23 聖女と魔拳
マリカ。たしかにそれは聖女の名前だった。
であるなら、浄化の力も納得できる。
そもそも、平民である彼女がその聖なる能力を見出され、王立学園に編入してくる、というのがゲームの導入──そんな風に聞いた気がする。
時間軸として、それはまだ先のことなのだろう。
エリシャは未だ彼女を知らず、衿沙もまたアニメ絵の彼女しか見たことがないから、彼女が聖女であることを今の今まで把握できなかったのだ。
そんな思考の間にも、まるでこちらをおちょくるように地面をごろごろと転がり尖踵の追撃をかわす瘴鬼。
そのまま距離をとって跳ね起きると、ふたたび耳障りな笑い声をあげた。
魔瘴の侵蝕が魔鎧に及ぼす影響は未知数だが、だからこそこれ以上、不用意にそれを受けることは避けたい。
音沙汰のないミオリ──影狐のことも心配だ。
だが、相手のトリッキーな動きに対し初陣の私──レイジョーガーはまだ決め手に欠けている。
決め手──そこで真っ先に思い浮かんだのは、魔玄籠手でアズライルに放ったあのロケットパンチである。
オリジナルから魔紋を移植する際、解析不能のままとりあえず形を整えて組み込んだ部分もいくらかあると父は言っていた。なので、オリジナルで出来たことなら、何らかの形で再現されている可能性はある。
ギギゲゲッ
嗤いながら再び間合いを詰めてくる瘴鬼を、道の真んなか仁王立ちで迎え撃つ私は、右腕に魔力を集中させた。
あのとき優しい声の主が、悠久の時を超えて手を取り教えてくれた感覚を、再現するように。
腰溜めに構えた右の拳が、紫の燐光に包まれてゆく。
連動して肘部分の装甲がカチャリと開口し、紫炎が後方に噴出しはじめた。
──行ける。
のけ反ったまま駆け寄る瘴鬼が、間合いの外から体勢をぐいんと一気に前のめりに変化させつつ、左手の指を貫手に揃えて突きを放つ。
私の視界では、第三の目によってその攻撃の軌跡予測線が赤く空中に描かれていた。線の先は、私の喉元に吸い込まれている。
ギギィ!
一拍遅れて線をなぞるように走る爪の先を、右足一歩さげ半身になってやり過ごした私は、右手に溜めた魔力をここぞと解放した。
肘から激しく噴射される紫炎の尾を彗星のように引いて、紫光に包まれた正拳突きが放たれる。
それは例のごとく変態的に回避しようとする瘴鬼の挙動を遥かに上回る速度で、無防備な胴体を撃ち抜く!
『零星拳ッ!!』
籠手の飛ばないジェット推進パンチという形で搭載されていたその技に、昭和の特撮のように思い切り叫びを乗せたかったけど、どうにか我慢して心の中に留めておく。
直撃を受けた瘴鬼の体は、地面を何度もバウンドしながら遥か後方へと吹き飛んで、ようやく止まった。
赤黒い剛毛も土埃で汚れ、ぼろ雑巾のように倒れた彼は、手足をおかしな方向に捻じ曲げながら、それでもゆっくりと立ち上がった。
赤黒い霧をたちのぼらせながら風穴の開いてゆく自分の胴を見ると、頭が地面につくほどまで全身をのけぞらせて嗤う。
おかしくて仕方がない、という風に。
「いい加減に──」
放っておいてもいずれ消滅することは目に見えたものの、止めを刺すべく踏み出した私。
しかしそれを嘲笑うように──次の瞬間、瘴鬼は限界までのけ反った脊椎のバネを解放し、すさまじい跳躍力で私の頭上を飛び越えて、遠くからこちらを見ていた子供たちのすぐ傍に、落下するようにぐちゃりと着地した。
まずい。駆け出そうとする私だったが、装甲たちが唐突に本来の自重を思い出したかのように、全身が重くて足がもつれる。
おそらく「零星拳」で魔力を急激に消費した反動だろう。
やはり、私にはまだまだ実戦経験が必要そうだ。
「逃げて!」
私の声は届かない。くねくねと立ち上がり嗤い声をあげる瘴鬼。子供たちに合流していたマリカが、両手を広げてその前に立つ。
そのとき何処からか響いてきたのは、乾いた蹄の音だった。
村と逆方向から凄まじい速度でこちらへと疾駆して来る純白の鉄騎馬、その背に颯爽と跨るは白い鎧に金髪の騎士。
「──聖伐!」
見る間に子供たちの真横を駆け抜けて、瘴鬼と交錯しながら高らかに叫んだ彼は、その一瞬で抜刀した長剣を一閃する。
天高く飛翔するのは、刎ね上げられた瘴鬼の頭部だった。
それは頂点で赤黒い霧と化し、空に消える。
地上に遺された体も、後を追うように霧散していた。
更に彼はそこで止まることなく、馬上から跳躍すると私を目掛けて美しい銀の長剣を振り下ろしてきた。まあ、悪役側と思われるのは無理もない。
しかし攻撃予測線は私の目の前でぷっつり途切れている。つまり。
「貴公、何者だ」
両手を広げて待ち受ける私の眼前で、剣の切っ先をぴたりと寸止めし、彼は問いかけてきた。
きらめく美しい金髪と端正な顔立ち、左目周辺を覆う白い三角帯状の眼帯には黄金獅子紋──グランツ家の紋章。
文武両道、眉目秀麗、彼の名はリヒト・グランツ。
いわゆる『メイン攻略対象』だ。
もしかすると──いやしなくても、どうやら私は聖女と彼の運命的な出会いイベントに、知らず割り込んでしまったらしい。




