35 ダンジョンマスター
『まさか、瘴獄狼をあっさり倒すとはな。タイムレコード更新だ』
──迷宮に何者かの声が響く。
「お褒めの言葉をありがとう。で、そう言うあなたはどこのどなたですか?」
当然の疑問を、ラファエルが穏やかに口にした。
少女たち三人がその周囲を油断なく守る。
『無論、迷宮の主だとも』
年齢性別不詳、エコーの掛かったその答えは、興味深いものだった。実際に彼が迷宮の「主」で、なおかつ会話が成立するのなら、ぜひとも情報を聞き出したい。
軽く手を挙げてラファエルに発言権の譲渡を求めると、彼は微笑んで快諾してくれる。──場を支配したくてしょうがない前世の上司とは懐の広さが違う。
いや、比べるだけ失礼か。
「それなら、いくつか質問したい」
『いいだろう。タイムレコードの報酬として、三つまで答えよう。物理報酬は切らしているからな』
よし、話が早い。しかし三回という制限がある以上、慎重に考えなくちゃ。
とは言え、ひとつ目は迷うべくもない。
「まずは、僕らの前に迷宮に入ったパーティの現状を教えてほしい」
『それは先日のおかしな二人組のことか? それともつい先刻の凡庸な連中か?』
「まとめて一回にはならない?」
『おまえ見た目は綺麗なくせに、けっこう強かだな。そういうやつは嫌いじゃない』
ダメ元で交渉してみた。口調は淡々としているも、感触は悪くない。それと、どうやら向こうからはこちらの姿を視認できているようだ。
どこかにカメラ的な端末があるのか、それとも迷宮全体を把握する存在なのだろうか。
『だが、それとこれとは別。どちらかを選べ、そのぶん詳しく教えてやる』
傍らでぼそりとマリカが「けちんぼ」と漏らしたが、これには反応しない。
聞こえなかったのか、それともスルーしたのか。
「わかった。じゃあ、直前の五人の方を知りたい」
『凡庸な方だな』
「そこはノーコメントにしておく」
ちらり目をやれば、ラファエルが苦笑している。
『一瞬待て…………うん、その五人なら第五区郭の中盤。あと一歩で迷宮の最深部だ』
「無事?」
『まったくの無事とは言い難いところだな。負傷者がいて、それをカバーするため行動を制限されている』
負傷者。エリシャの鼓動が早まる。リヒト──ミハイルは大丈夫なのか?
「──負傷って、どのくらいの怪我!?」
横からマリカが食い気味に割り込んできた。
『おまえたちと違って、後衛を守り切れなかったようだな。命に別状はないが、治癒魔法が使えない状態だ。放っておけば全滅もあるだろう』
「じゃあ急がないと!」
今にも駆け出しそうな彼女を、ラファエルと影狐が二人掛かりで抑え込む。
その愛らしい顔に浮かぶ苛烈なまでの使命感が、彼女を聖女たらしめるのだろうか。
「というか、この迷宮は訓練用と聞いていたけど、安全装置的なものはないの?」
『安息地点から地上への緊急脱出通路のことをお前たちは知らないのか?』
「え、そんなものが……?」
『まあ、第五からの出口は王城の敷地だから、今はもう塞がれているかも知れんな』
主の予想外の発言に、ラファエルも驚きの表情を浮かべていた。どうやら、地上ではすでに失われてしまった情報のよう。
『ふっ……そんなに迷宮を忘れたかったのか』
それまで淡々としていた口調に、どこか自嘲めいた色が垣間見えた気がした。
「というか、そもそも魔物が地上に出てきたり、エリアボスにこんな序盤で遭遇したり──これは正常な状態?」
『それが二番目の質問か?』
「──あら、管理人を名乗るなら、正常か異常かは利用者に提示すべきじゃなくて?」
発動した雄弁に引っ張られて、つい口調が令嬢になってしまう。
影狐が仮面の下から向けてくる視線は、注意よりも不満のそれに見えた。
『……おまえ、本当に面白いやつだな。まあいい、どうせあいつら──先日のおかしな二人組の情報も欲しいのだろう?』
そして主は語った。何十年ぶりかの来訪者──帝国の二人組が迷宮を蹂躙し、最深部にある自動機構の制御用魔紋盤を弄くりまわして去っていったということ。
結果、魔物の統制の一部に修正不能な異常が生じているらしい。
ちなみに、魔物の強さが挑戦者のレベル平均に合わせて上昇するのはもともとの仕様だそうだ。
「待って、それじゃあきみはいま迷宮を管理できてない──管理人じゃないってこと?」
『そんなことはない、一部だ、一部。すべての魔物が勝手に動いているわけじゃない。現に、おまえたちがエリアボスを撃破した第二区郭は、もう魔物出現をなくしてある。制御不能な魔物が居ないことも確認済みだ』
「まあ、その『一部』が大問題なのだけどね……」
ここまでの対話で感じられたのは、彼が迷宮の主という役割に対して、それなりの自負なり愛着なりを持っていそうだということ。
そこで、ひとつ提案をしてみる。
「僕たちが最深部に行って制御用魔紋盤を直す。その道中、きみはこちらのサポートをする。そういう取引きはできないかな?」
『却下だな。それは迷宮の主の役割を逸脱する』
即答だった。その言葉には、揺るぎない信念が宿って聞こえた。
『そもそも、そう簡単に最深部まで辿り着けるとは思わないことだ』
そして、どことなく楽しげでもあった。
『さあ、次の質問で三つめだぞ』
私はぐるぐると考察を巡らせる。そうして発した、最後の質問は──




