53 魔刀一閃
ざん。
──余りにも薄味な音を響かせつつ、王妃様のドレス姿の首から上は、空中に刎ねとばされていた。
「ふっはははっ! ざまをみろ!」
鳴り響く耳障りなジブリールの哄笑のなか、空中を舞う頭部は放物線の頂点まで到ると──まばゆい閃光とともに、爆発四散する。
「はああ!?」
続くジブリールの驚愕の声のなか、閃光が収まった地上では、メイド服姿がリヒトに手を引かれて地下迷宮の方へ駆けてゆく。
騎士ルイゼも、そこにぴったりと付き従っている。
それを見送ってから、首をドレスの内側に収納していた中身は跳躍した。足元に抜け殻を残し、空中で藍色の忍び装束姿に転じて、黒い狐面を装着しながらマリカの傍らに降り立つ。
──忍法、虚蝉の術。
そう。ミオリのメイド衣装姿をしているのが王妃様、そして王妃様のドレス姿だったのが私だ。
入れ替わったのは式典のはじまる直前の控室。お渡しした旦那様からのお手紙を一読してすぐ、「あら、面白そうね」と快諾されたのにはさすがにちょっと呆気にとられたけれど。
「おつかれさま、影狐ちゃん」
もちろん、マリカはお見通しだった。彼女の勘の鋭さは忍びの隠形もあっさり上回る。影狐がミオリであることもとっくに気付かれていたし、おそらくはエリシャ様のことも……
「……あー、やめだやめだ。皇帝陛下への手土産は、学園から女生徒を十人も連れて行けばいいだろう」
ジブリールは苛立ちを隠さない。レイジョーガーと激しい接近戦を演じている皇太子の魔鎧をちらりと一瞥だけして、彼の下知をあっさりと上書きする。
その程度の忠誠心しか持ち合わせていないのだ、この男は。私やルイゼとはきっと、生まれ変わったとしても分かり合えないだろう。
「研究対象として面白そうな聖女だけでも捕獲しようと思ったが、もういい。さっさと全員、殺してしまえ」
「……その言葉、お待ちしていマシた……」
続けて淡々と命じるジブリールに、応じた死神型の声は、地の底から響くような陰鬱さ。
その手では、大きな弧を描いて戻った回転刃が長柄の先端に復帰して、再び大鎌となっていた。
「ひとの命を、なんだと思って!」
マリカの怒りと共に振り下ろされた光の巨拳だったが、死神型の姿は蜃気楼のようにゆらめいて消え──次の瞬間には再び像を結ぶように、私とマリカの真ん前に出現していた。
「命はごちそうデスよ、お嬢さんタチ」
紅い髑髏を思わせる仮面の下、死神型が舌舐めずりするように囁いて──光が、一閃する。
少女たちの首が二つ同時に宙に舞う、その代わりに、きょとんと見つめるマリカの前で死神型の大鎌が地面にゴトリと落ちていた。
「……え、なンデ……?」
彼の疑問も無理からず。何せ大鎌の長柄は、彼の両腕の肘から先によって握られたまま、地面に落ちているのだから。
「大人しくしておきなさい。そうすれば、そこの聖女様がくっつけてくれるから」
うんうんまかせなさい、と事もなげに頷くマリカを見上げつつ、両手の肘から先を失った死神型はその場にへたり込んでいた。右腕の装甲に内包されていた纏装輪具が切り離されたことで、魔鎧は急速に粒子化していく。
「──貴様、なんだそれは」
ジブリールの視線は私の右手に釘付けだった。そこに握られた、黒い円筒状の「剣の柄のような」物体──その先端から小太刀状に伸びた紫色の光の刃に。
一閃したのは、この光刃だった。
「ありえない……魔鎧の装甲を切断できる魔具など、作れるはずがない……」
ジブリールの述懐は決して誤りではない。
私の手にあるそれは、お屋敷の地下での攻防戦の後、エリシャ様の手に残されていた魔具。レイジョーガーにその魔紋を組み込むことで解ったのは、刃が無いのではなく、刃を生み出す剣だということだった。
──魔刀「黒逸」。神遺物の光刃は、魔鎧の装甲をも断つ。
それをダンケルハイトの血族ではない私が、小太刀サイズとは言え、なぜ扱えるのか。それは、定かではなかった。
ただ、長きに渡ってお仕えしてきた我らアイゼン一族との間に、どこかで幸せな物語があって──それが今の私に大切な人を護る力をくれたのなら、これ以上に素敵なことがあるだろうか。
「ああああっ! くそっくそっ! なんなんだ!」
そんな私の一瞬の夢想を、頭を抱え地団駄を踏み散らすジブリールの癇癪がぶち壊す。
「よしおまえ! そこから地下迷宮に潜れ! 逃げ込んだ王国民どもを皆殺しにして来いっ!」
地下迷宮の入口付近で、王妃様たちを待ち受けている重装型と獣人型のうち、後者を指さして叫んだ。
ヴォウッ!
獣そのものな咆哮で応え、石碑の裏側に回り込んだ獣人型は、体格との比率が標準の三倍はある巨腕で、台座を掴む。
めりめりと異音を発しながら引き剥がされた石造りの隠し扉は、後方に軽々と放り投げられてしまう。
そうして露わになった地下への通路に、首をすくめた獣人型が無理やり巨体をねじ込んでから、間髪入れずに。
──ヴォアアッ!?
苦しげな咆哮と共に迷宮から転がり出て、白砂利をまき散らしながらのたうち回る。それはまるで、全身から何かを引き剥がそうとしているかのよう。
よく見ると、彼の全身には不定形の赤黒い何かがまとわりついていた。その一部は顔面を完全に覆っていて、視覚と、おそらく呼吸も塞がれているだろう。
顔面を激しく掻きむしって、ようやく地面に投げ捨てられた何か。そこへ、全身にまとわりついていた何かも全て合流して──見る間に形作られたのは、腕組みをして立ちはだかる赤黒い人型だった。
言うまでもないだろう。地下迷宮を荒らすということは、すなわち彼を敵に回すことなのだから。
──迷宮の主、アリオス・フレイザー。
その心強さを受けて私は、初対面時に彼の顔を苦無で穴だらけにしたことを、今さらながら深く反省するのだった。




