52 すくいの御手
踏み荒らされた庭園の白砂利の上を、騎士ルイゼを先頭にして、脱出口へと走る王妃様とミオリ。
その背後を守るように、リヒトとマリカが続く。
近衛騎士たちは万一に備えて城内の警備に移動させたと、今日の警備を統括している第三王子の密偵であるジンが、先ほど風話でこっそり報告してくれた。
『申し訳ないが、王妃様のことをお頼みする。それと……きみも、無茶はするなよ』
実際のところ、近衛騎士に下手に割り込まれても無駄に犠牲者が増えかねないし、私以外の面々はそれを絶対に見殺しにできない──つまり、足手まといになりかねない。
ユーリイがどこまで理解しているかは不明だが、そのほうがとても助かる。
前方からは、鋸刃の大剣を低く構え、白砂利をまき散らし前傾姿勢で迫る戦鬼型の姿が見えていた。
大鎌を背負った死神型はこちらの動きを伺いながら、後方よりゆらゆらと距離を詰めてくる。
敵の目的は、王妃様と聖女の拉致。事前の予測では殺害を狙ってくることも想定していたから、それと比較すれば守りやすいとも言える。
とはいえ当然、油断はできない。魔鎧将は、あの日お屋敷の地下で対峙したジブリールの試整壱型より、更に強化されているのだ。
──思考する間にも、戦鬼型は眼前に迫っていた。
「ここは私にお任せください!」
宣言して抜刀する彼女だけれど、魔鎧に通常武器は通用しない。
そして相手の大剣は、石板で受け取った分析結果によれば、魔鎧の装甲を応用した特殊加工が施された「魔剣」らしい。
まともに攻撃を貰ったら彼女の騎士鎧などひとたまりもないだろう。
そこで私は背後から、左右の腕それぞれをルイゼと王妃様の腕にするりと絡ませた。
──ご無礼!
心中で詫びつつそのまま足を止め、忍びの体術「不動の構え」の体重移動を応用して、二人をぐいとその場に引き止める。
「逃がサんゾ!」
対する戦鬼型は、間合いを一気に詰めようと、声に殺気を漲らせ加速した。
おそらく、王妃様とマリカ以外は斬り捨てる気満々だろう。
あるいは、魔鎧将が魔鎧兵以上に残虐性を引き出されているなら、その拉致目標さえ安全とは言い難い。
──ゆえに、ここで倒す!
「聖套ッ!」
私たちが足を止めるのを待っていたように、背後から聖女の声が響く! 瞬間、私たち三人の眼前で地面から分厚い白光の壁が勢いよく飛び出し、真紅の鎧を空中に打ち上げていた。
後方、空色の礼服で片膝立ちのマリカが、光まとう右の白手袋を地面に突き立てていた。続けてそれを、鋭い動きで上方へ突きあげる。
「──聖掌!」
光壁の上半分に、四本の縦線が走ったかと思うや、そこから五分割──五本の指のように拡がって巨大な光の掌と化し、空中の戦鬼型の体をむんずと鷲掴みにしていた。
主の手から離れた大剣だけが、落下して地面に突き刺さる。
私はよく知っている。エリシャ様が地下迷宮で実戦経験を積んでいる間、彼女もまた、いつか口にしていた「みんなを守れる強さ」を目指して鍛錬を続けてきたことを。
「ほう、これは面白い」
言葉通り、心底から愉快そうなトーンで口にしたのは、それらを会場中央から遠巻きに眺めていたジブリール。
「聖女様は、かの者を虫ケラのように無惨に握り潰すおつもりか? 神の力を宿すとされるその御身で?」
旦那様は「彼は魔学の天才だ」と言っていたけれど、私にわかるのは、奴が人を不快にする天才だということだけ。
──そもそも魔鎧を纏っている以上、そうそう握り潰されるはずもないのに、ただただ状況を面白がっているのだろう。
「私、虫を握り潰したりしないけど?」
だがマリカは当然、律儀に返事してしまう。そういう子だ。
「おお、さすがは聖女様、虫も殺さぬ清廉潔白! それでは、彼は虫ケラ以下ということか!」
「ちょっと黙ってて。あなたみたいに、自分に都合のいい解釈で話をずんずん進めるひと──大っ嫌い」
──マリカが魔物以外で他人に嫌悪感を向けるの、この半年ではじめて見たかも知れない。
「動物はね、みんな他の命を奪いながら生きていくの。だからこそ、奪わずに済む命は守ってみせる。そのために私は力を磨いた」
「ではどうする? かの者も握られたまま無抵抗ではいないぞ。そして抜けだしたら次は聖女様、きっとあなたのお友達を殺す」
ジブリールの言葉通り、戦鬼型は己を拘束する光の巨指を内側から、その増幅されたパワーでこじ開けようとしている。
「──こうします」
対してマリカは突きあげていた腕を──めちゃくちゃに、振り回していた。
「……」
忍びの耳にだけは、ジブリールの悔しげな舌打ちが聞こえてきた。
そしてマリカの腕に連動し、光の巨手は空中を縦横無尽に大回転、さんざん振り回したあとで戦鬼型を空中に放り出す。
ジブリールの傍に白砂利を撒き散らして落下した彼は、よろよろと立ち上がろうとして再び倒れ、そのまま動かなくなった。装着者の意識混濁により魔力が不安定になったのか、装甲の表面が粒子化し始めている。
魔鎧がどんなに鉄壁の防御を誇ろうと、中身は生身の人間だから、「めちゃくちゃに目を回してやれば」無力化できる。こんなやり方ができるのは聖女だけだろうから、他の魔術士に応用させるのは難しそうだが。
マリカは常々「エリオットくんにも勝てるようになる」と口にしていた。おそらく聖掌大回転は対レイジョーガーの秘策だったのだろう。まったく、あいかわらず無茶苦茶な聖女様だ。
呆れつつ笑ってしまった私はそのとき、もう一体の四鎧将──死神型が大鎌を手に、気配もなく接近していたことに気付く。
「──もういい。刈り取れ」
ジブリールの冷たい声が響いて、真紅の大鎌が一閃する。
その半月状の刃は長柄から切り離され、高速回転しながら飛来し、マリカを庇おうと覆いかぶさるリヒトの横をすり抜け──
ざん。
──そんな、余りに薄味な音を響かせつつ、王妃様のドレス姿の首から上を、空中に刎ねとばしていた。




