拾う神あり、餌にする神あり
拙作、無価値のエドガーの始まりの方です。
並行して書いていきたいと思っております。
シルバーの軽自動車には、鍵をつけたままだ。
江戸川駿馬は人生最後の晩餐を、二十四時間営業のラーメン屋で済ませてから、人気の少ない小道で車を降りた。
遥か昔には集落の入り口だったのだろうか。道祖神の石碑が道の脇に佇んでいる。
ブランデーのXOをグビグビと流し込む。喉が焼ける感触が苦しいが、気にしないことにする。
到底飲み切れやしないので、栓をして道祖神の前に備えてやる。
罰当たりな男の、最後の善行ということで一つ勘弁してもらおう。
電子タバコを作動させ、少し待ってから煙を吸う。
ミントの味ともこれでおさらばだ。
くわえ煙草が出来ないのが、この電子タバコの一番の欠典だと思うが、駿馬は普通の煙草は苦手だ。
木の枝にトラロープを括り付けてたらす。
予め輪っかは作ってある。
あとはここに首を入れてやれば、完成だ。
江戸川駿馬は敗北者だ。
借金を重ねた愚かな一族の、その果ての男だ。
今年で齢三十六だというのに、今だに親戚の中で一番若い。
淘汰されるべき血脈だ。
両親も死んだ。
たっぷりあった借金は、破産という手続きでほぼゼロとなったが、国や県に払う税金まではチャラにはならず、また知人からの借金もそのまま残る。大体、弁護士に払う報酬が中々どうして高額だ。
年金がわりと抜かして両親が馬鹿高いローンを組み、そのローンを払い切れずに駿馬の足を引っ張るだけ引っ張ってくれた家も、破産と共に失った。
車は中古の七万円のボロ車だ。車検も通っていない。
もういい。
やるだけのことはやった。
それで無理なのだから、無理なのだろう。
人の倍は働いた。比喩ではなく。
労働基準法では許されない過酷な労働も、雇用されていないならば問題無い。
中小企業の経営者とは、どんなにブラックになっても許されるのだ。
もし、次の人生があるのならば、親のスネとやらをかじってみたい。きっと美味いのだろう。
猿田彦氏の頭に乗り、首にロープをかけて、勢い良くジャンプする。
こういうのは思い切りが大事だ。
「さらば!友よ!」
思い残しと言えば、尊敬する友人にかけた迷惑と、返し切れてない恩。ついでに多分これから哀しませてしまうことくらいだ。
あとはいい。別にいい。
だというのに。
ロープが締まり、首を絞めてくる。
だが甘い。意識を刈り取る程の苦しみが来ない。
右手の手首が、ロープと首の間に挟まっていた。
あまり摩擦の無いトラロープは外れ、右手の手首だけを残して首が外れてしまう。
ロープに右手首を縛られたまま、駿馬の両足は地面についてしまっていた。
「…自殺も満足に出来ねえ、か…あーあ…」
そう言えば、財布にはまだ一万円札が一枚入っていた気がする。
何か美味いものを食ってから死ぬか…
安い風俗なら、一発抜けるか…
そんなことを考えていたら、段々とアルコールが回ってきた。
頭がくらくらし、目が回りだす。
辺りが光に満ちて、仏様が見えてくる。
オンコロコロセンダリマトウギソワカ…
オンコロコロセンダリマトウギソワカ…
オンコロコロセンダリマトウギソワカ…
「…いや、えっと…」
オンコロコロセンダリマトウギソワカ…
オンコロコロセンダリマトウギソワカ…
オンコロコロセンダリマトウギソワカ…
「…俺、仏教徒じゃないんスけど…」
『若者よ、その命は不要か』
「うおっ!?誰!?」
駿馬の周囲は、いつのまにか不可思議な空間に変わっていた。
暗闇の小道は極彩色に彩られ、目の前には小さな池があった。
その池はどす黒い血の色をしている。
そして駿馬の真後ろには何かがいる。
だが振り返れない。
振り返ろうとしているのに、また元に戻ってしまう。
『若者よ、その命は不要なものか』
「…もう、若かねえよ。それより、誰だい?アンタは…」
『若者よ、その命は不要なのだな』
「…ちっ。そこはおめえ、《とんでもねえ、アタシャ神さまだよ!》…だろうがよ…」
『若者よ…』
「要らねえよ!俺の命にゃ何の価値も無ぇんだ!欲しけりゃくれてやらぁ!!」
『では頂戴しよう』
「んがっ!?」
駿馬の右手に、大きな釣り針のようなものが刺さった。生まれてこの方感じたことも無い程の痛みが脳に直撃し、身体の感覚が無くなった。
右手首を縛っていたロープは、消え失せている。
身体が一切動かないまま、駿馬は目の前の血の池に叩き込まれた。
感覚が無い。
目も見えない。
呼吸はしていない。
右手の痛みだけが確かだ。
先ほどの自殺未遂の時のように、右手で吊られているような気がする。
まるでデカい釣り竿から垂らされた糸の先端の、イキの悪いイソメにでもなったみたいだ。
落ちていく。
墜ちていく。
オチていく。
意識も段々消えていく。
(…なんだか知らねぇが、こりゃ上手く死ねたってことかな…?へへ。奮発してXO呑んだ甲斐があったかな…)
『若者よ』
(…若くねえってのに…)
『良き釣果を』
(…あ、やっぱ餌か、俺…)
駿馬の意識はここで途絶えた。
再び目覚めることなど考えもしなかった。
しかし、残念ながら駿馬は目覚めることになる。
血の池の底の世界で。