異世界の壁
召喚師として最悪の失敗が、勇者契約の不履行だった。
召喚師連盟に依頼すれば、どんな願いでも叶えることができる。
けれど、そのときに消費する召喚ポイントは、僕が負担しなくてはならないし、海賊王ゴードンの時みたいに、大失敗することもある。
もしも召喚ポイントを負担できないとき、または5年に1回の査定で、失敗が続いて成績が悪かったとき。
僕に勇者との契約を履行する能力がないとみなされて、サクラハルは別の召喚師の勇者になってしまう。
失敗なんてしたくない。
最初にサクラハルを召喚したことを、間違いだったなんて思いたくない。
僕はただひたすら、全力であがき続けていた。
いよいよ僕が召喚の対価の完成に向けて、壮大な計画を推し進めているころ。
サクラハルを含む高校生グループは、今回の勇者召喚のメインクエストに挑んでいた。
「いくぞ! 目標、転送塔の奪還!」
「「おおぉーっ!」」
舞台は星3世界、《灼天》、惑星ランブルダンテ。
星2世界よりも若干硬いこの世界は、あらゆるものが凄まじい力を手に入れる世界だ。
この世界にいる生き物は、勇者たちも含めて、『強化魔法』が常にかかった状態になっていた。
高校生勇者たちの先頭を走っていくのは、トカゲの頭をもった現地人の戦士。
異世界から召喚された勇者ではないが、びっくりするぐらいの凄まじい強さだった。
「気をつけな! この世界の生物は『強化魔法』をより多く浴びるために進化している! たとえ可愛いウサギちゃんでも家を倒壊させる怪力を持っているから、絶対に近づくんじゃねぇ!」
つまりそれは、逆に言うと、現地人はそんな環境で生きている輪をかけた化け物ということである。
巨大なレッドドラゴンが襲い掛かってきたが、現地人は片腕で殴り飛ばして先に進んでいった。
「うへぇ、もう現地人だけでいいんじゃないの?」
「勇者いらなくない?」
「いや……現地人がいくら強くても、彼らを絶滅させる力を持った怪物がいるという事だ」
召喚世界では、生活に必要なエネルギーの大半をこの星3世界から召喚していた。
それを妨害するために、悪の召喚師マイコフも、いろんな惑星に魔物を放っている。
その魔物たちを討伐する作戦への参加が、僕たちの任務だった。
最終クエスト、惑星ランブルダンテの奪還。
成功しても、失敗しても、僕たちにとってはこれが最後のクエストだ。
惑星ランブルダンテで原型を保っていられる植物は、少ない。
見渡しても見渡しても岩だらけだ。
灰の嵐に煙る空、煤けた岩がごろごろ転がった大地を駆けて行く勇者たちの視界の隅には、常にマップが表示されていた。
さすが最終任務だけあって、召喚師のサポートも充実している。
召喚マトリクスという召喚世界の技術によって、ステータスと同時に視界にマップが映し出されていた。
マップには、星3世界のエネルギーを星1世界に転送し続ける『転送塔』の位置。
そして、その周囲に配置された、マイコフの哨戒兵の位置が映っている。
いまの状態で視線を合わせれば、戦場に散らばる他の勇者たちのステータスも浮かび上がる。
全員、体力、気力ともに満タンだった。
だが……サクラハルのように、星7世界ほどの高クラス勇者はいない。
最大で、星5世界のアーサー王と、その仲間の11人の円卓の騎士ぐらいである。
「目標はすぐそこだ! ひるむな!」
耳の下で切り揃えられた金髪と、スカートのような草摺りを膨らませてアーサー王が声を上げ、高校生勇者たちは、うおお、と声を上げた。
「やっぱり女の子だったんだ!」
「キター! これで勝つる!」
アツシとミミコは、興奮気味に叫んだ。
ちなみに星5世界は、すぐ隣の星4世界とも多少の関わりがあるらしい。
サクラハルにはまったく聞き覚えのない勇者だったが、高校生勇者たちはがぜんやる気になっていた。
見も知らぬ勇者たちとの合同作戦だったが、サクラハルは不思議と不安は感じなかった。
おそらく、勇者の感じる不安や恐怖は、召喚マトリクスによって自動で除去されているのだろう。
戦争に不慣れな彼女たちにとって、それは実に効果的に働いていた。
「今の爆発に巻き込まれた勇者は!?」
「いません! 委員長!」
「よし、いける!」
敵の巨影に怯む勇者の姿もない。
行軍は順調だった。
召喚師が生み出した転移ゲートをくぐってから、爆発をくぐってただひたすら目標に向かって前進している。
「まもなく『終末ゴーレム』との戦闘領域に入る! 魔法使いは、補助をかけろ!」
11人の円卓の騎士の1人、魔法使いマーリンが全員に補助魔法をかけた。
それを合図に、あちこちで光の渦が舞いはじめる。
補助魔法がかけられた勇者たちの速度が一気に早くなり、数十名ほどの塊となって、ぐんぐん先に進んでいった。
だが、サクラハルの足の速さは、元のままだ。
彼女には、補助魔法が効かない。
そう、精霊の加護を受けた彼女には、もともと魔法が効きにくいのだ。
星7精霊が扱う強烈な魔法でなければ、ほとんど効かない。
それは魔法にあふれた世界に住んでいる、星7世界人の長所とも短所とも言えた。
「お願い、ジーニー!」
けっきょくサクラハルは、風の精霊の加護を利用して、自らの魔法で加速した。
風の馬の背に乗り、丘をぐんぐん飛び越え、高校生勇者たちの背に追いつくと、彼らが乗り越える丘の先には『転送塔』が見えて、その脇には、巨大な黒い壁のようなものがそびえ立っていた。
その壁を見たとたん、サクラハルは恐怖を感じた。
勝てない――。
ジーニーが震えている。
精霊の加護を受けた彼女は、その瞬間に精霊たちの怯えを感じ、理解した。
豪雪のように灰の嵐がちらちらと舞い散る中。
それは聖域と化した遠くの神殿のように白くかすんで見える。
縦200メートル、横350メートルの横に長い、壁が歩き出したような怪物。
ちゃんと手足があって、のしのしと大地を踏みしめながら歩いているのが分かる。
左肩には、ピカソの後期芸術作品みたいなウシのお面がひっかけてあって、ときおり地面に落下したそれを拾っては、また肩にかけて歩き出す、を繰り返している。
頭らしきものが、どこにも見当たらない。
どうやら、たびたび落ちているそのウシのお面が、そいつの頭らしい。
終末ゴーレム+
クラス 星8モンスター
レアリティ UC
職業 禁断惑星アブデウス 太陽面監視塔 『最終城塞』
補足 魔法的、物理的な耐久力以外に、『防御力』と呼ばれる未知のステータスを持ち合わせており、非常に頑丈です。
補足+ 召喚マトリクスの計算によって『残存体力』が表示されますが、計算上のものです、あくまで目安にしてください。
星8世界の怪物。
数ある異世界の中で、『最強』の異世界。
そこにいたのは、かつて召喚戦争で使われた、召喚師たちの最終兵器だ。
召喚戦争とはすなわち、ありとあらゆる世界の勇者と戦う事を想定した戦い。その最終兵器である。
サクラハルは、ひと目で「勝てない」と理解した。
だが、もっと腕の立つ勇者ならば、「近づいてはならない」とまで予見していただろう。
数万人の恐れを知らぬ勇者が、350メートルの列を横に作って、一斉にそいつを叩いている。
剣や魔法の乱れ飛ぶ、豪快な攻撃だった。
だが、叩いているだけだ。
終末ゴーレムは、ゆっくりと塔の周囲を見回っている。
まるで「異常なし」とでも言うように、勇者たちのことを気にする素振りすらなかった。
こちらの総攻撃を受けているはずが、アリや羽虫にでもたかられているかのようだった。
みんなは、どうしてあんな怪物と戦えるのだ?
サクラハルには、不思議でならなかった。
暗闇が怖いからといって、暗闇と戦おうとあがいているようにしか見えない。
そもそも人類が戦っていいような対象ではないのではないか?
ひょっとして、彼らには『アレ』が他の魔物と同じように見えているのだろうか?
精霊たちの怯えが、尋常ではない。
間違いない、あれは……『邪神』の類だ。
隣り合う世界は、たまに干渉しあう事がある。
どうやら星7世界にも、星8世界の怪物の存在が語り継がれていたらしかった。
サクラハルは、震える指で視界を叩き、終末ゴーレムの『残存体力』を表示させてみる。
緑のライフゲージで表示されたそれは、やはり、こちらの一斉攻撃に対しても山のごとく、1ミリも揺らいでいなかった。
逆に、その足が地面を踏みしめる度に、周辺にうじゃうじゃと集まっていた勇者たちの緑色のライフゲージが、次々と消滅していく。
ライフゲージが消滅する意味を、サクラハルは理解していた。
自分はまだ一度も経験したことはなかったが、この世界で、何度も何度も目の当たりにしてきた。
死だ。
終末ゴーレムがただ歩く、足で地面を踏みしめる20秒に1回の割合で、500人前後の勇者が死んでいた。
高校生勇者たち56名の10倍の数の勇者である。
これでは、わざわざ死にに行くようなものではないか。
「サクラ、ぼーっとするなッ!」
彼女の頭上を、紫色の弾丸が通過していった。
骸骨のようなまだら模様を持った星8モンスター、終末ジャッカルに、危うく頭から飲み込まれるところだったのだ。
アツシは魔弾を銃に込め、勇者たちにたかってくる終末ジャッカルを次々とはねとばしていた。
今の彼が装備している銃は、マルウェア・ウルフの素材を参考に作ったもので、敵の魂を吸収するごとに破壊力を増す。
戦闘で成長が望めない彼は、代わりに戦闘で成長する銃を手に入れ、弱点を克服していた。
前線の戦闘に積極的に参加して、アツシはどんどん強くなっていた。
彼だけではない、高校生勇者たちは誰もが、最初の頃に比べて目の覚めるような成長をしているように見えた。
大召喚師アレクサは、勇者たちのためにもらえる基本召喚チケットで精霊を呼びつづけ、彼らのスキルを地道に強化しつづけていたのだ。
それに、彼らが急に強くなったような気がしたのは、星3世界の『強化魔法』のせいもあるだろう。
星のランクが低い世界の勇者ほど、異世界の魔法が効きやすい傾向にあった。
「ベオック! サクラちゃんを守って!」
「うごあああああッ!」
「ポルン! サポートお願い!」
「ぷるるるるッ!」
いのりん委員長の従える巨躯の戦士、ベオックも星4世界の勇者で、『強化魔法』によって桁はずれの戦闘力を発揮した。
もろ刃の剣を振り回し、現地人も驚くぐらいの勢いで、並み居る終末ジャッカルを遠くに跳ね飛ばしている。
効果の弱かったポルンの補助魔法も、この世界に来て、性能が何倍にも強化されていた。
極端なラック上昇によって、全ての攻撃が最大のダメージを発揮し、クリティカルになる。
その効果が発揮されている間は、終末ゴーレムに与えるダメージが0か1だったのが、ほぼ1で固定される。
この戦いでは必須となる、素晴らしい勇者だった。
だが、サクラハルには、そんな補助魔法が効かない。
どの異世界にいっても、ほとんど強化されている実感がわかなかった。
他の勇者たちは体力が無尽蔵にわいてくる星2世界でも、必ず日帰りでアレクサの屋敷に戻っていたのは、実はそういう理由もあった。
サクラハルだけ体力が回復しなかったのだ。
これは翻すと、敵の魔法に強い、という長所でもあったのだが。
このままでは、いずれ高校生勇者たちに追い抜かれてしまうのではないか、と焦りを覚えていた。
「おい、ミミコ、おまえはさっき新しいスキル覚えてただろ、早くぶっぱなせ!」
「わ、わかってるわよ! ちょっと待ってよ、いま巻物にみんなの名前を書きこんでるんだから……ミズロ・ドミオ・スフィー!」
『スクロール』と呼ばれる巻物に竹製の筆を走らせ、それを通じて新たな魔法を発動するミミコ。
ロングスタッフを高く掲げると、頭の左右で揺れているポンポンが跳ね、衝撃波で周囲のジャッカルたちが一度に吹っ飛んだ。
だが、周囲の勇者たちには、いつもみたいに被害は及んでいない。
みな砂ぼこりから顔を守っていたが、すぐに顔をあげて、遠ざかったジャッカルたちとにらみ合った。
「よしっ、成功っ! 魔法少女っぽい!」
ミミコは、星6世界の高度な魔法技術を取り入れることで、他の仲間を巻き込むという自らの魔法の欠点を克服していた。
サクラハルは驚いていた。
星7世界では、それはよほど精霊と深く心を通わせた者しか使えない、高度な魔法技術である。
それをこの短期間でマスターしたというのか。
さすが召喚世界である。
どうやら星3モンスターは、強化魔法を浴びやすくなるように進化しているため、魔法には極端に弱いという特性を持っているようだった。
多くはミミコの魔法を恐れて、こちらを遠巻きに見ているだけで、近づいてこない。
星3世界に来てからというもの、ミミコは非常に頼られる戦力となっていた。
「うわ、群れできた! はやく撃ってミミコ!」「おい、魔法使い、ヒールだ!」「道を切り開くぞ! 魔法使いは全員私を援護しろ!」
「ふええぇ! いっぺんに言わないでよぅ!?」
頼まれるとどうしても断れないミミコは衝撃波、ヒール、補助魔法と八面六臂の活躍をして、ようやくアツシがさっきの衝撃波でジャッカルと一緒に遠くまで吹っ飛ばされ、虫の息になっているのに気づいた。
「きゃーッ! アツシ! いったい誰がこんなひどい事をー!」
「ちょっとまて、さっき周りの勇者が全員攻撃対象から外されてたのに……その上で、俺だけ外し忘れてるなんてこと、ありえるのか……!」
「な、なに言ってるのよ! 最初にクラスのみんなを攻撃対象から外すのは当然でしょ!? ちゃんとアツシの名前だって、いちばんに書き込んだんだから! ……けれど、巻物の最後に『優先して攻撃する対象が選択できます(任意)』って項目があって……! どれを書いたらいいかよくわからなかったから、ネットとかでも誰の名前を入力していいかわからないときは、とりあえずアツシの名前を入れちゃうんだもん。……そうしたら、たとえ間違っていたとしても、あとで書き直すのが、ちょっぴり嬉しくなるかもって、えへへ」
「グーで殴りたい……なるほど、それでお前、この前の模試でも答案に、俺の名前ばっかり書いてあったんだな?」
「ぎくっ!? ど、ど、ど、どうしてその事を……! いや、そうじゃないし、模試中にアツシの事なんか、考えてたんじゃないしー!」
「ああ……分かってる、お前が好きなのはマツヒサだもんな……」
「ねー! なんでそんな勘違いしちゃうかなー! わたし幼稚園の頃からずっとマツヒサが好きって言ってるしー! やんなっちゃうもー!」
ぷんぷん、と頬を膨らませるミミコ。
どうして彼女の思いはアツシに伝わらないのだろう?
サクラハルは正直「うらやましい」という思いで2人を眺めていた。
「ふっ、いつ死ぬともしれぬ戦場において、互いを高め合える友か……これも私には無縁なものだな……」
王女であるサクラハルは、そういうものとは無縁だったのだ。
そう、だから異世界に召喚されたとき、隣には召喚師がいて欲しかった。
勇者ベオックや勇者ポルンと並んで戦う、いのりん委員長のように。
自分と並んで戦うマツヒサの姿を幻視して、サクラハルはその妄念を振り払った。
今は、そんな軟弱な事を考えている場合ではない。
敵はすぐそこだ、戦わなければ。
そのとき、地鳴りと共にすさまじい砂埃が舞い上がった。
前方に固まっていたアーサー王と円卓の騎士を含む勇者の一団。
1万7000人あまりのライフゲージが一瞬で消え、周囲は突然なにも見えない暗闇に陥った。
敵襲。
その一言に尽きた。
口惜しい事に、その一言しかサクラハルには言えなかった。
「敵襲ッ! ……離れるなッ! 陣形を保てッ!」
サクラハルは精一杯、声を張り上げた。
しかし、爆音のせいで鼓膜がやられているのか、みーんという妙な耳鳴りの他は、すべての音がはるか遠くに聞こえる。
お互いに味方の姿さえ見えない。
かすかに耳に届いてきたのは、「マップ!」、「確認!」、という断片的な言葉だけだった。
そうか、と、サクラハルは気づいた。
マップの情報を見れば、お互いの位置を確認することができる。
そう思い立ったサクラハルは、マップ上の仲間をしめす緑色の点が、残り20個程度を残して、画面からすべて消えている事に気づいた。
さらに、先ほどまで塔の周囲を巡っていた真っ赤な点が、いつの間にか自分のすぐ近くに移動していた。
のけぞるように空を見上げると、砂煙の向こうにゴーレムの牛の面がにょっきり覗いていた。
瞬きした間に飛んできた。
まさに神出鬼没の邪神だ。
――勝てない。
再びこの諦念が彼女の心の中に頭をもたげ、サクラハルの全身から抵抗する意欲を奪っていった。
――絶望しかない。
――戦いではない、こんなものは。
――なのに、どうして、みんなこんな怪物と戦っているのだ。
勇者ベオックは、召喚師いのりんをかばうようにして倒れたまま、ぴくりとも動かなかった。
アツシはジャッカルにのしかかられ、いまにも右肩を食いちぎられそうになって喚いている。
ミミコは倒れた勇者の1人にしがみついて、相変わらず何かを泣き叫んでいた。
戦場を絶望が支配して、指揮棒を振るように、終末ゴーレムが片手を高く振り上げた。
戦況さえろくに掴めないまま、圧倒的な戦闘能力の前に、高校生勇者とサクラハルの56名は、鉄の拳の一撃で破壊された。