54 令嬢VS皇子
【視点切替】エリシャ ◀ ミオリ
──空中に、縦横無尽の紅い線が描かれてゆく。
レイジョーガーの額で輝く紫水晶が、エリシャの視界に投影する攻撃予測線だ。
一瞬後には線をなぞって、アスライザーの蒼い腕から脚から鋭い打撃が繰り出される。
そのぎりぎりを避けつつ、間隙を突いて私も攻撃を放つけれど、同じようにぎりぎりで避けられてしまう。
恐らく、相手の視界にも私の攻撃を予測する線が走っているのだろう。それは傍目には、あらかじめ振り付けられた演武のように──あるいはまさしく二人の仮面舞踏に映るのかも知れない。
そして互いに避けようのない線が描かれたとき、蒼と黒の拳が蹴りが激しくぶつかりあって、庭園全体に衝撃波が駆け抜ける。周囲の白砂利が舞い上がり、庭木の枝がぶるぶると震える。
「やるじゃあないか、エリシャ・ダンケルハイト」
何度目かの激突の後、距離を取って彼は言った。
「ええ、あなたもね」
私の返しは、精一杯の強がりだった。
両手両足は痺れ、感覚を失いつつある。
そして左肩の装甲には、アスライザーの拳を喰らった痕として、蜘蛛の巣のように亀裂が走っていた。さらに右の脇腹に刻まれているのは、貫手で抉られた傷跡。
その両方から、装甲を形成する魔力が紫の粒子と化し、少しずつ大気に溶けてゆく。
対してアスライザーの目立った損傷は、私の手刀がへし折った片方の角ぐらいだろう。
現状は、明らかに向こうに利があった。もしこの半年に地下迷宮で積んだ実戦経験がなければ、私はとっくに敗北して地に伏していただろう。
「──でも、負けられない。そんな疑神化には」
自分に言い聞かせるよう、口にする。アズライルの額に輝く、数多の犠牲の上に刻まれた忌まわしき魔紋を、見据えながら。
「その口ぶり、おまえは疑神化がどんなものか知っているようだな」
「──あなたのその力のために、どれだけの犠牲が?」
アズライルの口調は先刻までの余裕綽綽から、静かで淡々としたそれに転調していた。蒼と黒、互いに悪鬼の仮面の下、表情はわからない。
「知りたいのか」
「え……?」
意外な問い返しに一瞬、面食らう。しかし彼は構わずに言葉を継いだ。
「百と三十四人だ。地獄の激痛に耐えて刻印に成功しても、魔力の暴走で命を失い、そうでなくとも体のどこかを失い、記憶を失い、正気を失い──まともに使えたのは、そのなかで俺だけだ」
堰き止められていたものが解き放たれたように、彼は言葉を一息に吐き出す。
「そのひとりひとりの名を、顔を、忘れはしない。だからこそ──」
どうやら、私は心得違いをしていたらしい。彼にとって、額の魔紋は決して軽いものではなかった。それゆえに。
「──俺は敗けない。そしてもう誰にも、禁呪を背負わせない」
彼は強いのだ、こんなにも。
帝国の内部事情は知る由もないけれど、彼が疑神化の適合者として戦い続けている限り、兄弟姉妹にこれ以上の刻印が施されることはないのかも知れない。
「私は、あなたを誤解していたのかも知れない」
「妃になる気になったか?」
元通りの調子で、右手を差し出してくる。懲りない男だ。
「いいえ、まだ。だってあなたは、皇帝の言いなりのお人形さんでしょう?」
もし私がこの展開を、映像作品としてテレビの前で見ていたのなら、危うく推しになるところだけれどね。残念ながら今の私は、傍観者ではないから。
それを聞いた彼は、差し出していた右手をゆっくりと下げる。
「お前は何も知らないから、そんなことが言える。皇帝には逆らえない。誰も信用できないあの帝国で、それは単騎で神に抗うようなものだ」
確かに、私には知り得ない事情もあるのだろう。あるいは、異母兄弟姉妹たちを人質にとられているような状況なのか。
そして、ふと思う。
彼は以前のエリシャと似ているのではないか。
その尊大さは、ひとりで背負った重荷から、秘めた心を守るために纏った鎧なのかも知れない。
だとしても──いいえ、だからこそ私は。
「──私は、守りたいもののためなら運命にだって抗う!」
「ならば……ならば俺を倒してみせろ! 俺にさえ勝てぬお前が、皇帝に抗うなど夢物語よ!」
私にも背負うものがある。だから敗けるわけにはいかない。そして、私は彼とは違う。
だって、独りじゃないから。
──視界の端に警報が点ったのはそのときだ。銀色のキツネの紋はもちろん私の頼れるおねえちゃん、ミオリからの報せ。そう、私はこの瞬間を待っていた。
その直後。激しい閃光が、庭園を包み込む。
計画は順調のようだ。これは王妃様と入れ替わったミオリが、敵を引き付けて使う算段になっていた閃光玉の輝きだ。
このあと、脅威となり得るのは魔鎧だけという敵の思い込みを突いて、もうひとつの対抗手段である魔刀「黒逸」で不意を打つ。
その流れの中で「絶聖の加護」が発動してくれれば完璧──なんだけど、なにこれ?
視界の端に図解化された戦況進捗を流し見るかぎり、マリカが一人で魔鎧将を一体無力化したことになってるんだけど……。
しかし、そんな疑問に足を止める暇はない。暴走聖女ならあり得ない話でもないし。
今、私が向き合うべきは、目の前の敵だ。
レイジョーガーの紫水晶の双眸は一時的に黒い対閃光遮光板で覆われている。
白黒に反転した視界の中で、状況に対応できず棒立ちのアスライザーと間合いを詰めつつ、右腕を指先までまっすぐに天へと掲げる。
魔刀「黒逸」の正しい使用法が解析され、レイジョーガーの尖踵に組み込まれていた魔紋も、より実戦的な形態となった。
それが対多の零星煌閃と並ぶ、対強敵の切り札。その存在を知られ警戒される前に、この初撃で決める!
零星断罪刃───
私の右腕、手刀から肘までを覆うように顕現した紫光の刃──それをアスライザーの額、蒼輝石に浮かぶ禍々しい魔紋へと振り降ろす!
閃光が、収まった。しかし光刃は魔紋に届かず、掲げられた蒼い両掌に左右から挟まれ、受け止められている。
「くだらん小細工を!」
吐き捨てるアズライル。実に見事な真剣白刃取りだった。
そして同時に私は左腕を、右横から真一文字に薙ぎ払う。
──十字葬刻!
左腕側面に輝く第二の光刃が、彼の蒼い胸部装甲を斬り裂いていた。




