30 こんなこともあろうかと
ここ王立学園には地下迷宮がある。
王都自体が地下迷宮を含む古代遺跡の上に建てられたのだとか、お城に仕えていた魔学者が秘密裏に造り上げた巨大な実験設備だとか、諸説あるが真相は定かでない。
ともあれその地下迷宮には、元からなのか後付けされたのか、弱体化した魔物を自動発生させ徘徊させる戦闘訓練設備としての自動機構が組み込まれていた。
最深部に魔物の発生源である「魔瘴溜り」が存在し、自動管理されているらしい。
らしいなのは、何十年も実際に見た人間がいないからだ。
以前は上級生向け特別カリキュラムとして活用されていた地下迷宮は、最深部での事故により一人の生徒が消息を絶って以降、封印されて久しかった。
やがて流れる歳月の中で迷宮そのものが禁忌のように扱われ、関連する資料もいずこかへ紛失してしまったという。
ユーリイから受け取った魔紋記録板の、表面に浮かび上がる文字列をスマホのように親指でスライドさせながら読む。
その内容のうち、ここまではエリシャも噂程度に知っていたことだ。
中庭の、開かずの扉の向こうの地下迷宮。
いわゆる、学園七不思議のようなものだ。
しかしつい先日のこと。迷宮に興味を持ち、自動機構の凍結あるいは何らかの転用を謳って扉の封印を解き、内部に潜入した者がいる。
それこそ、臨時講師として学園を訪れていた魔学者とその従者だった。
──若作り変態魔学者ッ!
脳内に響くいやらしい笑い声を頭ぶんぶん振ってかき消しつつ、私はいろいろなことが腑に落ちていた。
そもそもジブリールを臨時講師として学園に紹介したのは、うちのお父様だったはずだ。
おそらく、そのへんも取引きの一環だったのだろう。
そしてなぜか急に音信不通になった彼のことを不審に思ったユーリイが、ジンに調査を依頼した、という経緯のようだ。
渡された資料の限りでは、帝国の関与まで辿り着いてはいないようだった。
とは言えまあ、切れ者である彼が手の内をすべて明かすとは、思わないほうがいいかも知れない。
「──完成です、エリオット様」
例のように恍惚とした表情でミオリが言う。
楽器棚の影、私が魔紋記録板を読んでいる間に、あいかわらず見事な手際で彼女は私を、銀のショートボブも魅惑的な謎の美少年エリオット君に仕立て上げてくれた。
ちなみに服装も、どこから調達したのか、学園の男子生徒のものになっている。
「じゃあミオリ──じゃないや、影狐は先に中庭の方に向かって」
同じく女生徒の制服姿のまま黒い狐面をつけた彼女は、私の言葉に「御意」と答えるや駆け出して、さきほどジン君が消えた天井の穴に吸い込まれるように消えていった。天井パネルは元通りになっている。
あれって、ジン君はミオリのために開けっ放しにしていったのだろうか。
もしかして、意外と紳士なのかも知れない。
──そして今さら思い出したのだけど、たしか彼も、ユーリイ同様に攻略対象のひとりだった気がする。
彼がデレる姿はちょっと見てみたいかも知れない。
いつかあっちの世界に戻れたら、ゲームやってみようかな。
そんなことを思いつつ、私も学園内の廊下を走って中庭の方へと向かう。
天井に据え付けられている、魔紋を利用した四角い箱型の拡声装置から、校内に居る生徒は教室に避難するようにとアナウンスが流れた。
道中、魔物とは遭遇しなかったが、剣を帯びた騎士専攻の上級生とすれ違う。
学生と言えど彼らはエリート、校内に放たれたのが弱体化された魔物ならば、問題なく仕留めてくれるはず。
次の角を曲がれば、ちょうど私のクラスの教室の前だ。
ここを真っすぐ突っ切れば、中庭はもうすぐ。
逆に言えば、魔物に遭遇する可能性も高いことになるだろう。
「このっ! こっち来ないでっ!」
案の定、赤黒い影がそこにあった。
壁を背にして震える声で威嚇する女生徒ふたりと、舌なめずりしながら一歩ずつ距離を詰める瘴犬。
私は、走りながらそっと右腕の輪具に触れる。
「──劃式纏装!」
さすがに、ここで纏装は目立ちすぎる。それに、これから地下迷宮に挑むのなら魔力も節約すべきだろう。それならば──
「零星手甲!」
声に呼応して紫の炎が私の右腕から肩口までだけを包み込み、黒い装甲を形成する。
これぞ魔黒手甲を使った経験と、特撮のとある人気キャラクターから発想し、お父様にお願いして搭載していただいた腕部限定変身。
そう、まさに備えあれば憂いなしだ──!
こちらに気付き飛び掛かる瘴犬を、黒い手刀の一閃で両断し、そのまま私は足を緩めることなく教室の前を駆け抜けていた。
──見送る二人の女生徒がクラスメイトのイザベルとライラで、しかも彼女達の目にミオリと同じ恍惚が浮かんでいた気がするけれど、見なかったことにしておこう……。




