32 エンカウント
「ところで、エリオットくんはどこのクラスなんですか?」
安息地点──魔物避けの聖魔紋が刻まれた扉の向こうにある、殺風景な小部屋にて。地上への簡単な状況報告を終えたラファエルが、私に問いかけてきた。
「そっ、そそそれはあれだよね! 編入が決まったばかりだから、まだクラスは決まってなくて……!」
マリカが慌てて助け船を出してくれるけれど、その船は残念ながら泥船だ。
逆に怪しまれてしまうだけだろう。
「はあ、なるほど、そういうこともあるんですかあ。そうか、マリカくんも編入組だから詳しいわけですね。ん? ということは──」
そこで何かに勘付いたようにラファエルは、マリカと私の顔を交互に見て、言った。
「──だから二人は仲良しなのですね! いやあ、僕も一度くらいは経験してみたいものです、編入」
……逆に怪しまれてしまうところだった。相手がラファエルでなければ。
この第二王子殿下、それはもうとにかく優しい。
優しいという言葉で括っていいのか多少の疑義はあるかも知れない。
口さがない者たちは、影で彼を嘲ったりしているとも聞く。
けれどエリシャにとっての彼はずっと、誰よりも優しいひと、だった。
「まあ、いろいろ事情もあるのかも知れませんが、改めてよろしくお願いしますね。そちらの影狐さんも」
ふわり柔らかに微笑んだ、何もかも受け入れてくれる海のような深青色の瞳を見ていると、すべてを話してしまいたい衝動に駆られる。
彼とはじめて会ったのは、お母様の葬儀の日だった。
お母様の級友にして親友だった王妃様とともに、そこに参列していた十二歳のラファエルは、ひとり泣きはらしていた十歳の私のもとにてくてくと近寄ってきた。
そして何も言わずに、手にした小さな杖の先から飴玉サイズの「ちびメラるん」を生み出してみせてくれたのだった。
エリシャの差し出した手のひらにちょこんと乗ったその子は、ほんわりと暖かくて、彼が去った後も、裏方のお仕事を終えたミオリが隣に戻ってくるまでずっと見守ってくれて、その後いつの間にか消えていた。
今考えると、さりげない優しさもさることながら、その年齢にして天才的とも言える魔力操作技術に舌を巻く。
「──ああ。それじゃあ、先を急ごう」
私は彼の瞳から目を逸らし、つとめて無愛想にそれだけ言って、安息地点より迷宮の通路へと足を踏み出す。
ここから先に進めば第二区郭ということになる。
外観上の変化は、特に見られないようだが。
「そこの十字路はまっすぐ、その先のつきあたりを右ね」
迷わず言い切るマリカの勘によって、ここまで道に迷うことは一切なかった。
そんな彼女が急に足を止め、すこし首をかしげながらラファエルに伝える。
「先輩、次の角の先にまた瘴犬三匹……だと思います」
「りょうかい。さあ、紅蓮と燃やせ──メラるん!」
すぽんぽんぽん、快音と共に飛び立って角の向こうに消えてゆくメラるんたち、だが。
「──うーん。みんな、すこし待ってね」
静かに制止の言葉を発するラファエル。メラるんたちがどうかしたのだろうか。
一拍置いて、角の向こう側から瘴犬が、こちらを伺うように赤黒い顔だけをのぞかせた。
メラるんで、倒せなかったということ?
同時に私は、瘴犬の目線の位置に違和感を覚える。
高すぎるのだ。私の背丈と変わらないだろう。
にも関わらず、首の角度はまるで更に高い位置から屈みこんでいるようだった。
そもそも顔自体が、これまで遭遇したものより一回り以上は大きい、気がする。
──その口元。よく見れば、乱杭歯に挟まれてメラるんがもがいている。
それをぐしゃりと噛み潰す。火の粉になって消える姿を、私たちに見せつけるように。
続いて残る二匹も上下に顔を出し、目も耳もない口だけの魔獣の頭部が三つ、並んだ。
影狐がすっと前に出る。
私は黒い装甲で覆われた右腕に、魔力を集中させた。
「先遣隊のリヒトからも、通常より大型で魔力耐性の高い個体と遭遇して、撃退したと報告があったよ。それは第二区郭の最奥を守るエリアボスだったようだけど」
あくまで平静なラファエルの言葉を、否定するように。
瘴犬は悠然と全身を、角の向こうから私たちの前に現した。
「……ごめんなさい。三匹じゃなく、一匹だけだったみたい」
通路を塞ぐほどの巨体を見上げながら、マリカが今日はじめて外れた勘を詫びるが、もちろん誰もそのことを責めたりはしない。
完全な外れというわけでもないし。
──何せそいつには、頭部が三つあったから。
「……瘴獄狼……」
ラファエルがぼそりと呟く。お伽噺の中でしか目にしたことのない、その名を。




