獣の森へ2
イスナイン邸の敷地に一歩踏み込んだ瞬間にその雰囲気に違和感を覚えた。
重圧、とでもいうのだろうか。身体を動かそうとすると違和感を感じる。
特に身体をめぐるマナの流れが阻害されているような感覚。
「これは……」
「ジャミングに気付きましたか」
「何でわざわざそんなものを?」
「主に侵入者対策ですかね。一応、この辺りだと結構な資産家ですからね。資金目当ての強盗が多くて」
「それで魔法を使えないようにジャミングを掛けてるって訳か。でも結局生身でかかってこられたら危なくないか」
「その点については問題はありません。あ、そこ踏まないでくださいね」
「へ?」
言われた直後、右足で何かを踏んだ感触と共に嫌な予感が全身をかけぬける。
アディンは瞬時に後ろに跳び退いて距離を取る。その直後先ほど右足のあった場所から槍が飛び出ていた。
「ウッソだろ、おい」
「あ、そこも駄目ですよ」
「いっ!?」
着地と同時に足場がぱかっと開く。所謂落とし穴だ。
流石に跳んでどうにかなるものでもなく、一瞬の浮遊感の後身体が下に引っ張られていく。
「し、死ぬかと思った……」
なんとか縁にしがみつき落下は免れたが、下を見ると無数のパイクがその切っ先を天に向けていた。
「罠だらけなんで、侵入者はまず屋内に入れないんですよ」
「おまけに魔法も使えないから空からの侵入も不可能、か。ずいぶん厳重な警備態勢だこと」
アルの手を借りてなんとか穴から這い出る。
迂闊に歩けやしない。
「まあ屋敷の中は安全ですので。でないと誰も生活できませんし」
「そうだよな。うん。そうであってくれ」
一抹の不安を抱きつつ、何度かトラップを作動させながらもなんとか屋敷の扉の前に到着した二人。
アルが扉を開けるとともに、何かがアルの顔面に抱きついてきた。
何が起こったのか判らないアディンはぎょっとしてそれを見るが、なんというかなおさらわからなくなった。
白くてもこもこした何かが、アルの顔に張り付いている。それ以外に言い表す事のできないこの状況はトラップによって疲弊した今のアディンでは情報処理が追い付かないでいた。
思わずぽかんとしていると、アルが慣れた様子でそれを引きはがす。
「はい、じゃあ入りましょうか」
「いやいやいや! 何普通に進めようとしてんの? 何、それ何!?」
「?」
「不思議そうな顔すんな」
「ああ、これはモフモフですね」
「モフモフ……?」
見たまんまの名前だった。
「ムビリ姉さんの造った魔法生物ですね。この子、人懐っこいんでいつもこうして顔面に飛びかかってくるんです」
「痛くないのか……?」
「一応この子スライムらしいので、当たった時の衝撃とか全部吸収してくれるんです」
「スラ……イム……?」
毛の生えたスライムなど聞いたことがない。確かに不定形っぽいが、本当にスライムかどうかは怪しい。
まじまじとアルの手に握られているモフモフとやらを見つめていると、背後に人の気配を感じて振りかえる。
「……」
「えっ、と?」
するとそこにはアルに良く似た顔の女性がいた。
ただしその距離は異様に近く、かろうじて顔の雰囲気が感じ取れるかどうかといったところまで詰められていた。
あまりにも近過ぎて驚く事もできない。
「あ、エルア姉さん。ただいま戻りました」
「ん……」
「お父様はどちらに?」
「……ん」
「そうですか。わかりました」
今ので会話が成立したらしい。アディンにはさっぱり理解できなかったが。
こっちです、と言ってアルが歩きだしたのでそれに付いていく事にした。
アルの姉であるエルアと分かれる際に一礼すると、彼女は表情一つ変えず手を振って応えてくれた。
「なんか変わってる姉さんだな」
良く言えば儚げ。だがアディンが感じた通りの印象だと暗い、だ。
美人であることは間違いないが、ちょっと近寄りがたいものを感じた。
「もう一人ほどじゃないですけどね」
「……どんな人なんだよ」
「こういう人だニャン」
「うひゃあっ!?」
先ほどのエルアと瓜二つの女性が天井に立っていた。
しがみついているのならまだしも――いや、一切その状況になる理由は理解できない。が、直立している。
「ムビリ姉さん。お客さんを驚かすのは止めてくださいと何度も言っていたはずですが」
「ふひひ。いやあ、久々に妹が帰ってくるって言うんで出迎えに地下から出て見ればカレシ付きとは思わなかったのニャ」
ニャニャニャ、と妙な笑いと共に天井からムビリが振ってくると、彼女が天井に立っていた理由がはっきりとした。
彼女の足には先ほどのモフモフが二匹絡みついており、それが彼女を天井に張り付けていたようだ。
二匹のモフモフはムビリの足をくるくると回りながら昇っていくと左右の肩に一匹ずつ乗っかった。
「ようこそ御客人。イスナイン家の次女、ムビリニャ。あ、さっきの無口の暗い女がウチの長女ね」
「は、はあ」
「それで御客人。キミが噂のアディン・アハット君で間違いないのかニャ?」
「はい。妹さんにはお世話になってます」
「いえいえ。こちらこそ妹がお世話になってます。なのニャ」
話しているとどうも調子の狂う人だ。
エルアとは異なりこちらは随分と明るい印象を受けるが、どうも嘘臭い。
なにかこう、得体のしれない何かを笑顔で隠しているかのような違和感がある。
「にゅっふっふ。アディン君。余計な詮索は身を滅ぼすニャよ」
「っ……!」
「こうみえてもおねーさん、勘は鋭いニャよ。ニャッニャッニャ」
「姉さん。私達はお父様に……」
「解ってるニャ。そろそろお父様も待ちくたびれている頃だニャ。早く行ってあげるニャ。それじゃ、ムビリちゃんは地下に戻るのニャー! ばいばーい」
そう言うと手を振り駆けて行ったと思ったら壁に激突。かと思えばその壁がくるりと回って壁の向こうに消えて行った。
「隠し通路……?」
「ムビリ姉さん、また知らない内に通路追加してる……」
「え、あれ元々あったものじゃないのか」
しばらく屋敷の中を歩きやっとの思いで目的地らしき扉の前までやってきた。
途中何度かムビリが増設したという隠し扉に翻弄されたのは完全に想定外であったが、目的地につけたので問題ない、はずだ。
「ここにアルの親父さんがいるのか」
「その筈です。入りますよ、お父様」
三度ノックした後、返事を待たずアルは扉を開けた。
瞬間、廊下とは違った空気が中から吹きぬけてきた。
埃とカビと湿気と、インクのむせかえるような強烈なにおい。
古書店や老舗魔法用具店のにおいに近いが、あそこまで酷くはない。不快なにおいである事には変わらないが。
「おお来たか。待っていたぞ」
入口正面。部屋の最も奥に置かれた椅子に腰かけた男性が振りかえりながらアルに微笑みかけた。
なんとも優しそうな男性だ。
(この人が、アルの親父さんか)
「初めましてだな。アディン君。いつも娘が世話になっている」
「いえ、こちらこそ」
「それでお父様。どうして彼を連れてくるよう仰ったのですか」
「いきなり本題からか。少しは彼と話してみたかったのだがな」
「私としては一刻も早く学園に戻り残務を終わらせたいのです。手短にお願いします」
「そうは言うがどうせまた下らない玩具を買いあさるのだろう。雑談する時間ぐらいあると思うが」
瞬間、アルの表情が変わった。
無理もない。自分が真剣に取り組んでいるスクロールの研究を下らないと言われたのだ。不快に思わないはずがない。
何よりアルは十分に結果を出しているのだから、なお不快だろう。
「……まあいい。話というのは君の才能を見込んでの事なのだが、ウチの娘を貰ってはくれないか」
「お断りします」
アディンは迷わず即答した。
「え、いや。即答?」
「いや第一俺まだ十五歳で結婚出来る年齢じゃないし」
「いや、そうだが。せめて婚約だけでも」
「お断りします」
またもや即答。
「お父様。詳しく話を聞かせていただけますか?」
アルは笑顔のままだが明らかに怒気を混じらせていた。
流石にそれにはアルの父も少し引き気味になる。
「う、うむ。実はな。エルアもムビリもあの性格と言動だろう。嫁の貰い手がなくてな。このままでは勢力図が描き変わる可能性が高いのだ」
「勢力図……ギルドのですか」
「ギルド?」
「傭兵やハンターを管理する団体のことです。シプレースで活動するなら何らかのギルドに所属していないと商売もできません」
「そしていくつかの派閥に分かれての権力争いがある、と」
「うむ。派閥の勢力が大きくなればそれだけ商売がやり易くなり、無茶も通しやすくなる。だが逆に勢力が弱まれば……」
それ以上は言わなくても想像できるだろう。
商売ができなければ勢力は弱まり、勢力が弱まればその分人員も減る。人員が減れば更に勢力が弱まる。
一度負のスパイラルが始まればそこから勢力を取り戻すのは容易ではない。特に、元の組織が大きければ大きいほど。
「そこで、今国内で有名なアディン・アハットの名を借りる事ができれば、と思ったのだが」
「考えが安直過ぎます、お父様」
「全くもってその通りだが、あの二人だぞ。お前ならともかく、な」
「……」
アルも否定できなかった。姉の性格を知っているからこそだろう。
「ともかく、そういう話ならお断りします」
「ふむ。仕方あるまい。この話は忘れてくれ。次に……」
「まだあるんですか?」
不機嫌そうにアルがそう訊ねる。
「そう言わんでくれ。親としては娘の結婚も重要な事なのだ。おほん。それで、だ。実は君に頼みたい事というのがもう一つあってな」
「ちゃんとした事ですよね、お父様」
「うむ。実は先ほどの話とも少しかかってくるのだがな。ここ最近強獣の動きに変化があったのだが、それについて意見が派閥ごとに分かれている」
「強獣の動き、ですか?」
「そうだ。端的に言うと以前よりも強い個体が多くなった。それ自体は良い。だが問題はその頻度だ。明らかにここ百年と比較してもそういう個体の出現が多くなってきている。それだけではない。既存種との遭遇率は下がり、ここ数年は新種との遭遇のほうが多くなっている」
そこまで聞いてアディンは思考を巡らせる。
高い能力を持った個体の出現は決して珍しい話ではない。人間という生物においても身体能力に長ける個体がいれば、頭脳に秀でた個体もいる。そういう話に過ぎない。所謂天才という奴だ。
野生生物においてもそういったものが起きる事があり、そういった秀でた能力を持つ個体は生存する可能性が高く子孫を残し易くその個体の能力は世代を越えて引き継がれていく。こういった現象を進化と呼ぶ。
強獣も生物であるならば進化が起きたと考えるのも不思議ではない。が、ここで疑問がある。
「その新種が現れたのは?」
「二年……いや、最初に確認されたのは三年ほど前だ」
そこまではっきりと確認できるほどの進化が、そう短期間で起きるだろうか。
「既存種の強い個体は単純に報奨金を増やせば済む話だ。だが問題は新種のほうにあってな。既存種の四倍の人数を投入しててなお多少の被害を出してやっと討伐できるほどの能力を持っている。流石にこれではリスクが高すぎる。武器や防具は換えが効くが人命を失えばその人間が持つノウハウも失われる。そちらの損失のほうが大きいと私は考えた。そこで、だ。君に仕事を依頼したい」
「仕事? 一応これでも俺は陛下から新型ヘクスイェーガーの開発を任されていてそれなりに忙しいんですがね」
「それは重々承知している。だが、このまま強獣に対抗する手段がなければ大森林由来の食材や資材の流通が止まってしまう。そうなればこの街の経済に決して小さくない被害が出る。現状、一度新種と戦えば一人や二人の犠牲が出ている状態だ。いずれは……」
対抗できる人間が誰もいなくなる。
問題は思ったより深刻なようだ。
「……それで、俺に何をさせたいんです?」
「新種に対抗できる装備を造って貰いたい。傭兵やハンター達の身を守るような、そんな装備を」
「お父様、それは……」
「解っている。一学生である君に頼むべき事ではないということは。だが、君の話を聞くたびに思うのだ。この少年ならば、と」
「……アディンさん、どうするんですか」
アルが意見を求めてくる。
アディンの意思に全てを任せる。そういった風に見える。が、アディンは首を横に振る。
「第十二班のリーダーはお前だろ、アル。俺がどうしたいかじゃない。お前がどうしたいかで決めてくれ」
「私が、ですか?」
思いもしなかった返答に一瞬きょとんとした顔をしたアルだったが、口元に手をあててしばらく考えると覚悟を決めたように頷いた。
「解りました。ですがこちらにも優先度というものがあります。まず状況を確認してからでないと。それで構いませんね、アディン」
「ああ。……いや、俺からも一つだけ条件がある。アルに任せるって言っておいてアレなんですがね」
「ふむ。聞こうか」
「アルに謝ってください。彼女が全力を注いでいる事に対して下らないと言った事を」
そう言い切ったアディンを見て一瞬驚いたような顔をした後、アルの父は優しい顔でアルに向かって微笑みかけた。
「そうだな。すまなかったな、アル。そして、いい友人を持ったな」
「はい。迷惑ばっかかけられてますけど」




