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彼女のすすめてくれたAIソフトも人工知能に関する本も、どれも面白かった。それに、水原さんからも将棋サークルのファンだったこともあり、僕におすすめの将棋の本はないかと聞かれることがあった。
僕らがお互いの話をするようになるまで、そう時間は掛からなかった。
たまに図書館や大学の帰りが一緒になると、近くのファミレスで二人で軽く食事をしてから帰るようになった。水原さんの学科の話、家族の話、バイトの話、好きな映画の話なんかを聞いた。日常の会話が楽しかった。子供の頃から将棋のことしかやってこなかった僕にとっては、彼女といる時は普通の大学生活を送っているようで新鮮だった。
「あの、高梨さんのお時間ある時に、ここ行きませんか?」
水原さんの手には、水族館のチケットが2枚。
「バイト先の先輩が行けなくなったからって、2枚くれたんです。でも、やっぱり忙しいですよね?」
王将戦の二次予選が終われば、時間は作れるかもしれない。でも、その後の棋聖戦の…。
「無理しなくていいです!有効期限が8月中なので…」
水原さんは言いながら、考え込んでいる僕を不安そうに覗き込んだ。
「行ってみようか。次の日曜日でもいい?」
水原さんの顔が一瞬にして満面の笑みに変わる。
「もちろんです!ありがとうございます」
水族館なんて、何年振りだろうか。自分でもこんなにワクワクするものかと驚いた。
日曜日を空けるには、スケジュールを前倒しに調整する必要がある。まずは、対局に勝たなければ。
気合を入れ直した僕は調子も出て、王将戦の二次予選で八代七段に対して97手で白星を決めた。
すぐに次の対局に向けての戦略を、研究会に籠もって同期の棋士と練った。頑固な僕は、自分の将棋の反省点を指摘されると意地になるところがある。だが、水原さんに教えてもらったAIソフトで自分の指した将棋を解析させて、客観的な意見を以前より深く探るようになっていた。
日曜日の朝9時、研究会からそのまま待ち合わせ場所の駅に向かった。
連日の猛暑日が嘘のように、空を薄い雲が覆っていて、そのうちに雨が降り出しそうだった。
待ち合わせの10分前につくと、水原さんが先に来ていて、僕に気づいて笑顔で小さく手を振る。
普段のパンツスタイルで髪を後ろでまとめている水原さんとは、雰囲気が違った。水色のロングスカートにゆるくウェーブした肩にかかる下ろした髪。なんというか、女性らしくて、とても可愛いと思った。
「ごめん、待たせちゃったね」
「今来たところです」
デートの決まり文句みたいで、少しくすぐったい。彼女も同じことを思ったのだろうか、ふふ、と僕を見て微笑んだ。
「行こうか」
こういう時は、手をつなぐものなのだろうか。僕には判断できなくて、そのまま歩き出すことにした。