36 オーダーチェンジ
三つ目の、最後の質問。その前に私は、ちょっと意地の悪い笑みを浮かべる。
「──え? 今のはきみが勝手に話したんだから、まだあと二つじゃない?」
『なっ……』
絶句する主。とても、人間らしい反応だ。
「ふふ、冗談だよ。こちらにしても、そろそろ先を急ぎたい」
『……主をからかうんじゃあない。難易度を爆上げしてやるぞ』
「いいや、きみはそういう不正をしない性分だろう?」
『……早く、最後の質問をしろ』
否定しないことが、何よりの肯定だった。
「わかった。それじゃあ迷宮の主さん、きみの──」
そして私は、今度こそ最後の質問を口にした。
「──ほんとの名前を教えて欲しい」
沈黙が落ちる。マリカが首を傾げ、ラファエルも怪訝そうな表情を浮かべていた。
いちばん欲しかった情報は、すでに入手してある。
私が気になったのは、きわめて人間的な彼が何者か、その素性だ。
しかし最初に「誰」を問いかけたときの反応から、素直に教えてくれるかは疑わしい。それならば。
『アリオス。そう、呼ばれていたこともあったな』
彼は名乗った。過去形で。
「アリオスか、綺麗な響きの名前だね。それじゃあ、いろいろありがとう」
私はどこにいるのかもわからない彼に丁寧に頭を下げ、感謝を伝える。
影狐もそれに習い、マリカは天井に向かってぶんぶんと手を振っていた。
ラファエルは、穏やかに微笑んでそれらを見ている。
「またね、アリオス」
そして私たちが、歩き出そうとしたそのとき。彼の声が足を止めさせた。
『待ってくれ』
「うん?」
『いや、なんでもない。ただその、気をつけ──』
その言葉を遮るように、影狐が片腕を斜め上に向けて払う。
「──曲者っ!」
空を裂いて飛ぶ一本の苦無。
それは石造りの天井に影のようにわだかまる赤黒い塊を刺し貫き──と思えば塊はぐにゃりと形を変えながら、石の隙間に沁み込むように消えていった。
からん、と苦無が石床に落ちる。
「おや、珍しい。瘴粘ですね。魔物の原型ともされる不定形の存在です」
エリシャの知識にも薄らとしかないそれを、ラファエルが解説してくれる。
「陽光に弱いらしく地上では見かけないけど、小動物を捕えるくらいしかできない存在だから、スルーしても大丈夫だと思いますよ」
「なるほど、危険がないから私もぜんぜん気付かなかったのか。でも、気付いた影狐ちゃんはさすが忍者!」
うんうんと、二つ結びを揺らして激しくうなずくマリカである。
そしてそれきり、主の声が聞こえることはなかった。
「さてと」
歩きだしつつ、私はパーティの三人に、考えていたひとつの提案をする。
「マリカは、先を急ぎたいよね?」
「うん。できればすぐにいきたい。私だけなら、回復魔法を自分に使ってずっと走っていけるから」
体力を回復魔法でカバーして走り続けるとか、聞いたこともない話だ。
しかし、さきほどの壁と化した聖套を例に考えれば、きっとそういう非常識なこともできるのだろう。
聖魔紋への異常適性。それこそが聖女の力か。
とは言えひとりで特攻させるのはさすがに無謀すぎるだろう。性格的にも。
一応、聖女である彼女の身は修正力で守られている、という考え方もできるけれど、ゲーム的には主人公が脱落した時点でぜんぶ終わりという可能性だってある。
──当然、そんなリスクは冒せない。
「迷宮攻略のセオリーからは外れるけれど、パーティを二手に分けようと思う。マリカと影狐が道しるべを残しながら先行して、私とラファエルはそれに追従する」
そこで考えたのが、パーティ分割だ。
影狐がマリカに付いてくれれば安心できるし、道しるべの目印なんかは忍者ならお手の物だろう。
「なるほど! 任せて!」
満面の笑顔を浮かべ、前のめりに即答するマリカ。
「いえ! 私はエリオット様のお傍に!」
「影狐、お願い」
「……御意」
影狐も渋々ながら承諾してくれる。
「ラファエルも、それでいい?」
「そうですね。先遣隊は心配だけど、僕は体力がないし、きっとその作戦がいい。ただし、くれぐれも無理はしないこと。敵わないと思ったら、撤退して合流を待つのですよ」
ラファエルの賛同をもって、私の提案は実行に移されることとなった。
「それじゃ、二人ともあとでね!」
「エリオット様、どうかお気をつけて」
同じ王立学園制服の裾を翻して、栗色の二つ結びと銀色のポニーテールを揺らし駆け出してゆく二人。
その背中を見送った私とラファエルも、後を追って歩き出す。
アリオスの話では、このフロアに魔物はもういないはずだ。
「信用してくれて、ありがとう」
一息ついて、隣を歩きながら改めて感謝の言葉を述べる。
彼にとっては今日はじめて出会った年下の編入生に過ぎないはずのエリオットの言葉を、すべて当たり前のように受け入れてくれたことに。
やはり、このひとになら全てを話してしまっても──
「いいえ、礼には及びませんよ。きみはとても聡明で、そして他人の心に寄り添える人間だと思えた。それだけのことです」
彼は優しく微笑みながら、言葉をつなげた。
「──そう、昔からね」
…………えっ!?




