獣の森へ4
シプレース大森林の更に奥へと進むと、そこはもはや森林というよりジャングルと言った方がしっくりくるような混沌とした風景が広がっていた。
と言っても島育ちのアディンは勿論、イスナイン姉妹も実際のジャングルなど見たことはない。第一、ウィスタリア王国の国土内にジャングルは存在しない……ということになっている。
だが今アディンの目の前に広がっているそれはまさにそれである。
「誰だここも含めて大森林とか名付けた奴。絶対密林の規模調べるの面倒臭くなっただろう」
大森林と言うだけあってその広さはかなりのもの。その規模を調べるだけでも相当な労力が必要だろう。
それでも地図が出回るということは誰かがそれを調べたと言う事に他ならない。
昔の人の偉業には素直に尊敬できるが、半端に手を抜くのはどうかと思う。いっそ完全手抜きの信用できないようなもののほうが最初からアテにしない分マシだったかもしれないとすら思える。
「ここからは注意して動いてください。変に近づくと攻撃されますから」
「攻撃?」
「ほら、あそこにいる大きいクモみたいなのです」
アルの指さす方には確かに巨大なクモのような生き物がいた。間違いなく強獣だ。
それを見て改めて強獣が獣どころか虫ですらないと確信する。
なぜなら虫――もっと言えば虫をはじめとしたカニやエビなどを含む節足動物は巨大化に向いていない。
水中においては話が少し変わるが、陸上においてはその身体を支える外骨格の重さが仇となって一定以上の大きさには成長できない。
これは体重が体長の三乗に比例するのに対し筋肉は体長の二乗に比例する為、筋肉が体重を支える事が出来る大きさまでが節足動物の成長限界だからだ。
だが今のアディンが見ているのは、明らかにその物理的な限界というものを越えている。
姿こそ虫に酷似していても、その中身はまるで別物ということだろう。
「あれはヤリアシグモです。下手に近づくと上から槍のように鋭い足でぐさっとやられます。あ、でもそれ以外の攻撃手段がないので比較的安全なんですけどね」
「あれで、か……?」
異様に長い四対の脚が絶大なインパクトと威圧感を放っているが、それで比較的安全だと言われて鵜呑みにはできない。
実際近づいて踏まれたら即死は確定だろうから、アルの言う安全とはあくまでも近づかなければという話だろう。
「問題はその周りにいる小さいのです」
「え、小さ、い……か?」
人間大のハチを指して小さいとはもはや感覚が狂っているとしか思えない。
「トゲツブテといって腹部分にある刺を飛ばしてくるんです。小型なんでああいう大きな奴の近くに群れるんです」
「いや、だからあれを小さいというのは……いや、うん。もういいや」
大きさに関して気にしていてはきっとこの先もツッコミ続ける事になる。これ以上考えるのはやめよう。そう思うアディンであった。
「それで、この先が最深部ってことでいいのか」
「はい。見えている脅威は避けて行きましょう」
「そうだな。あっちのほうにはいかないようにしよう」
「……ん」
進みだそうとした時、エルアがカタナを抜いた。
それだけでアディンは身構える。
彼女が抜刀するということは強獣が近くにいると言う事に他ならない。
緊張が走り、周囲を見渡してなおその姿を捉えられない何かに備えてアディンは指先にマナを集める。
「……来る」
木々の葉を揺らし、ガサガサと派手な音を立てながら何かがこちらに向かって飛びかかってきた。
三者三様の方向に飛び退く。
一応アディンやアルも学生であるとはいえ、騎士を志す者。咄嗟の身のこなしはある程度整っている。
尤も、既に反撃に移っているエルアほどではないが。
エルアのカタナが空を斬る。
何かがいたのはわかるが、アディンはそれが何かを捉えられない。
それほどの速度で動きまわる何か。
「強獣か?」
「いえ、私の知ってる強獣にこんな動きをするのは……!」
「じゃあ変異種か新種ってことか!」
その後もエルアが何度かカタナを振うものの、その全てを悉く回避しているのか、空を斬る鋭い音だけが聞こえてくる。
こんな時、トリアがいればマナの流れを視認して動きをある程度見る事が出来たのかもしれない。あるいはヴィールの聴力があれば。そうは思うが、今この場にいない人間の能力をアテにしても仕方がない。
今この場にいる人間だけでどうにかしなければならない。
「一瞬でも動きを止めることができれば」
「足止め……そうだ! ≪エアシールド≫!!」
アルが周囲に分厚い空気の層をいくつも作り出す。
するとしばらくして、何かがその空気の層にぶつかり、弾かれ地面に叩きつけられた。
それは数度ほどバウンドすると体勢を立て直しこちらに向き直る。
巨大な四つの三角柱型の脚と、そこだけ別の生き物のような動きを見せる長い尾にまるで爬虫類を思わせる頭部。
アディンが見てきた三種の強獣とはまた違った異様さが、それにはあった。
「……ん?」
構えを解かず、エルアは首をかしげる。
どうやらエルアも見たことがないようだ。
「何、あれ……」
「どうやら新種とやらが出てきたみたいだな」
新種の強獣に向かってエルアが駆け出す。
それを見てから強獣は攻撃を回避しようと動きだすが、少し揺れただけでその動きは止まる。
アルが≪エアシールド≫で強獣を抑えているのだが、マナを帯びた空気の層であるそれを強獣は知覚できなかったようだ。
こうなるとあとはもう運命を待つのみだ。
「ッシ!」
短い呼吸と共に一閃。が、エルアの表情が変わる。
確かに一撃で仕留めるつもりで放った。だが、彼女が斬ったのは≪エアシールド≫のみ。肝心の強獣には傷一つ入れる事ができず、カタナは弾かれた。
結果、最悪の状況に陥る。
全力で振ったカタナを弾かれて大きく崩れた体勢のエルアに対し、新種強獣は自身を抑えつけていた≪エアシールド≫が除去された事で自由を取り戻してしまった。
即座に反撃に転じる新型強獣。エルアが体勢を立て直す間もなく彼女に襲いかかる。
「姉さん!」
「間に合えッ!」
飛びかかろうとした強獣めがけ指先に集めたマナを放つ。
放たれたマナは強獣の頭部を貫き、そのまま貫通し空中で霧散した。
脳天を撃ち抜かれたそれは、どろりとした液体を出して溶け始める。
「これは……」
「強獣じゃない?」
やがてその姿は消え去り、地面には液体が染み込んだ跡が残されるのみ。
「エルアさん、新種の強獣ってこういう死に方をするんですか?」
そう訊ねるとエルアは首を横に振った。
「強獣以外の脅威がこの森にいるのか……」
「あ、アディンさん! あれを」
「何だ?」
アルに促され、振りむくと先ほどの新種強獣――いや厳密には強獣かどうか怪しいが、それとトゲツブテが戦っている。
しかもトゲツブテは数で圧倒しようと無数の刺を射出して積極的に攻撃を仕掛けている。
それだけではない。トビムカデやまだ名前も知らないような飛行型の強獣が先ほどの新種めがけて殺到。それぞれの攻撃手段で撃退しようとしている。
「一体どうなってるんだ……」
「強獣同士が争うなんて、見たことがありません。でも」
「逃げる」
エルアがカタナを鞘に収め、その光景に背を向けて走り出す。
アディンも同意見であった。
このままこの場にとどまり続けてあの戦闘に巻き込まれでもしたらたまったものではない。
さっさとこの場から離れてしまったほうがいい。
アディンとアルは顔を見合わせて頷き、エルアに続いて森を駆けた。
森から戻った三人は、イスナイン邸に戻り一息つく事にした。
とはいえ屋敷に戻る頃にはすっかり日が暮れており、これから何をするでもなくアディンは応接室のソファーに全体重を預けていた。
エルアがさっさと走って行ってしまうから、それに追いつこうと必死だったせいもあり≪フィジカルブースト≫を使わず不安定な森を駆け抜けた為、全身がだるい。確実に翌日は筋肉痛だ。
「今日中には学園に戻れそうにないなあ」
今から戻ったところで朝になる。幸い一日くらい授業を欠席しても問題はないくらいの成績を保っている、一応の優等生ことが救いか。
「なら泊って行くといいニャ。ウチ、部屋は有り余ってるのニャ」
「うおわっ!?」
応接室のソファーに腰掛けて完全に気が緩んでいたアディンに、後から突然出てきたムビリが抱きついてきた。
「足音しなかったんですけど!?」
「ニャッニャッニャ。ムビリおねーさんは忍び足が得意なのニャ。本場オウカのニンジャにも負けないニャよ」
「いや、そうだけど、なんで抱きついて?!」
「いやーおねーさんってばちょっと根を詰め過ぎちゃってニャー。疲れたのニャ。だからこう、若い子からエネルギーを」
「あんまり俺と歳変わらないですよね」
抱きついているだけならまだいいが、なぜか頬まで撫で始めた。しかも手つきが妙にいやらしい。
そして息遣いも荒い。
背筋が寒くなる。身の危険すら感じる触り方だ。
「はー。若い子はいいニャァ」
構わず撫でまわすムビリ。
アディンはこの状況をよく理解していないというか、こういう事をされる事自体が初めてでありどう対処すればいいのか判らず混乱していた。
地元である島では大人に頭をなでられた事はあるが、ここまでの事はされたことはない。第一、小さい頃ならばともかく中等部に通うようになってからそう言う事をされると言う事自体が世間一般的には珍しい。
というか、ムビリのスキンシップが積極的過ぎる。
「にゅっふっふ。で、何を悩んでいたのかニャ? ほうら、おねーさんに話してみるニャ」
「え、いや。大したことでは」
悩んでいた、というのは少し違う。どちらかと言えば気になっている、だ。
アディンは強獣についてよくは知らない。だからあの光景が、どういう事を意味するのかを理解できない。
ただアルの言葉を信じるのならば、これまで強獣同士で争うということはなかったと見ていい。
なおかつたった一匹の強獣に対しその他大勢の大小様々な強獣が一斉に襲いかかるといった光景はアディンが見ても異様に見えた。
「……」
「おんやあ? どうしたニャ。黙って。悩みがあるなら吐き出したほうがいいニャ。ほーれほれ」
頭を掴んで揺らしはじめた。
流石にちょっと鬱陶しくなってきた。
「喋らないともっと鬱陶しい事をするニャー」
自覚があったようだ。
はあ、とため息をつく。どうもこの家の姉妹はエルアといいムビリといい、距離が掴み辛い。
片や無口で近づきがたく、片やこれでもかと距離を詰めてくる。
アルくらいの距離感ならば接し易いのだが。
「解りました。解りましたから、揺らすのをやめてください」
「ニャッニャッニャ。それでいいのニャ。で、何を悩んでたのかニャ?」
「それが」
アディンは森で見た光景をありのままムビリに話す。
アルが見た事がないと言い、エルアがその光景を見て逃げる事を即断したことも付け加えて。
「ふむふむ。なるほどニャー。確かに強獣同士が争うというのは聞いたことがないニャ。集団リンチみたいな事をするというのもニャ」
ソファーの背もたれを飛び越えてアディンの隣に座ると、ムビリは袖の中に手を突っ込んでまさぐり、あのモフモフと呼ばれたスライムのような何かを取り出す。
「この子にちょっと調べ物をしてもらうニャ。アディンくん、どうせ宿決まってないんだからウチに止まるニャよね。ちょっと時間がかかるかもだけど構わないかニャ?」
「え、あ、はい。でもそれスライム? ですよね。調べ物とかできるんですか?」
「モフモフを舐めてもらったら困るニャ。この無駄に広い屋敷の管理。使用人も雇わずにどうやって管理していると思うニャ? 普段この家にいるのはたった三人。それだけでは無理ニャ。そこでおねーさんは考えたのニャ。だったら自分たちの手足となって雑務をこなしてくれる従者を造ればいいと」
やや発想が飛躍している気もするが、確かにイスナイン邸に来てから姉妹とその父親しか見かけていない。
このくらい広い屋敷ならば管理する為にいくらかの人数の使用人ないしそれ専門の人間がいてもおかしくはないはずなのだ。
だがこのモフモフが使用人の代りをしているというのならば納得できなくもない。
が、魔法によって生み出された生命体の中でも最も下位に存在するスライムはそこまで知能が高い訳ではなく、複雑な命令をこなすことは困難であったはずである。
このモフモフも一応はスライムのはず。それが調べ物などできるのだろうか。
「モフモフはスライムであってスライムに非ず、ニャ。大容量の記憶領域と処理能力を付与してあるおねーさん特製のスライムなのニャ。ついでにもふもふさせる事で触感もアップしてるニャ。癒し効果も抜群ニャ」
「え、このもふもふってそういう目的でつけられたの」
「ふっふっふ。さわり心地大事ニャ。ていうか普通のスライムってどろっとしてぬめっとして気持ち悪いっていうか……」
語尾が付かない上にどんどんトーンが落ちて行ったあたり、実際に経験があるようだがあえてそこには触れないでおく。
「まあ、とにかく。アディンくんは休んでて欲しいニャ。そろそろアルが部屋を案内してくれると思うニャ」
手に持ったモフモフを放り投げると、モフモフは形を変えて隠し扉を押してその中へと消えて行った。
一体この屋敷にはどれだけの数の隠し扉があるのだろうか。
そしてムビリの言う通り、モフモフと入れ違いにアルがやってきてアディンは空き部屋に案内された。
後にアディンは、天井が寮のより高くて落ち着かなかったが寝心地は良かった、と語る。




