サクラハル
《異世界召喚レベル7》に成功しました。
視界にふわりと浮かび上がる白い文字を、僕は突然視力が悪くなったようににらみつけた。
……『異世界召喚』って、なんだったっけ?
この世界で突然視界に浮かび上がる、こういった文字の羅列のことを、僕達は「ステータス」と呼んでいた。
ゲームやアニメの知識がある人なら、説明は不要だと思うアレだ。
これがいったいどういう原理を使っているのかは、よく分からない。
とにかく僕たち勇者に、この世界で生きるためのさまざまな情報を教えてくれる便利な機能だ。
「異世界召喚」、という単語にじっと視線を合わせていると、さらにその単語がもつ「ステータス」が表示される。
《異世界召喚》
異なる世界に存在する人や物に声をかけ、自分のいる世界に来てもらう魔術のことです。
なるほど、辞書チックな返答だ。
さすがこの召喚世界のステータス、一歩先を進んでいる感じがする。
けれど、それは僕がいま必要としている情報とはすこしちがうのだった。
僕は両手を召喚陣に伸ばしたまま、震えそうなくらいガチガチに緊張していた。
お湯をしたたらせる白い肌に、くすんだ金髪が揺れて、湯気を立ちのぼらせる可憐な少女が召喚陣の中からゆっくり立ち上がろうとしていた。
僕はごくり、と唾をのむ。
ここは何もかもが召喚魔法によって成立している世界。
第一宇宙イージーワールド。
その青空の一角にある、異世界から召喚された浮遊島ジェンヌだ。
軽井沢ぐらいの広さがあるその島は、緑にあふれ、多種多様な植物が繁茂する庭園がしつらえてあって、真ん中には白亜の城がそびえていた。
けれど、いずれの素材も、それぞれ異なる異世界から召喚されたものらしく、どこのものとも知れない異様な景観を生み出していた。
天井を支える柱は白くて丸く、玄関はさながらギリシャの神殿みたいだった。
けれども、壁の素材はお寺の漆喰でできていて、セミの抜け殻がひっついている。
さらに天井には巨大な赤ちょうちんがぶら下がっていて、ほのかな赤色を発色していた。
細かい部分に目をつぶって、総合的に、ファンタジー世界によくある中世ヨーロッパ風のお城だな、という無茶な結論を出していた僕の目の前に、いまから露天風呂に入ろうとしている可憐な少女まで追加されてしまって、いやまて、と考えを改めさせられていた。
ひょっとして、日本がいちばん近いのかも。
召喚されたのは、生身の女の子だった。
艶やかな唇に、瞳とツメは虹のような不思議な色合いをしていて、頬はほんのりと上気している。
赤いトルコ石の指輪をはめた細い両手で、2つの胸のふくらみを包み隠したまま、青や赤、様々な光のせめぎ合う不思議な色の瞳で僕を見つめ返していた。
僕を見ていた。
その場には、僕の他に55名の少年少女がいたのに。
みんな僕が人生初の召喚魔法を発動するところを、じっと見守っていたところだった。
いったいどんな勇者が呼び出されるのか、はたまた失敗して怪物が呼び出されるのか。
興味半分、不安半分と言った様子で見守っていたのだけれど、僕の呼び出してしまった少女の現実離れした美しさに、みんな声も出せずに固まってしまっている。
誰もが同じ県立高校の制服を身につけて、背格好も年代も僕と同じくらい。
なのに、不思議な事に少女はまるで、この中で自分を召喚した人間が誰なのかわかるみたいに、大勢の中で僕だけをじっと見つめていた。
少女に視線を合わせると、その『ステータス』が視界に浮かび上がった。
王女サクラハル
クラス 星7世界人
レアリティ HR
職業 アルン・デュン・ミリオン王国第一王女
どうやら、どこかの国の王女様であるらしい。
第一ということは、第二や第三もいるのだろうか。
星7世界とは、いったいどこにあるのか。日本からどのくらい離れているのか。
ハイパーレアはどのくらいレアリティが高いのか。
この世界では、分からない、と思ったものに視線を合わせると、すぐさまそのステータスが視界に表示される。
グーグルの機能をさらに進歩させた便利な仕様になっていた。
分からないことだらけの僕は、現れてくる情報をとにかく次々と目で追っていた。
それがいけなかった。
「おい」
僕は召喚されたばかりの勇者を放置したまま、じろじろ見ている変な召喚師になっていた。
ついでに言うと、彼女の肌の上に次々と現れる文字の奔流を、必死に目で追いかけていた。
「……見るな!」
ごすっ。
眉間になにか尖ったものをぶつけられ、僕は不意を突かれて、あっけなく仰向けに倒れてしまった。
大事な部分は文字に遮られて見えなかったのに、その記憶すら失うぐらい痛かった。
すると、止まっていた時が流れ出したみたいに、いままで固まっていた55人の生徒が一斉に騒ぎはじめた。
「きゃーっ! 血が、血がー!」「保険係! ヒーラー!」「ちくしょうマツヒサ、お前の死はけっして無駄にしないぞ……!」「こら男子ども見るな騒ぐな、散れ! 散れーっ!」
まだこの世界に召喚されたばかりの高校生勇者たちは、わーきゃー騒ぐばかりで一向に役に立たなかった。
それも仕方のないことかもしれない。
そもそも、いったい何と戦えばいいかさえ僕たちは聞かされていない状態だったのだ。
しばらくすると、僕はなにか尖った冷たい金属で顎をぐいっと持ち上げられた。
目を開けると、抜き身の剣だった。
王女サクラハルは入浴中にも剣を携帯していたらしい。
彼女にふさわしい、まっすぐで小ぶりな白銀の剣。
どうやら、さっき投げつけられたものは、剣の鞘だったらしい。
脇に見事な意匠の施された青い鞘が転がっていた。
「貴様か……湯浴みの最中に妙な声を私にかけつづけていたのは! おい、これはいったい何のトリックだ! 私を元の場所に帰せ!」
おかしい。
僕が想像していた異世界召喚とだいぶん違うぞ、これ。
僕が最初に引き当てた勇者は、腕で胸元を隠しながら、今にも僕を八つ裂きにしそうな恐ろしい剣幕で僕を罵っていた。
どうやって返事したらいいんだろう。
返答次第で僕だけ先にゲームオーバーしそうだった。
助けを求めて視線を泳がせる僕の目に、僕たちをこの世界に召喚した張本人、大召喚師アレクサのふわっふわの髪が映った。
まだ少女と大人の中間ぐらいの年齢の彼女が、イージーワールドの召喚魔法を管理する、たった16人の召喚総督の1人だ。
ふわふわの栗毛に、ふわふわの天使の翼。
母性を感じさせる柔らかな顔をくしゃくしゃにして、お腹を抱えてひーひー笑っていた。
「さ、最初の一発でハイパーレアを引き当てるなんて。なかなか持ってるわ、あなた!」
アレクサは、僕の召喚師としての才能を認めてくれていた。
やったね。
けれども、彼女の褒め言葉はあまりあてにしなかった方がよかったかもしれない。
彼女はきっと、僕が何を召喚してもほめてくれていたに違いなかったからだ。
その日、僕たちは異世界に召喚されて、大召喚師アレクサの勇者となった。
そして同時に、僕は召喚師になり、57人目の勇者を召喚した。
まだ自分の生き方もおぼつかない勇者なのに、勇者を召喚してしまって、これから一体どうなるのかは分からない。
とにかく、前途多難なことだけは、間違いなかった。