カンブリア紀の少女
そこと思われるあたりを三本の指でこすると、姉の手鏡に楕円の澄んだ表面が表れ、記憶の扉に閉ざされていたニッコウキスゲの花畑が、狭霧に翳るラクダのこぶのような尾根とともにぼんやりと黄色く浮かびあがった。キスゲは霧のめまぐるしい流動に見え隠れする。少年時代のあの危うい微熱を持った陰画のように押し殺されていた気分が、キスゲの群落に目覚めて呼び起こされる。
霧が濃くこもると、キスゲの群落も見えにくくなる。山腹には休憩する登山者たちのグループが点々と数えられたが、何もかもがミルキーな霧に覆い隠されてしまう。霧は雲でもあるから、麓の町から見あげればキスゲの花畑に集う人は雲のなかに閉じこめられた状態だ。あのメレンゲのような、あるいはモリアオガエルの泡のなかに身を潜めたかのように。登攀中は素敵に晴れ渡っていたというのに、これでキスゲの群落を楽しめると期待していたのに、いつものことだけれど、高原に着いたとたん霧が湧いてすべての景色を奪ってしまう。濃い霧にすっぽりとさらわれた感じで、子供のころは「神隠しにあう」と脅かされた。確かに霧に対する町の感覚には伝統的に神秘的な「恐れ」というものが潜在していたから、伝承によって現実のメカニズムの一部をなし、生活の背景を統制していたと思う。町の日常にはまだ言い伝えの尾鰭があらゆるところに残っていた。
いきなり、大きな物体が、目の前を遮った。驚いてとっさに退いたけれど、巨大な飛行体は音のない空間を悠然と滑空した。翼も胴体も優美な流線型のグライダーだった。
愛好家が操るラジオ無線コントロールのグライダーは長くて美しい曲線の翼を機敏に操り、キスゲの上空を旋回し、気まぐれに谷底からのしあがる霧に突っこんで搔き消える。とほうもない悪天候なのにどうやって視界を確保し操縦しているのかと好奇心が募るばかりだ。操縦者の姿を注意深く探したけれど、それらしい人影を見つけることはできなかった。
霧は絶え間なく流動し変化を繰り返す。そのたびに尾根を登る登山者の影がデフォルメされて霧のなかを徘徊したりする。太陽が二個に分殖して光暈を鈍色に広げたりする。雲海がいっせいに晴れる瞬間があったけれど、グライダーが予測していたかのように敏捷に滑りきてキスゲを刈り取るように低空を滑走していった。しかし、すぐに霧が押し寄せてグライダーもキスゲも我々までも旺盛に飲みこんだ。自然は、山の神様はそうやって戯れていたのかもしれない……
飛行訓練には絶対的に不適切な状況下での操縦法を考えてみた。まず第一には地形図が操縦者に記憶されている必要がある。高原一帯の地形が精細にしかも立体的に記憶されていなければならない。視点を雲海の上においてデータ化された地形を鳥瞰しながらグライダーを操縦しなければならない。霧に目隠しされても頭脳には航空写真が組みこまれていなければならない。さらに第二として、悪天候の状況を克服するためには、その航空写真から実勢をシュミレートして<音>に転換する。音楽の才能のある人や共感覚に秀でた人物には容易な技法だ。滑空の環境条件を作曲家のように音符に分析し楽譜化する。そして指揮者がそうするように幾多りにも及ぶメソッドをあらかじめ予行演奏で試み適切さを確実に検証し、演奏家たちは実践力を習得して<音>によって見えない地形の全てを現実化する。グライダーの操縦者はこれと同じ技法でラジオコントロールしているはずだ。電波を操り、最高の緻密さと大胆さで細密な立体像を紡ぎ出し、これでもって操縦している。操縦者は下界の生活でも物事の処理に長けて、冷静で知恵のある頼り甲斐のある人物に違いない。操縦者はこういった危険な状況に果敢にそして冷静に対応することに深い意義を見いだしそれと同時に危険な快楽を楽しんでいるのだ。リーダーシップの確立した冒険家肌の明朗な人と思えてならない、そういう人物に強い憧れがある。
包容力があって勇気のある年長者に憧れる傾向がある。直情的に彼の庇護を求めているのだろうと思う。良くも悪くもそれは父という存在が生活空間になかった生い立ちに根がある。父という存在を知らずに女たちに囲まれて育てられた空白に清冽な電光の力を感じて魂が震えるからだ。といったからといって、片親による精神のアンバランスとか精神科の博士がやみくもに興味を寄せる心的障害とは無縁で、いたって健やかで凡庸な成長をした。もちろん母親が献身的に愛情を注いで様々な障害から守ってきたからだろうと、そう想像することが多いけれど、実際には姉たちの誰もがその秘密を知らなかったし、わからなかったし、考えたこともなかったに違いない。女の生活空間とは事柄を細々と分析ししつこく探求する空間ではない、といういたって平凡な構造に成り立っている、ということなのだろうと思う。遠くまでのスタンスよりも明日の平和と繁栄の確保さえ確実ならそれ以外は世の中の流れでしかない。だから遠くの謎に危険を冒してチャレンジする精神のありかを理解し認めることはありえないのだ。好きなだけ冒険に富んだ空想にふけっても、その実践となるとまったく絶望するしかなかった。監視網があるというのではないけれど、危険なことに対する女の直感や警戒心は驚くほど鋭敏で確かだったからすぐに冒険の芽は摘みとられた。草野球よりもお庭でのままごとの登場人物として扱われていたといえば説明十分な幼少時の悲劇だ。また、一方で、孤独で弱々しいものへの変身願望が強かった。教室や廊下や庭の片隅に舞う唇に、月光の射す浴槽の窓辺で羽を打つ蝶に、どれだけ憧れたことだろう。この願望は意識されてたものであるけれど、よくよく考えると、姉たちの性との同化を願う無意識だったような気がする。男親がなく兄も弟もいない空想漬けの孤独な魂は母親や姉たちが考えている以上に早く大人びる。女たちの性があからさまに影響するからなのだろうけれど、彼女たちの目はいつも曇っていて、弟が早熟の男性であるとは見えず、弟という事実は頭の中の<成長とは無縁>の<記号>としてだけにあり、同性の片割れ<妹>ととしか認知していなかった。弟のおちんちんはひよこ豆のような関心の薄い物でしかなかった。高原を庭のように訪れるようになったのは、彼女たちの平凡無事に過ごそうとする時間に沈殿する腐敗や曖昧未分が放つ停滞感からの小さな規模の逃亡もどきに過ぎない……
楕円のなかで変化が起きた。霧が雲海となり、雲海がちぎれ分かれて雲となり、隠れていた青空が瀑布のように押し寄せた。
山腹にキスゲの大群落が戻った。涼気をたっぷり含んだ風が山頂から麓へ吹きおろすと、風の道に咲くキスゲがいっせいになびいた。キスゲの花の色が鮮やかさを増して日を映すと、生気が立ちこめる花畑に人の声が目立ってきた。キスゲ畑は麓の右側に向かって急傾斜していて風はとりわけそこから谷底へ向かって速度を強めていた。グライダーがはるか下方を大型の鳥が旋回するようなゆったりした速度で飛行していた。谷間には目に見えない乱気流があるのだけれど、操縦士は百も承知のうえらしいゆとりで飛ばしていた。きっと何度もこの花畑を訪ねてグライダーを飛ばしてきた熟練者に違いなかった。グライダーが時に谷底から上昇してさらなる空の高みへ急旋回する。翼の先から、夏の日が青い輝きを拡散して、キスゲの群落に降り注ぐ。キスゲ畑は尾根の中腹で大きな範囲を占めていたけれど、学校の生物の教師がこの花畑がクマザサに侵食されて数年で消滅すると、予言したことがあった。予言された年は過ぎてしまったけれど、花畑は残った。しかし、教師の予言はジリジリと現実味を帯びてきて、近年、山の乾燥現象がつづき、クマザサが花畑を侵食して笹原となってしまったところもある。その笹原とキスゲ畑がせめぎ合う比較的穏やかな起伏に古い無人の山小屋が残っていた。屋根が一部剥ぎ取られていてここから小屋のなかが覗いて見える。壁板も大半が剥ぎ取られているはずで、今では雨宿りにもならないし風除けにもならない。そのうち柱まで倒され小屋は跡形もなくなる、地上からもやがて記憶からも。
山小屋を破壊した輩のほとんどはキスゲの季節や紅葉の季節に軽装でやってきて、山が平地より100メートルにつき一度低くなるという教室知識を忘れて、雨や霧に見舞われると寒さの恐怖からそれが当然の権利といわんばかりに、それともそれさえも念頭になく自己保存という本能の操作で、ためらいなく無人の小屋を燃料として燃やしてしまった。山岳愛好者はそうしたふらちな破壊者に憤懣をぶちまけるすべもないまま見て見ぬ振りで歩き過ぎたり、涙目で呆然としていたりする。辛い気持ちを破壊された小屋に刻んで立ち去るしかなかった。多くの登山者はクマザサに侵食されたキスゲ畑に落胆してキスゲ畑が消えるその日を予測しながら施す術のない自分に落胆するけれども、その気持ちは一月も持たずに日常のなかへ埋没する。それが観光や趣味でキスゲ畑を訪れる人の当然の流れではあるけれど、自宅の庭同然に親しんできた者にはキスゲ畑と一体化して山小屋のみすぼらしさに馴染んでしまうと、破壊された山小屋から様々な物語を紡ぎ出す。友達と草野球するのも楽しいことだったけれど、打ち捨てられた山小屋を眺めながらふつふつと湧いてくるイメージに沿って語り合うのはもっと楽しいことだった。実際、山小屋を心静かに眺めていると、小屋に降った多くの季節を司宰する時の亡霊が他の登山者の目を用心しながらそばに寄ってきて、耳寄りな話を聞かせてくれた。
笹原はぬめるような暗さで時化の海のように見える。湿気を帯びた風が重苦しく山腹を這いあがって笹原が大きくざわめくと、そのざわめきに山小屋を現実に結びつけていた纜が解け、山小屋は左右に大きく揺れながら漂流しはじめた。ボロボロの船体はあちこちの側板が半分外れかけていた。もし山小屋が鉄船であったらその無機的な匂いから何物も生まれ出ることはなかったけれど、木造船は冒険小説のなかから生まれ出たもので幽霊船であってもそこには生き物の匂いがまといついていて、難破船の破れた舷側から振袖を着た少女が転び出た。金色の地紋に桜模様の振袖が蝶の舞いのように舞う。輪舞するたびに振袖が羽ばたき周囲の光を七彩に散りばめる。金魚か錦鯉か、振袖を艶やかに羽ばたかせて一時の開放感に浮かれて泳ぎまくっていると、笹原に潜んでいた古代貝がカンブリア紀の生存競争の王者然と獰猛な赤い目を光らせ、時には水棺から猛然と水を噴射して少女へ襲いかかった。素晴らしいスピードで少女との距離を縮める。頭足類の巨魁らしく巨大な脚を煽りながら、笹原の時間をかき回して世界を幻惑の渦に引きこむ。グライダーが霧の切れ目から降下してきて巧みにホバーリングしながら無邪気に遊ぶ少女と獲物を狙う古代貝を見張っている。
少女は笹原を小走りに走る、子鹿が走るように野うさぎが飛ぶように。巨大貝が少女を巻きとろうと足を伸ばしたけれど、少女は意外にも恐怖感を浮かべないで軽快にすり抜けた。笹原の特にクマザサが密に茂ったところへ逃げこむと、いきなり立ち止まって、着物の裾をたくしあげ腰を草叢に沈めた。背中が無防備にさらされたままだ。少女は尻を草につつかれたのか腰をあげ股を覗いている。もう一度足元を確かめながら腰を落とし、顎をあげ、上空を見あげた。古代貝はグライダーに牽制されて少女を遠巻きに狙っていたけれど、近寄れない苛立ちで生殖腺のある特に長い脚を狂ったように跳ねあげ、所狭しと振り回している。少女は古代貝の真っ赤な目よりもグライダーの方を嫌な落ち着きのない気持ちで見あげた。姿の見えない何かが不穏な圧迫感を与えていたからだ。少女は知っていたのかもしれない、そこに本当に危険な誰かがいて覗いているのを。少女は用がすむと笹のうえで仰向けになった。着物の裾がめくれ、蝋細工のような白い股がむき出しにさらされる。山が風に揺れ、夕日に沈みかけた頃、上空一面におびただしい数の古代貝が群がり出て、笹原は貝の鳴き声で異様に騒がしくなった。
古代貝の特別に長い脚がスルスルと伸びて少女の華奢な体に巻きついた。少女は目をつむったまま貝に身を任せた、長い歴史の夢を宿すかのように……