Light in the Dark
第一話「入国証」
水が落ちる音が聞こえる。反響してぼやけた音が何度も聞こえる。
薄暗い岩肌の通路には壁に突き刺された篝火以外の光源はない。
同時に何か倒れる音と金属音。
壁には返り血や様々な汚物、床には老若問わない女の死体。
それらは一様に服は着ていない。、
「何も持っていないか、せめて金貨の2、3枚もあればよかったんだがな」
地に伏した皺くちゃな子供の身体を、溝付鎧を纏った男が漁り始める。
男は兜はしておらず布を巻き、鎧も所々凹みや傷が付き、騎士というよりは山賊や敗残兵だと言われた方がしっくり来る。
事実彼はある意味では敗残者だった。
今まさに彼の行為を見る者がいれば、それは子供を襲い僅かながらの金品を奪おうとする洞窟に篭った山賊に見えるだろう。
しかし、彼が漁る死体は一見すると子供のように見えるが、頭は禿げており耳は鋭利に尖っている。
それはこの世界で最もポピュラーで、最も嫌われていると言っても過言のない亜人種である小鬼だ。
小鬼は、身体は成人しても人間の子供程の大きさであり、力も大したことはない。
しかし、同種以外とも亜人種や人間種と交配可能であり、生殖能力も高い。
また、小柄であることが災いし、殲滅したとしても生き残りが隠れていたり、見落としがあったりと根絶することは難しい。
劣悪な環境でも逞しく生き、油断するとすぐに数が増える。
非常に悪賢く、生き残るためならばなんでもするため、群れを潰しても生き残りが再び群れを築くこともある。得てしてそういった長に引き入れられた群れは手強い。
また、小鬼の王族や上位者の子等は栄養状態に恵まれた個体は上位種へと成長する。
同族を指揮することに長け、能力を底上げする小鬼王侯。
人間を遥かに上回る体格を持ち、圧倒的な力を有する大鬼
人間から奪った書物を読み叡智を身に着け、魔法の力を行使する小鬼の魔術師。
「群れの長だったようだが、まだ住み着いたばかりだったようだししょうがないか。」
男が小鬼の死体から剣を引き抜き、付着した血をゴブリンの薄汚い衣服で拭い去る。
「これで入国できるといいんだが。」
男は周囲を見渡し、死体となっていた麓の村の住人を一瞥して来た道を戻る。
横道や長を殺すまでに殺した小鬼が転がっている。
それらに一応の蹴りを入れて生死を確かめてから外に向かう。
背後から刺されたり襲われるのは敵わない。
そう思いながら外の明るさに目を細める。
本当ならば洞窟の入り口を崩すなり、毒を撒いたり、火攻めを掛ける等して確実に殲滅したほうがいい。
しかし、ただ依頼されて請け負ったことだし、何より依頼内容はそこまでではない。
また、男が本当に依頼を果たしたのかを確かめるために村の者を伴って再び入ることになるだろう。
男はこの国では他国の者であり、国境沿いの街で入国証の発行を求めた。入国証が無くとも街や村はこの国の領土内に点々としており、入国すること自体は可能だ。
しかし、街の城壁の門を通る時に検問はあるし、仮に街に入ることができても武装をしていることから問題になりやすい。
国境の都市は交易のため検問は無いからいいものの、ここから先の都市では必ずと言っていいほどある。
そこで、入国証を国境の街で手に入れ身分の証明となるものを手に入れたいと思っていた。
入国証は表には発行された街の印章が魔法で押され、裏面に魔法の羽ペンによる身分について記載されていて偽造はほぼ無理だ。
高位の魔術師であれば偽造は難しくないが、男にはそのような伝手は無かった。
多額の金を支払うことで通常は入国証を発行してもらえるのだが男にはそれほどの財布のゆとりはなかった。
金以外のもう一つの発行方法では身分のはっきりした国民の証明してもらうこと。
入国証を発行してもらおうと考えた男は街にある冒険者組合に向かった。冒険者組合にある依頼は依頼主がそれなりの報酬を支払える"身分のはっきりした国民"であることが多い。
依頼主に証明を貰えれば問題は解決する。
「報酬はいらないから」という形に持っていくことになりがちなので、苦労の少なそうな依頼を探していると見つかった。
『村の近辺の洞窟に住み込んだ子鬼の討伐及び攫われた生存者の救出』
男は依頼の紙を壁から剥がし、受付に座る受付嬢に声を掛ける。
「すまん、この依頼を受けたい。依頼主に詳細を聞きたいのだが、どこに住んでいるのかな。」
「いやあ助かったよ、カパーナの村を代表して感謝する。まだ若いのに小鬼が住み着いた洞窟を一人で殲滅するなんて大したもんじゃないか。しかし、本当に金はいいのかい?」
目の前で恰幅のいい髭面を晒している初老の男は麓の村の村長だ。名前はアラン・ダフ。昔から代々村のまとめ役を引き受けてきた家柄らしく、事前に目論んだ通り街の役人にも顔が利く人物だった。
かつては銅の採掘で栄えた村だと言うが、銅山が枯渇し放置された廃鉱山がああいった亜人種や山賊なんかの溜り場として利用され、今まで何度もこういったことは起こってきたらしい。
「えぇ、大丈夫です。その代りカパーグラードの街まで同行頂き、入国証の記入の証人になって頂きたいのです。」
「そんなことであれば喜んで。私どもも少ない収入を節約できるのは非常に助かります。」
通常こういった難易度の低い討伐の依頼の相場は、一般的な町人の年収の凡そ2倍。この村長が住む村の村民であれば凡そ3倍程になる。
駆け出しの冒険者が最初に死ぬ確率が高い内容だからだ。
駆け出し冒険者が小鬼と聞いて油断し、全滅したといった話は酒場でも使い古されたようなネタであり、かえってそれが「小鬼は大した敵じゃない。余裕だ」といった油断を誘いやすい。
そして、慢心したまま洞窟や閉所に入り込み、八方から襲われ死ぬ。一説には"ルーキー"の小鬼の討伐依頼の達成率は3割程だという。
つまり、一般的な民衆の年収の2~3倍の依頼金額が支払われるのはある意味で妥当とも言える。
村の外れにある墓地で葬儀に一応の参列を済ませ、村長と共に街の役所に着いたのは半日後だった。
役所というだけあって周囲には様々な風体の者が歩き、あるいは書類に記入したりしている。
男の目の前にもこの国での正装である薄い青のローブに身を包んだ男が白紙だった入国証に魔法のペンで記入を行っている。
「では、申請通り記入の方が終わりました。西方のスピーニアの国出身の冒険者であるアウグスト・レインさんですね。入国の目的は冒険者業のため。武器の携帯の許可、及び危険物の所持の許可。以上の内容で問題ないでしょうか。」
「あぁ問題ない。」
記入の終わった入国証を受け取りつつ、一応の礼は済ませる。悪い印象を役人に持たれることにメリットはないからだ。
村長は既に村へと帰っていた。村長という身分であっても日々の糧を得るための仕事はあるからだ。
受け取った入国証を確認しつつ、役所の外に出る。
(これが最初の一歩だ。俺はあの日見た光景を絶対に忘れない。必ずこの国の王を殺す。)
力を込めて一歩を踏みしめた。