50 宿敵
パラディオン王国第一王子、ミハイル・パラディオン。
ここからは、彼の力が必要だ。
魔鎧を圧倒できる──でなければゲームのシナリオがハッピーエンドにならない──であろう「絶聖の加護」を得た聖騎士との共闘は、修正力に打ち克つため不可欠のはずだ。
「──その前に、ダンケルハイトを名乗る貴公はいったい何者だ」
答えに選択肢は多くないだろうけど、彼の中でエリシャ=レイジョーガーはどうしても成り立たないらしい。これでは、ただエリシャを名乗ったところで猜疑心を深めるだけかも知れない。
「エリオットという名の生徒は在籍していない。私は、信頼できぬ者の言葉に傾ける耳を持たない」
やはり頭が堅い。この真っ直ぐさが魅力ではあるのだろうけど。
いま私が信頼を得るためにできるのは、正体を明かすことぐらい。しかしジブリール達を眼前に纏装を解いていられる余裕もない。何より再纏装は魔力消耗が大きい。雄弁はユーリイがそうだったように、どうやら王族には効果が薄いようだ。
──どんな言葉なら、彼の心に届くだろうか。
思い当たることが、ひとつある。エリシャの記憶を衿沙が客観的に見返して辿り着いたこと。
それは幼いエリシャがリヒト──ミハイルとはじめて出会った日。小さなエリシャがぐすぐす泣きながら迷い込んだ王城の奥で、小さなミハイルもまた、ひとりですすり泣いていた。
「……あなたも、迷子なの?」
かけた声にびくんと体を震わせ、顔を上げた彼の、今は眼帯で覆われた右目の周囲。そこに、赤黒い痣が燃える炎のように拡がっていた。
それは魔瘴斑と呼ばれるもの。
両親が過去に魔瘴を浴びたせいだとか、いろいろ謂われているが真相は定かでない。ただ、王家では凶兆として忌み嫌われていた。禍を呼び寄せる悪魔の刻印だと。
けれど、そんなことを知る由もないエリシャは彼にこう言ったのだ。
「お目々が燃えてるみたいですてき! あなたは強いひとね!」
「えっ……ぼくが、強い?」
「ええ! だから、あなたを私の騎士にしてあげる! さあ、王様のところまでえすこーとなさい!」
「だめだよ、ぼくなんか……知ってるんだ、みんながぼくを『悪魔の子』って言ってるの」
彼がひとり城の奥で泣いていたのは、どうやらそれが理由だった。
「ほら、やっぱり! おかあさまが言ってたもの、悪魔のちからに、正しいこころを合わせたら、さいきょうなんだって!」
小さなミハイルは、その言葉を呆然と聞いていた。それは彼が閉じこもっていた世界の、あまりにも外側にある言葉だったのだろう。
「だから、いじわるしないでつれていって! ねえ、お願い……」
ようやく見つけた騎士も言うことを聞いてくれない。小さいエリシャは再び、わんわんと泣き出していた。
それを黙ってしばらく見つめていた小さいミハイルは、やがて口を開く。
「……わかったよ……だいじょうぶ、ぼくがきみの騎士になって、お守りするからね」
「……ほんとに……?」
「うん、約束するよ!」
すがるような少女の涙目に、頷き返した少年の瞳はきらきらと輝いて、涙はとっくに引いている。
──これは、あくまで衿沙の考察でしかないけれど。
身分を隠し、騎士として民を守る最前に立つという彼の今の在り方は、幼い頃のエリシャとの想い出が、大きなきっかけになっているのではないだろうか。
ふと、昨日の王妃様の言葉を思い出す。うちの息子たちはみんなあなたが大好きだ、と。
「燃える目をした強いあなたに、お願いするわ」
私は彼に語りかけた。
「マリカと王妃様を、安全な場所までエスコートなさい」
その瞬間だけ視線を合わせた私の、黒い仮面で覆われた顔──紫水晶の双眸を彼は、切れ長の隻眼でまじまじと見詰め返す。
「……そうか。きみは、エリシャなのだな」
ゆっくりと頷く私。
「ならば、断るわけにはいかない。ぼくはきみの、騎士だからね」
彼の言葉に胸が高鳴る。
けれど、その背後で驚きに目を見開くマリカの表情が、鼓動を制止するのだった。
話をまとめるためとは言え、そして肝の据わり方に定評のある彼女とは言え、色んな事を一気にネタバレし過ぎてしまったかも知れない。
彼女がエリオットに好意を抱いているのではないかということは、薄々感じていた。
それが、聖騎士を選ぶ邪魔になっているかも知れない。ならエリオットが実際は存在しないことを理解し、王子という属性も付与されたミハイルに心を決めてもらうのがいちばん良い……はずだ。
色んな矢印の想いが入り混じって、こっちは心がぐちゃぐちゃになりそうだけど。
一方、ジブリールの高笑いは、ようやく収まったようだ。まるでタイミングを計っていたかのように。──いや、そこで私は違和感を抱く。
マリカはさきほど、あと「四か五」来ると言った。その時点でシブリールはすでにこの場に居た。最後に参戦した試製伍型は、四体目。つまり、まだ何か来る可能性がある。
ジブリールは、それを待っていたのではないか。
お父様の推測では、転移門は瞬間移動ではなく、対象の内包する魔力が大きいほど、転送完了まで長い時間を要するはず。
「──さて、それでは宴を再開いたしましょうか?」
案の定。空に黒穴が開き、解き放たれた蒼い光が雷のように、垂直に大地を穿つ。
ジブリールの前方に立っていたそれは、魔鎧を纏わぬ生身の人間だった。遥か上空から落下したというのに、事も無げにそこに無造作に佇むのは、蒼髪をオールバックにした青年である。
「雑魚に構うな、お前たちが狙うべきは王妃と聖女のみ。できるだけ傷ものにせず連れ帰れと、皇帝陛下から直々のお達しだ」
細かな刺繍の施された紺の衣装を、ラフに着崩した彼は、とても不愉快な指令を魔鎧将たちに下知する。彼らの「御意」の言葉に鷹揚に頷くと、私に視線を向け──
「そこにいるのは、エリシャ・ダンケルハイトだな」
言葉と同時に大地を蹴り、額に輝いた蒼い魔紋で軌跡を描きつつ、一跳びで私の眼前まで間合いを詰めていた。同時に攻撃予測が私の胸を貫く。疑神化による肉体強化──知っていても反応しきれない超高速移動から、いつ抜刀したかも判らない長剣の切っ先が襲う!
「焦がれたぞ、この日をッ!」
ギィィィン、と凄まじい金属音が響き渡った。割り込んだミハイルの聖剣が、それを防ぎとめると同時に半ばで折れ、回転しながら私の鼻先をかすめ飛んでいった。
ほんの一呼吸だけ遅れて私の黒い手刀が閃き、相手の長剣の刃を叩き折る。
──アスラフェル大帝国皇太子、アズライル・アスラフェル。
彼は私の手刀による追撃をかわし、舞台から距離をとって着地した。
「安心しろ、お前は皇帝には渡さない。代わりに、俺の妃にしてやろう」
何を言ってるんだこいつは。しかし彼は──「修正力」の象徴のような彼こそは、誰よりも私が倒すべき相手だろう。
「申しわけないけれど、あなた好みじゃないから」
帝国妃の座を切って捨てながら、私は舞台をひらり飛び降りる。大丈夫、レイジョーガーなら疑神化に負けることはない。
しかしアズライルは不敵に笑いながら、右手を天に掲げる。その手首には、蒼い腕輪が装着されていた。
「見るがいい、我が纏装──」
静かに宣言した彼の全身を、鮮やかな蒼の業火が包む。
「──魔鎧皇、アスライザー!」




