27 悪役令嬢ということ
「……誰って、エリシャに決まっていますでしょう。無礼なこと言わないで」
「いいや。見りゃあわかる、表情があまりに別人だ」
私の婚約者、本気でめちゃめちゃ切れ者なのかも知れない。
とりあえず眉間にぐっと力を込めて、目つきを悪くしてみる虚しい努力とともに否定の言葉を重ねるけれど、第三王子まったく聞く耳を持たない。
エリシャの記憶では、こんなにも意固地な人間ではなかったのだけれど、鷹の爪を隠していたということか。
「表情だけじゃないぜ。たとえばライラのことだ」
彼はさらに言い募る。ライラはクラスメイトのひとり、物静かな少女だ。
「あのこは家の格は低いが、才能が有って勉強熱心だから、成績もすごくいい。それが面白くないイザベルたちのグループが、彼女になにかと雑用を言いつけては難癖をつけいじめていた」
そのへんの事情は知っている。イザベルは伯爵令嬢で、ライラの家は爵位と縁のない下級貴族だ。
「そのうち、きみもライラに雑用をさせるようになっていった。しかも、ライラと仲良しで彼女をかばっていたメアリまで巻き込んで。まったく、意地の悪いやつだよきみは」
そこで一瞬、ガタリと私の斜め後方の机が動く音がした。
おそらく、そこに潜んでいる誰かが、彼の言葉に対して反論したい気持ちを抑え込んだ反動だろう。
「イザベルたちよりきみの家のほうが格は上だし、言いつける用事も教室からいちばん遠い図書室までわざわざ行かなきゃならない厄介なものばかり」
ユーリイは淡々と話を進める。
「だから、それでイザベルたちの溜飲も下がり、ライラにちょっかいを出すことはなくなった」
それを聞きながら、私は私自身の内面を改めて深く顧みていた。
溶けあってひとつになった、とは言え、たぶんお互いのいちばん深いところまで理解しあえているわけじゃない。
だいたい、自分の内面を完璧に把握できている人間なんてそうそう居ないだろう。
もとが別々の人格ならなおさらだ。
「そうして、読書が大好きなライラは仲のいいメアリと楽しくおしゃべりしながら図書室に行き、自分の読みたい本を借りるついでにきみの用事も済ませ、帰ってくるわけだ」
エリシャという少女はずっと孤独で、誰も信じていなかった。
ひとりでダンケルハイト家を守らねばならないと思い込んでいたから。
三英雄の一角であるダンケルハイトは、家の格としてはパラディオン王家に次ぐものである。しかし同時に根深いやっかみが存在することは、以前にも述べた通り。
特に、当主であったお母様が若くして病没し、現当主であるお父様は入り婿、エリシャも世間的にはまだまだ小娘扱い。
いつ足元をすくわれるかわからない。
だからエリシャは、クラスメイトにであろうと決して隙を見せなかった。
けれど彼女本来の優しさと気高さは、ライラのように立場の弱いものが虐げられることを、どうしても見過ごせなかった。
同時に、イザベルたちの不満を家の格で抑えつけたとしても、しょせん彼女たちがやっているのと同じ不毛なことだと理解していた。
──だから。
「わかるか? それがきみの──いや、エリシャのやってきたことだ」
弱いものを守りつつ、クラス内の不満も解消する。そのためにエリシャは、自分を悪者に仕立て上げていた。
──まさしく「悪役令嬢」というわけだ。
「けど、今のきみはそれらをすっかりやめてしまった。あの編入生──マリカのことも、不自然にスルーしてるだろ」
そう。つい先日とうとう、主人公はこの学園に編入してきた。
ゲームとして描かれている運命が幕を開けたのだ。
そしてユーリイの指摘通り、現状の私は、なるべく彼女に関わらないよう行動している。
「イザベラたちが徐々に陰口やらちょっかいを始めてるの、気付いているか?」
もしかして、ゲームにおける「悪役令嬢から主人公への意地悪」は、平民である彼女を守るためのものだったのではないか。
かつてのエリシャは、それらの「善意の意地悪」をほとんど無意識に、自分がすべき当たり前のことのようにやってきた。
そして今の衿沙は無意識に、それをただ「自身の優位を保つための意地悪」と思い込み、「すべきでないこと」と判断していた。
だから私は気づかぬ間に「クラスでエリシャが担っていた役割」を放棄することになっていた、ということか。
ユーリイに感謝しなくてはならない。
おかげで衿沙は今ようやく、エリシャの本質を理解できた気がする。
そして改めて、誓うのだった。
──決してエリシャだけを、「悪役」にはしない。




