ゆうしゃ ばーさす まおう
あるところに、勇者と魔王がいました。
魔王の手下をたった一人で退け、勇者はついに魔王と対峙し、戦いました。
勇者の圧倒的過ぎる力を前に、魔王は敗北を確信しました。
そこで魔王は、勇者に対しある提案をします。
『お前に命を取られるのであれば、わしはこれからこの辺り一帯ごと自爆を選ぶ。お前は強すぎるからな』
勇者は彼の言葉に動揺し、とどめを刺そうとした手を止めてしまいます。
その者にとって彼が巻き込もうとしている人々は、守らなければならない存在であったからです。
『しかし、お前をここで退けてもわしはお前に勝てぬだろう。だから、ある条件を引き換えにこの世界はお前の勝ちとしよう』
そう告げた魔王は、自らの胸から心臓を引き抜いて、こう言いました。
『お前は剣でわしの命を貫くがよい。わしはそうして一度眠りに着き、お前が死ぬ頃に転生し再び現れるだろう。しかし、その運命をお前にも授けよう。お前がわしを殺し続ける事が出来れば、世界は永久に守られる』
取引、と魔王は言いました。
もしこの場で魔王を強引に倒そうとすれば、彼は守るべき人々と共に消え去るという脅しをつけて。
勇者は、彼の提案を受け入れました。すると魔王は素直に自分の命を差し出し、勇者はその命を剣で貫き、光の力で消滅させたのでした。
―――その時から暫く、魔王の驚異から世界は救われ、勇者も老いを迎え、命を失いました。
しかし勇者は世代を超えて転生を果たし、18歳になる頃に自身がかつて勇者である事を思い出します。同時に、魔王も別の場所で魔王として覚醒を始めます。
互いの存在を感じ取れるようになっていた魔王と勇者でしたが、勇者は行動力、技術力共に魔王より格段と上でした。
魔王は負けを悟り咄嗟に逃げようとしますが、勇者によって容易く命を奪われ、魂を消滅させました。その世代もまた勇者によって守られたのです。
さらに次の世代からは、勇者の覚醒が進みより正確に魔王の位置が分かるようになりました。
15歳になった魔王の場所は勇者から一方的に判明される事になり―――魔王は次々と敗北して行く事になるのです。
幾度となく、世界は守られていきました、そしてこれからもずっと――――。
―――――。
「あれ、何してるんすかセンパイ」
静かな夜だった。そんな夜を賑やかな声と共に終わりへ至った。
一人の少女が、微笑みながら自分の顔を覗き込んでいる。短く切り揃えられた黒茶の髪が、活発な彼女らしい印象を強くしていた。制服を羽織った姿は年相応、というか学生相応と言ったところか。然し、
「それはこちらの台詞だ。お前、こんな夜更けになにしてんだ」
私は仕事帰りの途中である。スーツ姿ながら結んだポニーテールを解いて明らかな面倒臭そうな声を向ける。女を思えないようなガサツさである、などとはもう言われ慣れた。
ただ、今回に限ってそれは別問題である。何しろ、高校生が出歩くには少々時間が遅すぎる。時間は既に深夜十一時を回っている、少女一人で出歩くにはよろしくない時間帯だ。
「んー…誕生日前だもんで、友達と遅くまでカラオケを少々~…?」
「阿呆、親にちゃんと電話したんだろうな? そしてこんなところで私を見掛けて道草食ってる場合じゃねえさっさと帰れ」
盛大に溜息を零すと、少女はむしろ近付いて人懐っこい笑顔を浮かべて「えー、そんな冷たい事言わないでくださいよう」などと落ち着いた声。本音は見え透いているが、帰る方向が逆だというのに。
ようは、家まで付き合ってくれと言っている。確かに一人で帰らせるには、暗い夜道である。私が断れない事も見越しているのだとすればなんとも計算高い後輩だ。
「……はぁ、面倒臭ぇなあ。判ったよ、送ってやるからひっつくな首根っこ摘まんで放るぞ」
「やーん、猫じゃねーんですからやめてくだせえ」
少女の後ろから首根っこを掴もうとするも、触れた瞬間彼女は数歩前に出て振り返りつつ頬を膨らませた。
といっても本気で怒っているわけではないし、私も本気で面倒臭がっているわけではない。
なんら変わらない何時も通りの遣り取りだ。友人同士、心を許しあった仲と言ってもそろそろ良いのかもしれない。
私と彼女は、同じ学校の出である。小学校から高校までずっと同じだった。というか、彼女が私に追従してきたというべきだろうか。
始まりは小学校からの出会いで、懐かれたと感じたのは小学校卒業手前だっただろうか。『しっかり着いていくので待っててください!!』と半泣きで言われたのは今でも強く印象に残っている。今思えば、何故そこまで懐かれていたのか自分でもよくわかっていない。落としたアクセrサリーを拾ってやったくらいではなかっただろうか。
「というかセンパイこそ、ちょっと帰るには遅すぎません?幾ら生徒会長ったって…」
「この時期は色々あるんだよ。言っておくが、お前みたいに遊んで遅くなったわけじゃねぇからな?」
「むっ、なんすかそれ嫌味っすかぁっ」
そう、私は生徒会長なんてものをやらされているのだが、これがまた委員会の連中に随分と期待を抱かれてしまった結果、仕事が山のように増えた。結果処理に時間が掛かるので遅くなるようになってしまったのだが、恐らく心配して言っているであろう彼女から視線を横に逸らしながら「そりゃあ嫌味の一つくらい言いたくなるだろ?」と一蹴。少女は案の定「ひどーい」と喚くが、声量は一定以上挙がらない辺り時間帯への認識はあるようだ。そこまでお馬鹿ではなかったか。
「ぬぬう、私だってちゃんと親にも連絡してるし、こういう時間になることは全部想定した上で行動してるのにい…理不尽っ」
「へえ、そうかい。それだけ考えられるならもっと早く帰る方向に調整できたんじゃねえの?」
「………むぐぐぐ」
図星らしい。まあ、誕生日前と言っていたので浮き足立つ気持ちは判らなくも無いが。
そんな遣り取りをしている内に、静かな夜道を歩いて行くと、彼女の家が眼前に見えてきた。
家の明かりは点いているようで、恐らく彼女の両親はまだ起きているのだろう。姿勢を戻してそれを見た少女は、当然のように足を速めて家へと向かっていくのが見えた。ここまで連れてきたらもう大丈夫だろうと思い私は足を止めようとして、ふと思い出して自身の荷物に手を突っ込み、白と赤の包装紙に包まれた物を取り出した。
「おい待て、鈴。これ持って行け」
「ほい? ってわあ!? 投げて渡すのはよくない!」
そのまま徐に放り投げると、慌てた様子で鈴はその包装紙を両手で受け止め、落とさないように自分の胸元へと引き寄せた。
「誕生日、だろ? 別に偶然、ちょっと良さそうなアクセサリーを通り掛かり見つけてな。探してたわけじゃないが、丁度いいだろうと思って買っといた」
「………まじっすか。まじっすかっ!? え、センパイが私に? まじで!?」
「どんだけ疑うんだてめぇは」
ああもう、そういう変な喜び方をするな、無意味に恥ずかしくなるだろうが。そんな愚痴を内心溢しながら、「開けるなら室内だ、ここで開けんなよ?」と、何故か投げ返される可能性に対して予防線。いや、口ではああ言ったものの、センスに自信はない。突き返されても困るからだ、うん。
すると少女――鈴は、今までに無い程明るい笑顔を浮かべて、
「ありがとうございます、刹夜センパイ。――大好きです、絶対お返ししますから今度誕生日おしえてくださいよね!!」
私は思わず彼女に目を奪われ硬直していた。そのまま彼女はご機嫌な足取りで家に向かっていくのをただただ見据えながら、「それじゃ、おやすみなさいっ」と言って家へと戻っていくのを眺め「お、おう」としか返せなかった。
数秒後、我に返った私。うん、何を戸惑っているのだろう、確かに―――長い年月を経て、あんな事を言われた記憶なんて、一度も無かったけれど。記憶をいくら巡ってもこんな感覚、判らなかったけれど。
(……浮き足立ってるのは私かよ。らしくねぇ)
盛大な溜息を一つ溢し、私は背を向けて帰路に着く。明日にでも鈴に自身の誕生日を教えてみようか、そうしたら何か驚かしてくれるのだろうか。
そんな、淡い期待が直後、音を立てて砕け散った。
背後に感じた、無粋な黒い気配によって。
「…………は?」
振り返る。目を凝らす。
強く――闇を射貫く意識を以て、鈴の家、その二階を見据えた。
真っ黒な、薄い炎が彼女の家から上がっている。
火事などではない。家が燃えているわけではなく、それは影だ。何度も見てきた、何度も―――討ち滅ぼしてきた、滅するべき影だ。
「…、零時一分」
徐に右腕を持ち上げ、黒い制服の袖を捲って、黒い安物のデジタル腕時計を見た。時刻は今言った通りの表示、まさに私が背を向ける直前、日が変わった。
そして、鈴が――歳を一つ、取った。
「………そうか」
何かが私の中で凍てつくのを感じる。そして、何かが私に囁いた。
―――お前に安穏たる幸福はない。
私は再び彼女の家に背を向けた。
影の覚醒はまだ先だが、いずれ私の存在にも気付くようになるだろう。では、その前に『駆除』しなければならない。
今すぐは不可能、であるならば――――。
――翌日。
私の携帯に一通のメッセージが届いていた。宛先は勿論私、送り主はなんと刹夜センパイである。
『今日、時間はあるか?』
そんな短い文章。私は起きてすぐに『もちろんありますよ! なんです? もっしかっして誕生日祝いとかしてくれちゃったりするんです!?』なんて、冗談交じりの文章を送り返した。
勿論彼女が忙しい事は私も重々知っている。というか、そうでなければ昨日のカラオケも友人ではなく彼女を誘っていたのだから。
メッセージはすぐには返ってこない。元々返信速度は遅い人故、私はとりあえずパジャマから部屋着へと着替えて待つ事にした。
それから数分後、携帯がメッセージの受信を伝えるバイブレーションを響かせる。私は飛びつくようにして携帯の画面を開いた。
『なら良かった。勿論祝いだぜ、いい店を見付けたからな。今日は私の奢りでたらふく食わせてやる、時間と場所を送っておくから親にもちゃんと言っとけよ』
珍しく長い文章。しかも、それは私が望んでも叶わないであると思っていた言葉。思わず私の思考は凍り付いた。
(え、え? ええ…えええっ!?)
まさか本当に承認されるどころか、すぐに送られてきた日時を見れば完全にディナーである。しかも本当に割と高めのレストランが書いてあるように見える。
なんだこれ、私今日死ぬのではないだろうか。
何かこう、私らしい返信を―――そう考えて数十分が経過、結局。
「ありがとうございます、滅茶苦茶楽しみにしてますね!」
と、ありきたりな返信になってしまう程に私は動揺していた。
あのがさつな癖に堅物なセンパイ自ら昨晩はプレゼントを、今度はディナーの誘いなどと、恵まれているにも程がある。
何故突然ここまで好待遇を、そんな疑問が頭の中を無限にループしていたが、我に返って私は気付く。
「やばい、格好どうしよう」
大慌てで私は、晩餐に向けて準備を整える為に走り出した。当然家の中で走るな、と叱ってきた母親と父親も無理矢理協力させて。
―――そんな慌ただしい時間が、まるで嵐のように過ぎ去って。
気付けば私はセンパイとの待ち合わせ場所に立っていた。時刻は昨日ほど遅くは無い、しかして辺りは暗くなって見渡しも良くない。
夜の街はネオンが太陽の代わりに世界を照らし、闇の世界で人を迷わせないようにしているかのようだ。
指定の時間まで後数十分。少し早く来すぎただろうかと、私は落ち着かないまま自分の髪を弄ったり、周囲を見渡したりして歩く人々を見据えた。
繁華街手前の静かな公園広場。人の数自体は然程多くはないが、よく恋人達の待ち合わせ場所に使われているらしい。
(いや、勿論そういう関係じゃないけどさ…!)
大事な友人である、そう彼女に言って貰えた事が、かつて一度だけあった。
私は刹夜センパイに祖母の形見であるアクセサリーを見付けて貰った事がある。無くし、必死で探し回っても見つからない。
それを彼女は見付け、真っ直ぐ私に届けてくれた。その時私は、彼女への感謝と共にこんな事を口走った事を今でも覚えている。
「勇者様、だなんて」
命に並ぶほど大切なアクセサリー。今でも肌身離さず身に付けているそれを見付けてくれた彼女に、その頃嵌まっていた幻想世界を舞台とした物語に出てくる勇者たる存在を重ねてしまい、口走った。今でも思い出すと恥ずかしい、その恥ずかしさを隠す為にいつも騒がしいテンションを維持しているのだが、今日に限りそうはいかない可能性がある。
先程から緊張しているばかりでいつもの調子が思い出せなくなっている。
(おかしいなあ、確かに珍しいけどさ―――)
そもそも、今までだって誕生日を迎えても祝われた事なんて彼女からはまともになかった。というか、大抵おめでとう、と言うだけ言ってどこかへ行ってしまう事が多かった。そうでなくても、目を合わせてくれない事ばかりだったというのに。それが何故。
(―――まさか、知らず知らずの内に好感度がマックスに…!)
妄想であるのだが、もしそうだったらもう少し、自身を落ち着けて彼女に接しても受け入れてもらえるのではないだろうか。自分らしい自分で、彼女と話す事が出来るのでは―――。
今回の場ではそういった努力をしてみよう、そんな決意を決めようとしたところで。
違和感に、気付いた。
「………? あれ、なんか急に人が」
静かな夜だった。
いや、静かすぎる。いつの間にか眼前を歩いていた歩行者達は居なくなり、私は公園の大きな木の前で立ち尽くしているだけ。繁華街が近くにあるはずなのに、喧噪の欠片すら聞こえてこない。まるで、異質な空間へと一人迷い込んでしまったかのような―――。
「―――」
そんな、不気味な感覚と共に。
気付けば一つの黒い影が眼前から歩いてくるのが見えた。黒装束のそれはゆっくりとした足取りで着実に私の方へ向かってきている。それだけならば、別に私は気にせず注意を逸らしていたと思うのだが。
黒装束のそれが右手に握っている刃物を目にして、背筋が凍る。目を見開きその顔を見ようとするが、何か仮面のようなものを被っていて判らず、フードを被っているので髪型などの情報もわからない。精々身長くらいだが、そんなものだけで何も役に立つ情報になり得ない。
あるとすれば、私は弾かれたように地面を蹴って繁華街の方へと走り始めている、というくらいだろうか。
明確な死の恐怖、それが足音を響かせ、私の背後から迫ってくるのが聞こえる。足が速い、直線距離では追い付かれる。
咄嗟に私は鞄を後方へと投げ放ち、後方の黒い影に直撃する音を聞いて速度を上げた。軽くなった足は、鞄により後れを取る、黒い影から距離を伸ばして行き、繁華街の路地裏へと飛び込んだ。
光の届かないその路地は狭いが、それ故に隠れるには向いている。必死に走り、出来る限り人気のある方向へ急ぐ。
(なに、なんなのあれ。どうしてあんな人がこんなとこに!)
通り魔、或いは殺人鬼だろうか。どちらにしても、何故こんな人気の多い場所を堂々と刃物を剥き出しにして歩いていたのか。
というか、私を一直線に狙いに来たのは、私が視てしまったからだろうか。でもあんな場所だったら、もっと多くの人が居たはずだ。もっと多く、あの黒い影に狙われるのではないだろうか。
記憶を巡る。
人気が急に無くなり、騒ぎになっていた様子もなかったと思う。そして、彼は静かに私の方へと歩いて来ていた。――何かが変だ。
後ろを振り返ると黒い影の姿はなく、息を切らしながら私は漸く走りを止め、歩みへと戻っていく。こんなに全力で走ったのはいつの頃からだろうか。
どうにか刹夜センパイと連絡を取らないと――そう思って鞄から携帯を取り出そうとして、さっき投げ捨ててきてしまった事を思い出す。
「やばい、どうしよう。これじゃ警察に連絡することも―――」
一先ず繁華街の方へ行こう。おう思って向きを変えた先に。
――黒い影は、ゆっくりと歩いて近寄ってきていた。
「な……なんで!?」
黒い影は語らない。ゆっくりと変わらぬ足取りで迫ってくる。私は怯え、後方へと下がるが後ろは壁。慌てて来た道を戻るために、少し疲弊した体を鞭打った。
走って、走って、走って。しかし来た道を正確に辿れる余裕もなく、縫うように走っていた結果。
私は袋小路へとぶつかり、立ち往生。目を見開いて見上げても、そこは建物の壁に取り囲まれているだけ。
遠くから、足音が近付いてくるのが聞こえる。慌てて物陰に身を潜ませる。胸元に下げていた祖母のアクセサリーと、センパイから貰った値アクセサリーを強く握り、祈った。――どうか私を守って――。
それでも足音は近付いてくる。必死に瞼を強く瞑り、息を殺して祈り続け――。やがて、足音が私の方へと向いた事に気付く。
もう、だめだ、逃げられない。どうやったってここから逃げるなんて無理だ。
―――だったら。
「くそぉ―――」
咄嗟に私は近くにあった木の棒を掴み取り、物陰から飛び出して黒い影に飛び掛かろうとした。
だが、その足はすぐに止まる。
「―――鈴」
「………せん、ぱい?」
そこに立っているのは、いつもの何を考えているのかわからない無愛想な表情を浮かべた、彼女が立っていた。黒いコートを羽織って白いワイシャツと黒いスーツ姿で、ゆっくりと歩み寄ってきている。私は、力が抜けたように崩れ落ち、木の棒が乾いた音を立てて落下した。
「……う、ううう!よかったぁ…、せんぱい、私ぃ…!」
涙がこぼれ落ちそうだった。いつもの元気な私を見せなければと思うのに、込み上げる熱が抑えられない。笑顔を浮かべようとしても、涙を堪えようとして崩れる。
そんな私を前に刹夜センパイは一歩足を止めたが、ゆっくり歩み寄って、頭に手を置き、掴むような粗暴さで撫で付けてくる。
嗚呼、間違いなく私の勇者様だ―――。
「………もう大丈夫だ、これで、終い」
「うんん、うん……すみませ、センパイ…わた」
「――――転移」
無機質な、乾いた声が頭上から響く。
瞬間、私の目の前に激しい蒼の粒子が吹き荒れ、体がだらり、と地面という足場を失ったかのように垂れ、同時に強い風に煽られるのを感じた。
直後、頭に触れていた感触がゆっくりと離れて、直後訪れる浮遊感。
「……、え」
ふわり、とした感覚は次第に牙を剥く。重力に引かれ、次第に激しく、私の背を叩き付けるような風が襲い、力の入らない両腕は空へと引っ張られるようだ。
宙に浮いたままのセンパイは高速で遠離っていき、瞬く間にその姿をはっきりと見据える事が出来ない距離へと至り、
「ごあっ」
凄まじい打撃、痛み、激痛。それらに喘ぐ事が出来ない程の衝撃が私の背から全身へとぶつかり、体が反動で跳ね上がる。
白黒に染まった世界は繁華街のどこかだと認識するが、それがどこかまで考える余裕はない。建物の屋上付近では、白銀に輝く何かが振りかぶられ、私目掛けて投げ放たれていたからだ。
それは、私が落下した速度なんかよりもずっと早く迫り、吸い込まれるように私の胸元へと突き刺さった。それは地面さえも貫いて、私をその場へと縫い付ける。
(………せん、ぱい?なんで。え、どうして)
思考が遅くなる。恐らく頭の打ち所も、体の打ち所も、貫かれた箇所も。全てが、致命傷に至るもの。
(わた、…し、なにかしちゃったですか。せんぱい…そんなこと、させる、ほど……)
もはや感覚のない右腕を持ち上げる。伸ばしても、彼女には到底届かないにもかかわらず。
(どう、して………わたし………しにたく、な…)
そんな思考が、急に停止した。声も、思考も、腕も、何もかもが動かず、遠離る。
ただ、襲い来るは白い炎。体の内側を延々と焼き尽くす、聖なるそれは。
私の魂を、痛みを与えず消失させていくもの。
黒い絶望諸共、私は無念を呟く事も出来ないままに、―――。
―――見ていた。
いや、違う。見ていたのではない。これを実行したのは、紛れもなく私。
「……………何故だ」
気付くと、建物の上から、人混みに囲まれ、野次馬達の悲鳴や救急車、警察を呼ぶ声など雑音の如き響き渡るそこを見ていた。
息絶えた少女は絶望に塗りつぶされたような表情で、力の抜けた目元からは多量の涙が零れ、光の失われた瞳で私を見ているのが判る。
きっと、私が言った言葉は彼女こそ言いたかった言葉であるはずなのに、私はその胸元からこぼれ落ちた二つのアクセサリーを見て、湧き上がる身を貫く程の激痛染みた熱に苛まれている。
「今までと何ら変わらない。私がやってきた事は、何も変わらなかった」
手元に戻った光の力を宿す剣を握り絞めながら、私は逃げるようにして建物の屋上へと降り立ち、膝を着く。
そう、何も変わらない。私は守った、今回も魔王の手から人々を守った。
過去に倒した魔王が再び転生し、生まれる時を待ち、その結果が鈴という少女に宿った。ただ、それだけの作業であったはずだ。
何故、そうだというのにここまで苛まれるのか。
(今までと違ったからだ。彼女は――彼女だけは、違った)
偶然だったのだろう。今まで転生を繰り返した勇者の身内に、魔王が潜んでいる事は一度も無かった。
それでなくとも人の命を奪い続ける事に罪悪感を隠せなかったというのに、その対象が身内へと成り果てた。
――なのに、殺害を実行している間は、ほんの欠片も罪の意識を感じていなかった事に、酷い違和感と吐き気を覚え動けなくなる。
「…、しっかり着けていてくれた」
私は見た。死して彼女の胸元から落ちたアクセサリーを。紛れもなく、己がプレゼントしたものだ。
そして、今までにない程の罪悪感に苛まれている。これで百人を越える人間を殺してきた、そうであるにもかかわらず。
「………だが、間違いではない。無駄でも、ない。これで、この世界の平穏は保たれる」
言い聞かせる。何度も何度も、言い聞かせる。
私は無意識のままに家に戻るべく『転移』を唱えた。
―――数日が経つ。
あれから鈴は飛び降り自殺として処理されたらしい。証拠は全て力を以て異空間へと放り投げている故に私へと繋がらない為、それ以外の結論を出しようが無かったのだ。
私の元に警察は来たが、話せる情報は人としての私の情報だけ。彼女の死因に繋がる情報はそもそも、出せやしないのだ。
「…………」
無意味な時間が過ぎる。
私は今何をしているのだろう。人を殺め、その罪の意識を抱えたまま真実は永久に葬り去られて、仮に私が犯人であると言ったとしてもその証拠を提示する事は出来ない。そんな事をすれば世界の均衡が崩れる危険性さえあるから。
だからこそ、無意味な時間を過ごし続けている。人間としての役割、生徒会長など、もはやまともに手がついていない。学校へ行く事さえ、億劫になってしまった。これが、勇者の成れの果てと一体誰が思うのだろう。
それでも尚、自身が生きているのもまた、勇者故だった。魔王はいつ再び転生してくるかわからない。それまでの間は決して自分で命を捨てる事が出来ない。というよりも、彼との盟約上自分で命を捨てれば、それはこのシステム上において敗北を意味し、私は転生して戦い続ける事が出来なくなる。
―――出来るわけが無かった。それは、今までの犠牲全てを否定する事になるのだから。
「今までだって、沢山殺して来ただろう?」
膝を抱えたまま、虚ろに自分へと問い掛ける。
答えは無い。その通りだと理解出来ているのに、立ち上がる事が出来ない。自身の友人を手に掛けた――孤独だった勇者は、故にその重さが致命的に影響を及ぼしてしまっている。
そしてこう考えた。――この地獄は、一体いつ終わるのだろう。
『安心しろ、もう終わる』
「!?」
聞き覚えの在る声に、私は飛び上がって周囲を見た。当然、その声の主が居るはずはない。
システムが正常に機能している以上、彼――魔王が、私に問いを掛けてくる事など出来るはずが、
不意に、そんな思考を消し去るように家の外から警報音が鳴り響き始める。まるで空襲警報のようなそれは、途切れる事なく響き続け――私は窓を開き、目を見開いた。
「な………ぁっ!?」
紫色の炎が、瞬く間に世界を焼いていくのを視た。
逃げ惑う人々の声は、炎に近ければ近いほど少なくなり、その炎が近付いて声の聞こえていた場所から悲鳴を消し去っていく。
そして、その奥にいる真っ黒な影を見て、私は硬直し、しかして次の瞬間には窓から飛び降り、自身の力を覚醒させ真っ白な光へと自身を包み込む。
「――――なんで『もう』生きてやがる、魔王ッ!!」
身体能力が、勇者の力を経て飛躍的に向上する。地を蹴れば風を巻き起こし、白く染まった髪を靡かせながら、私は黒い影目掛けて声を張り上げた。
「ゲームは終わったのだよ、勇者。さあ、眷属達よ。彼女を斃せ」
世界に轟くような笑い声と共に、黒い影から人型の影達が無数に飛び出してくる。それらは全て人の形を成し、おおよそにして百はくだらないだろうか。
躊躇う事なく私は右手に意識を集中し、光の剣を顕現。迫る無数の人の影に立ち向かう。
戦況は、最悪だった。
紫の炎はあっと言う間に私の背後の街まで焼き尽くし、その先まで止まる事無く伸びていく。
で、あるにもかかわらず。私はその人影一人すら切り落とす事が出来ず、苦戦を強いられている。
「どうした、勇者よ。お前の光の力はかつての私さえ薙ぎ払った太陽の如し聖なる力。其れを用いながら、我が使い魔すら切り伏せられぬとは」
「うるせぇ!!図体だけでかい三下が高みの見物決めて笑ってんじゃねえよ!!」
人型の影達恥材に飛び回り、走り回り、武器を手に攻撃を仕掛けてくる。隙を見て忌避払い、斬り掛かるが、彼らの体を切ってもすぐに修復する様だ。まるで、光の剣によるダメージを負ってないかのように。
「ふ、強がりなものだが――勇者よ、貴様は自身の力について、無知だったようだなあ?」
魔王はその図体を震わせながら笑う。腹が立って直進しようとしても、人型の影が邪魔をした。
「お前の力の源は、人が抱く希望の心。しかして世界を繰り返す内に人間の希望は薄らいでいった。それが今のように急激に数を減らせば――尚の事」
「なに――ぐあっ!?」
纏っていた白い鎧の上から、影の二人が腹部に拳を叩き付けると、私はその攻撃を防ぎきれずに吹き飛ばされ、建物の屋根へと転がった。咄嗟に立ち上がると頭上から降り注ぐ黒い矢の雨。
両手お突き出して障壁を展開すれば防ぎ切れはするものの、さらに前方から無数の投擲武器。
「―――払えッ!!」
光の剣に白い炎を宿し、間薙ぎ払ってその攻撃全てを焼き尽くす――事は、出来なかった。
いくつかの黒い武器が私を翳め、あるは足や腕へと突き刺さり、激痛を伝えてその場に片膝を着く。
「わかったであろう?お前の力は人の希望が至る集大成。しかしその力の源は見ての通り薄れ――代わりに、我が力が強まった」
勇者の記憶が覚えている。かつての魔王は、ここまでの力を有していなかった。ただ大きいだけ、力が強いだけ――それだけだった。
人影達も私が動けない事を理解しているのか、影の中に口元だけを浮かばせて不気味に嗤っている。
「なあ、勇者よ。お前は――どれだけ私ではなく『人』を殺した?」
「…、何?」
意味が、わからない。私は表情を強張らせ、魔王を見上げた。
「覚醒するのは転生後十八の歳を越えてからだ。然し、お前は十五の時点…つまり、覚醒手前の私を何人も何人も殺めた。しかし覚醒していないのであればその魂は人だ。故にお前は『まだ』私ではない人を殺し続けていたという事になる」
背筋に悪寒が走る。
聞いてはならないと、感情が悲鳴を挙げようとしている。
「私の力はな、勇者よ。人の抱く負の感情。近くで人間が絶望すればする程、その力は累積して我が力となる。ならば…ほぼ同化し、魂を完全に乗っ取る前の人が絶望したのなら、どうなるだろうなあ?」
何かがひび割れ、砕ける音を聞いた気がした。
だって、それは。
「無駄だったんだよ、勇者。お前のやってきた事は、我に力を蓄えさせるだけに過ぎなかった。そして尤も強い絶望を得られたのか、我がつい最近転生したあの娘であった。実に素晴らしい…残り十数回の転生は必要と思っていたものが一度で集まるとはなあ」
「―――――ぁぁぁぁああッ!!!!」
何かを砕く音。何かが千切れる音。
痛み、絶望、そんなもの全て置き去りにして。
私は人影達をも巻き込み、突き飛ばし、巨大な影へと猛進する。
それが、ただの悪足掻きでしかないことも――子供の、自身が悪いと認めたくないと強く思う感情の暴走に近いものであるという事も理解した上で。
「認めるものか、そんな事を認めようものならッ!! 私は――――――ッ!!!」
光は先程よりも強い炎を、宿さない。
それでも、巨大な闇に向かって猛進する。無駄と判りながらも、その心の臓を打ち砕くべく。
「あ」
そんな間の抜けた声と共に、私の体は動かなくなった。
黒い影が、己の殺めた『彼女』と重なって私の前に立ち塞がったからだ。
(―――――――――鈴)
狂った笑い声と共に、次々と無数の黒が私の中から生えた。
それは、黒い影達の持っていた槍のようなもので、鮮血が溢れ、燃え盛る地上へと滴り落ちて行く。
「…………みとめ、ない」
「勇者よ、お前はもう終わりだ。始めに選択肢を誤ったお前にはもう」
「だ、ま、…れ…ッ。 みとめる、もの、かぁ゛…!」
まだ息絶えない。 いや、もう息絶えかけているのかもしれない。
それでも私は黒い槍へと手を伸ばす。光の剣は既に力を失い消滅した。
光の鎧も、白く染まった髪は黒髪へと戻ってしまいながらも、私は。
(私がそれを認めてしまったら、私に殺された者達の魂が、誰一人報われないだろうがァ…ッ!!!)
力が抜けていくのが判る。
彼が最初に終いだと言った以上、次の転生は恐らくないだろう。
いや、転生出来たとしても、この世界ではもう生き残る術は、恐らく無い。この魔王が覚醒してしまった以上、人は無力に焼き尽くされるのだろう。
「…哀れな娘だったな、お前も。良かろう、そんなに戦い続けたいのであれば、永久に戦わせてやるぞ」
不意に体が動き始めた。もう指先一本も、まともに動かないのに。
否、私が動いているのではない。人影達が、私を掴んで魔王の体へと近付いているのだ。黒い影そのもののような、その体に触れると、高温の何かに触れているような痛みを一瞬感じた。しかしそれだけで体は動く事もなく、徐々に視界が半分闇へと呑まれていく。
(何をする気だ、止せ)
声を挙げる事は出来ない。もう、体は死滅寸前だ。だのに、魔王が今やろうとしている事は。
「お前の魂は二度と転生しない。だが消滅もしない。永久に擦り切れるまで、我が体内世界で生き続けるが良い。――さらばだ、弱き人よ」
(やめ、ろ――――――………)
黒い影達と共に、体が消えていく感覚を最後に。
私の世界は闇へと堕ちた。
「………私の勝ちだ!」
光の剣が魔王の命を貫いた。絶望の悲鳴を挙げ、魔王は白い炎に焼かれて朽ちていく。
その様を見届けて、私は背後に向き直った。
「やりましたね、勇者様!」「さすが私の勇者様っすー!」
複数人の仲間達。互いに剣を取り合って、暗黒の魔王を切り伏せた。
こうして世界は平穏を手にできる。世界は再び人の手に取り戻されたのだ。
―――す。
「終わりだ、魔王ッ!!」
私は首を刎ねた。白い炎が魔王の体を焼き払う。
剣を収め、残ったのは焦げた王座のみ。その姿を見て仲間達は喜びの笑顔を浮かべた。
こうして世界は再び人が取り戻した闇に包まれた世界も、やがて光を取り戻す事だろう。
―――繰り返す。
「消え去れ、魔王」
満身創痍。しかしながら魔王の腕を、足を切り落とした事で隙を生み、仲間達の攻撃に遭わせて仕掛ける事で、その心臓を貫き、焼き果てさせた。
魔王を失った事で崩れ落ちる城を駆け出し、外へと飛び出す。そこには先に避難させていた仲間達が待っていた。
「これで世界は救われます!!」「やりましたね、勇者様ッ」
喜びを分かち合った。こうして英雄禄に名を残しながらも、世界が進む道を見守って行く勇者達一行――。
――――何度でも、繰り返す。
何度も魔王を滅ぼし、何度も世界が滅びて繰り返されても、彼女はもう二度と気付けない。
部品の一つと化した彼女は、その世界で弄ばれる人形に過ぎないのだから。
それでも、その世界に在るたった一人の彼女は、勇者としての役割を果たし続けているのだと信じ、何度も偽りの輪廻を繰り返す――――。