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34 聖なる鉄槌

「──やれやれ、テーブルマナーがなってないね」


 上顎の剣歯を掴み受けとめた眼前、瘴獄狼(ケルベロス)の口の奥で、火炎魔法(メラるん)の残滓のような火の粉がちらちらと舞って見えた気がした。


 当然、巨獣は顎を閉じて私の右手をかみ砕こうとしてくる。

 生臭い息に顔をしかめつつ、学園指定の銀色の騎士手甲(ナイトグローブ)をつけた左手で、下顎に並ぶ乱杭歯のすきまに親指をかけた。さすがに、いつかの瘴犬(わんこ)のようにこのまま両断(まっぷたつ)とは行かない。


 全身纏装(レイジョーガー)の腕力なら可能かも知れないが、あの姿はリヒトから「聖女(マリカ)を狙う悪者(ヴィラン)」として情報展開されているはず。


 ラファエルなら説明すればわかってくれる、という淡い期待はあるが、彼はあの日ぶん投げてしまったリヒトの実弟でもあるわけで……。

 巨獣の顎を開いたまま固定し、ちらりと後方に視線を向けてみる。

 涼しい顔でラファエルが掲げた杖の、はなつ強い輝きが目の端に映った。

 おそらく、もうすぐ発動だろう。


 ──その視界のなかを、前方から赤黒い何かが高速で横切った。


「え!?」


 さすがの特オタ( わたし )でも、見えたものを理解するのに一拍を要する。

 フリーだった左端の頭部が、その首を蛇のように延長(のば)して後衛を強襲したのだ。

 思えば相手はまっとうな生物でないのだから、そのくらい出来てもおかしくはない。


「──まかせて!」


 そこに響くのはマリカの声。

 彼女は迫りくる大蛇のごとき巨獣の顎の前に躊躇(ためらい)なく割り込んで、白い手袋で覆われた両掌を前方に突き出す。

 何度目だろう、彼女の蛮勇(それ)を目にするのは。


聖套(ヴェール)ッ!」


 しかし今回は、これまでと少し違っていた。

 彼女の手袋は、聖なる魔紋が刻まれた神官(プリースト)専用装備だ。

 そして聖套(ヴェール)と言えば、その名の通り聖なる光の薄布(ヴェール)を展開する防御魔法である。


 ──ただ、私の知る限りそれは相手の攻撃を包み込んで威力を削ぐ程度のもので、圧倒的な暴力の前には正直、頼りない。


 ゴギンッ、と何かが折れ砕ける異音が鳴り響く。


 マリカの両掌のまえに出現した聖套(ヴェール)は、私の知る薄布(それ)ではなく、分厚い光の壁として彼女の足元から天井付近まで屹立していた。

 鳴り響いたのは、光壁に突き立てられた巨獣の剣歯が、へし折れる音だった。


「は!?」


 もがく巨獣の顎を固定しながら、私は後方の光景を凝視(ガンみ)する。

 たしかに彼女、ただの村娘の時点で魔瘴の浸蝕を治癒していたのだから、正当な教育と聖魔紋を得れば──って、いやいやそれにしてもだ。


「わたしもエリオットくんみたいに、みんなを守れる強さを目指すことにしたの!」


 言い放ちながら両の手はギュッと握って拳を作り、腰溜めに構える。

 光の壁はその動作を追うように中央からぱっかんと半分に割れ、それぞれが四角柱に近い形状で、彼女の左右に付き従うように浮かんだ。

 対して、牙を折られ一瞬だけ怯んだ巨獣の頭部は、障壁が正面から消えたことに気付くと再び強襲に転じる。


「ごめんね!」


 真正面から迎え撃つマリカが両の拳を突き出せば、左右に浮かんだ光柱は、その動きに連動して巨獣の顔面に突撃していた。

 その様たるや、巨大な光の旋棍(トンファー)だ。


 再び何かが砕け──さらにえげつない音が響いた後、頭部はするすると力なく胴体に戻っていった。

 あるべき位置に戻ったそれは、原型を留めることなくひしゃげ潰れて微動(ぴくり)もしない。


 ──どうやらあの日、私が村の襲撃に介入したことで聖女(かのじょ)に、おかしな影響を与えてしまったのかも知れない。


 いや、おかげで助けられたのだから決して悪影響ではないのかも知れないが、運命(シナリオ)的にどうなるのか、修正力は発動しないのか、そちらの不安はある。


 ともあれ、パーティの戦略は変更だ。

 彼女のことはもう聖女ではなく武僧(モンク)として扱わねばなるまい。

 そんなことを思いつつ視線を前に戻した私の耳に、ようやく待望(ラファエル)の声が届いた。


「お待たせしました! さあ、熾火(おきび)たちよ、いまこそ不死鳥のごとく──!」


 同時に後方で赤い閃光が爆ぜ、迷宮の壁を一瞬その色に染める。

 そして私の眼前、グルルルと唸る巨獣の口の中、残滓のように漂っていた火の粉が光を受けて強く輝き、そのすべてが無数のメラるんへと変化していた。


返礼(リベンジ)させていただきましょう──」


 魔術士(ラファエル)の穏やかな号令を聞いた彼らは、我先にと争いながら巨獣の口の奥、ぽっかり黒く空いた喉の内部へと突入してゆく。最後の一体が直前で振り向きウィンクした気がして、私はすこし懐かしい気持ちで微笑み返しながら、顎を固定していた力を逆転させていた。


 思いきり噛み合った上下の顎から寸でに両手を引き抜き、今度は逆に鼻先と顎下に添えて固定する。視線を巡らすと、さすが影狐はすでに離脱して後方へと壁を駆けていた。


「──灼躍(バーニング)!」


 そして響き渡るラファエルの宣言と同時に、瘴獄狼(ケルベロス)の赤黒い巨体はびくんと大きく痙攣し、私が抑え込んだ口元からは白い煙が漏れてたちのぼった。

 体内を大火力で焼き尽くされた巨獣(エリアボス)は、地響きを上げてその場に倒れ、やがて大量の赤黒い霧となり消えてゆく。


『まさか、瘴獄狼(そいつ)をあっさり倒すとはな。タイムレコード更新だ』


 ──迷宮に何者かの声が響いたのは、そのときだった。

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