批判を糧にする方法
まず、最初に。
私は、感想欄の閉鎖を含む自衛を全面肯定しています。
無駄な争いを避けるために行動するのは正しいと断言します。
ネット上の論争はちゃんとしたルールがない場合、時間と労力の無駄であり、そして心の疲弊をする害悪です。やらない方がいいです。納得のいく結論はほとんど出ませんから。言いたいことを言って終わりです。
その時間があるなら執筆に使いましょう。その方が有意義です。
さて。
感想という名の批判を受けたとき、それを糧にするのが正しいという意見があります。
もちろん、そういった事を言う方も、的外れな批判を糧にするよう言っている訳ではありません。内容を読み、まともな意見かどうかを考え、その上で飲み込めるものを飲み込めば良いと、その程度の話をしているのでしょう。
ですが、それがどれほど難しいのかは、感想欄の批判に悩まされる作者様なら分かりますよね。言うのは簡単ですが、出来ないものは出来ないと、そう言いたくなり納得できないでしょう。
そのあり方は悪いことではありません。
むしろ、それを強要する人こそ反省すべきです。
「面白かった」「続きが気になる」「ここが良かった」という感想だけ欲しいと思ったって、それを口にしたって良いじゃないですか。
それは人に迷惑をかけない、ありふれた願いですし。
批判に耐えられる、批判でも感想がほしい、批判など気にしない。それとこれとは話が別です。
付け加えると、言われた当事者が冷静に批判を受け止めるのは難しいんです。当事者だけに、感情的になりやすいですから。
今回はそんな批判をされたくない人、批判を否定する人向けのお話です。
まず、結論から。
「自分への批判じゃなくてもいいじゃない、他人への批判で成長しよう」
日本には、「人の振り見て我が振り直せ」というありがたい言葉があります。
なので、その言葉を信じ、ランキング上位の方の作品に付けられた感想(批判)を見て学べばいいのです。
この場合、自身は言われる側でも言う側でもなく、完全かどうかは知りませんが第三者です。
第三者であるということは感情的にならず冷静に物を見ることができる立場であり、ある意味、自身の作品に批判を受けたときよりも学ぶ姿勢であると言えるでしょう。
もしかすると当事者以上に正しい視線で議論に意見を持つことができます。
問題としては、該当作品を読み込まねばならず労力を要することですが、それぐらいはしょうがないかな、と。
作品に対する理解度で作者に劣るのは読者視点よりになるだけで悪いことではありませんけど、全く読まずに批判から学ぶ事はできませんから。
人気のある、自身の作品以外から学ぶ事は多々ありますし、そこには作品だけでなく感想(読者の傾向)もあると思います。
一度、批判的意見に耳を傾けてみませんか?