22 その名はレイジョーガー
魔鎧の装着感を確かめるように両手を握って、開く。
父いわく、全身の肌に密着した潜水服のような濃紫色の「素体」が、いわば外付けの増設筋肉として身体能力を補助してくれるのだという。
たしかに、全身に装甲を纏っているにもかかわらず普段より遥かに体が軽く、力もみなぎっていた。
──その威力は瘴犬の瞬殺ぶりで実証済みだ。
周囲を見回してみる。
兜の内側は視野に一切の干渉がなく、顔が仮面で覆われていることを忘れそうだ。
それでいて、さきほどの水面に映った自分自身の姿のように、不明瞭な映像も拡大したり補正したりを自動でやってくれる。
こういった機能が、額の第三の目の役割らしい。
その視界が、前方から近付くもう一体の人型魔物を捉える。
人型としては腕が異様に長い。のけ反るような姿勢で、身長は2メートルほどか。
瘴犬同様に赤黒い剛毛まみれで、大きな口しかない頭部を左右交互にカクンカクンと傾げながら、同胞が瞬殺されたことを気に留める風もなく悠然とこちらに向かってくる。
エリシャも初めて実物を見る、おそらく瘴鬼と呼ばれるタイプだろう。その挙動は、なんとも不気味だった。
周辺に這いつくばっていた例の少女は見当たらない。上手く逃げてくれたならいいが。
そう言えば、先に逃げていた子供たちは……? ちらりと後方を確認すると、離れた場所からこちらをじっと見ている。
拡大された映像の中、私に向けられるいたいけな瞳たちは、完全に怯えの色に染まっていた。
──まあ、こんな姿であんな戦いかたをしたのだから、無理もないだろう。
そして私のすぐ背後。守るべき小さな男の子のそばに、いつの間にか例の少女が屈みこみ、彼の魔瘴に侵された右足をさすっていた。
おそらくは戦闘中に回り込んだのだろうが、この娘の肝の据わり方はいったいなんなのだろう。
しかも、優しく撫でさするその手のひらは仄かに白い光を纏っていて、子供の足の指先からすこしずつ魔瘴の赤黒さが薄らいでいくように見える……?
「えっ……」
魔瘴の浄化儀式は、教団の上級神官クラスしかできないはずだ。
なぜこの、村娘然とした簡素な服装の少女にそれができているのか。
そして何より、もしや幼い命は助かるのか。
「あなたは──」
いや、ちょっと待って。
そもそも私は彼女の二つ結びにした栗色の髪や、万人から好かれるであろう素朴で愛らしい顔立ちに、どことなく見覚えがあった。
それはエリシャではなく、衿沙のほうの記憶だ。
「──誰なの?」
私の漠然とした問いに、彼女は目線を子供にあわせたまま、淀みなく明瞭に応える。
「わたしはただの村娘です。そんなことより敵を見て、貴族様」
はっとして前方に戻した私の視界いっぱいに、目前まで迫っていた瘴鬼の口が、歯を剥きだして白い三日月みたいに笑っていた。
「っ! このッ!」
反射的に顔面に放ったパンチは、上半身をぐにゃりと後ろにねじ曲げる動きで回避されてしまう。
しかもその体勢のまま瘴鬼は、空振りで生じた隙を狙って、長い腕ですくい上げるような爪撃を放つ。
背後に二人をかばう私は、避けることができない。
だが鋭い爪は脇腹の素体にあっけなく阻まれ、折れて剥がれて宙に舞っていた。
素体もまた、充分な防御力を備えているのだ。
ギギゲゲギゲゲ
それでも瘴鬼は不気味に嗤っている。
私の脇腹には鈍痛が拡がっていた。
爪を弾いた素体の表面が微かに、赤黒く変色している。
──物理的なダメージはない。しかし、魔鎧が魔力を凝縮し形成したものである以上、魔瘴による侵蝕の影響はゼロではないらしい。
空振った右拳をそのまま手刀として振り下ろすが、瘴鬼はさらに背後に倒れ込んで避ける。
ならばと前に踏み出して、最初に瘴犬を屠った尖踵の追撃を放つ。
自分でも驚くほどに、私は戦えていた。
特撮で食い入るように見てきた、いわゆる中の人ことスーツアクターさんたちの美しい戦技。
一向に上達はしなかったけど、体には刻まれている殺陣教室で学んだ日々。
それらを、素体のサポートによって思うがまま再現できているのだ。
「もう歩けそうね」
「うん、ありがとうマリカお姉ちゃん」
背後から声が聞こえた。
続いて二つの足音が遠ざかっていくのがわかる。
男の子の元気な声に私は安堵した。これで心置きなく、全力で戦える。
同時に私は、少女が誰なのかをようやく理解した。
マリカ──それは、この世界の聖女の名前だった。




