と知識を得て、強くならなくちゃいけない。もう上位存在なんかに、振り回されないくらい。
その手段として、帝国の玉座もひとつの道かも知れない。
「私を、女帝に迎えるならね」
そしていつか衿沙に直接、はじめましてとありがとうを伝える。──それが今日から、私の描く夢です。




