11 試整壱型《プロトワン》
「試整壱型! もう、そこまで……」
傍らで魔鎧を目にした父の顔には、驚愕と、恐れとが浮かんでいた。
アニメで見たそれは全身が血のように真っ赤だったが、ジブリールのまとう魔鎧はところどころのパーツが不完全なのか灰色で、刻まれた幾何学状の魔紋がむき出しになっている。
「卿! こんな場所で魔鎧を使うなど!」
主の暴挙に、ライルが非難の声を挙げた。
「──煩い」
対してジブリールは吐き捨てながら右腕を横薙ぎし、自らをかばっていたライルの胴を殴打していた。
それだけで彼の体は軽々と宙に舞い、激突した資料棚を三列ほど将棋倒しにする。
崩れた書類や器具に埋もれ、彼はぴくりとも動かなくなった。
生身の人間があの速度で吹き飛んだ事実から、その一撃の威力と、ライルが無事では済まないだろうことは理解できた。
それでも私は一歩も引かずに、ジブリールの鉄仮面で紅く仄光る、柘榴石が埋め込まれたような楔形の双眸を睨みつけていた。
「だめだエリシャ、危険すぎる…… 逃げてくれ……」
机の傍らで、どうやら腰が抜けてしまったらしい父が、それでも私の身を案じて声を上げてくれる。
たしかに危険なのだろう。
昨日までの、ただのOLだった私なら、迷わず逃げていただろう。厄介ごとからはいつも逃げて我慢して、そのまま目を逸らして生きてきた。
「いいえ、お父様。ここで逃げたら私は──」
それじゃあ決められた運命のまま、まっすぐ破滅に向かうだけだ。
私の中で、ダンケルハイト家令嬢としてのエリシャも、逃げることなどないと誇らしく背中を押してくれる。
「──エリシャ様──」
そのとき耳元で、私にだけ聞こえるようにミオリが囁いた。
「…………」
私も、彼女にだけ聞こえるように答えて、微かにうなずく。
「いやはやなんとも見上げた胆力、気に入りましたよエリシャ嬢。私はこう見えてもね、そういう女を力で屈服させるのが大好きなんだ」
ジブリールはねっとりと話しながら、机上の記憶盤を紅い装甲で覆われた右手で拾い上げ、さらに魔黒手甲へと指先を伸ばした。
「ミオリ!」
「──はい!」
合図と同時に私は、スカートの裾を両手で持ち上げながら体勢を低くする。
その頭上を、ミオリが両手から放った無数のナイフとフォークが銀の流星群と化して奔った。
「はは、まだランチにも早い時間ですよ?」
紅い装甲のそこ此処に当たっては金属音を響かせ床に落ちる食器たちを、ただ嘲笑うジブリール。
だがそれは想定内。
本命はナイフとフォークにまぎれ顔面に飛ぶ、二本のスプーンだ。
「あ?!」
ジブリールの鉄仮面の、紅い柘榴石の両目を覆うように、スプーンの丸い頭がぴたりと貼りついていた。
「ふざけた真似をッ」
唐突に視界を奪われ、先ほどまでの余裕はどこへやら喚きつつ両手でスプーンを引き剥がそうとする。
しかし、そこにたっぷり塗られた接着剤は蕩けたチーズのように長々と糸を引き、なにやら愉快なポーズになっていた。
──その隙に私は机に駆け寄ると、いっぱいに伸ばした手で魔黒手甲を掴み取る。
「舐めるなよ小娘が! それはもう俺のモノだ!」
顔面をかきむしりようやく視界を取り戻したジブリールが、激昂しつつ手甲を奪い取ろうと赤い手を伸ばしてくる。
掴まれれば、魔鎧で強化された力には絶対に敵わない。
「いいえ、これは──」
何の勝算もない無謀な行動ではない。
この危機を打開する鍵は、すでに私の手にある。
「──私のための力!」
ダンケルハイト家の血筋の者にしか起動できない、魔戦士の腕を守りし神遺物──その黒く凶々しい、けれど意外と軽くて小振りな手甲に、私は右手を差し入れた。




