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夢物語

夢は水面のようなものだ。

波紋を描いて形を変えて、儚い幻を映し出す。

そんな水面に波紋を描く雫を落とす者。便宜上“彼”と呼ぶ事にしよう。


これは、夢の番人と自称する彼と、『夢』を渡る“旅人”の僕の、長い物語の一欠片である。





――


所々光る水晶が顔を覗かせる洞窟。時折響く高い水音が、映る景色の変化を知らせる。

この『夢』は結構綺麗だな。


「おや、奇遇だな、レーヴ。」

「アヤ」


ふいに響いた声に振り向けば、今まさに“雫”を落としたアヤが立っていた。


「久しぶりだね、アヤ」

「おや、どれくらいぶりだったか」

「さて。僕の時間では一月と言った所かな。君はどうだか分からないけれど」

「ふむ、思ったよりも時間が過ぎていたようだな。そろそろだとは思うが」

「……死ぬのか、この『夢』の持ち主は」


呟きを落とした僕に、アヤがくつくつと笑いをもらす。


「相変わらずだな、レーヴは。変わらずあるがいいよ、お前は旅人なのだから。変わるといいよ、お前は旅人なのだから。変化と不変と、どちらもを瞳に映して、数多の夢を渡るがいいよ」

「……相変わらず、難しい言葉を言う」

「おや、そうかい?」

「そうさ。言葉の意味が分かる頃には、もうそれを考える余裕も無い。君は教えてくれないからね」

「オレはこれ以上なく分かりやすく言葉にしているさ。少なくともオレにとってはね」

「はいはい」


おざなりに返事を返す。彼の言葉は回りくどく詩的と言うか、比喩的と言うか、とかく分かりにくい。


「それより、レーヴ。君はこの『夢』に何しに来たんだい?」

「もちろん、記録しに、さ」

「終わりかけの夢だがね」

「それでも僕のやる事に変わりはないさ」

「そりゃあそうだ、君は旅人だものね」

「そのとおり」


会話が途切れ、僕は洞窟の足元、水晶の光を反射する水面に目を向ける。

アヤの落とした雫に揺れて景色を変える夢の水面。覗き込むように身を屈めて、脇に携えた分厚い本の頁を開いた。

古めかしいが美しい装飾の施された本の内側には、何も書かれていない“捲れない頁”と、その中心をくりぬくように収まった大きな宝石がある。

オパールよりも透明感のある、絶えず色を変える宝石。それを水に浸すように、開いたまま本を沈めた。


ポウ、と水面が光る。ざあっと音を立てて、映る夢の中から深い青の結晶が現れた。そのまま、吸い寄せられるように本の宝石の中に溶ける。本の宝石が一つ光って、石の中を不思議な無数の文字が飛び交った。くるりくるりと浮かび沈み、点滅を繰り返す。しばらく見つめていると、それらの文字は静かに石の中で溶けていった。


ざばりと音を立てて、全く濡れていない本を取り出し、再び腰元のベルトで固定する。ふう、と一つ息を吐くと、どうやらちょうど、アヤの仕事も終わったようだ。


彼が手に持った大きな杖から溢れた、小さな宝石――『雫』を水面に落とす。雫によって波紋が描かれ、映す景色の色を変えた。やがて『夢』全体が発光し、淡い光が空を舞い始める。眩い程の光の中、彼の持った杖が一つ水をかき混ぜる。それに応えるように、水の中からこの洞窟の水晶によく似た光が飛び出し、杖の中に消えた。


それを見届けて、僕はトン、と足を一つ踏み鳴らす。すると、音も立てずに暗い影の道へ通じる穴が現れる。辺りが光に満ちているせいでよけいに暗く感じた。

迷う事無く影の中に踏み出す。足早に進む中、遠く背後で強い風が吹いたような音がした。おそらく道が閉じたのだろう。久々だし、せっかくだからアヤの仕事でも見ようかと思ったのだが、危なかった。あと少し遅かったら、吹き飛ばされるところだ。


暗く足元しか見えなかった道に、小さな光が映り込む。地面から空に舞い上がるように、あるいは空から地に降り立つように、無数の光が絶えず空を舞っている。それは先程の洞窟の光景に似ているけれど、洞窟とは違い、影の中で舞う光達は、その身で周囲を照らす事は無いし、溶け合う事も無い。

見慣れた光景をなんとはなしに眺めていれば、前方からくつくつと笑う人影が歩いて来た。


「アヤ」

「水臭いな、レーヴ。『夢』から出るならオレも誘ってくれりゃあいいのに」

「昔そうしたら、アヤを待っている間に時間切れになって、僕だけ見知らぬ『夢』に飛ばされて大変だったからね」

「そうだったか?」

「そうさ。僕はアヤと違ってのんびりしてたら弾かれてしまうからね。誘わなかったのは仕方ない事だよ。君はマイペースだもの」

「そりゃあ君にも言える事だ。マイペースなやつにマイペースだと責められるとはおかしな話だ」

「それだけ君が人一倍マイペースだと言う事だよ」

「そうかねえ」

「そうさ」


軽いやり取り。アヤと話しているとぽんぽんと言葉が飛び出すのは昔からだ。いつもは無口だと文句を言われる程なのだけど。


「もう次に行くのかい?」

「ああ、レーヴもだろう?」

「そうだね、あの夢の記録は終わったし、次もまたずいぶん先の事だろうから。アヤと会うのもしばらく先かね」

「そうだな、しばらく一緒に渡ってみるか?」

「冗談。君の仕事とかぶると、忙しなくてたまらないよ」

「そりゃあそうだ」


クックッ、と喉を鳴らしてアヤが笑う。

相変わらず特徴的な笑い方だと思う。

アヤは自称、“夢の番人”だ。夢に雫を落とし、変化を促す者。生まれ、眠りにつく夢達を見守る者。何者なのか、いつからそうしているのか、なんて知らないし、これからも知る事は無いだろう。そうして、僕の“旅”が終わった後も、彼は一人、役目を果たし続ける。それは寂しくも悲しくもない。何故なら、彼は己の役目を心底愛しているのだから。きっと、僕が己の役目に向けるそれ以上に。


「ん?どうした?」

「いや、……僕はそろそろ次の『夢』に向かうよ。君は?」

「また一つ、眠りにつく夢があるようだから、そこに行くさ」

「後から後から、ヒトの生は短いね」

「だから面白いのさ。短い生で、多様な色に『夢』を染める。彼等が死してなお、夢は終わる事はない。魂が洗われ、再び生まれるその時まで眠りにつき、やがてまた新しい色で染められる。あっという間に変化するからね、目を反らすのが惜しくて仕方ない」

「おや、その言い方だと、何かお気に入りの『夢』でもあるのかい?」

「ああ――」


心底楽しげな笑顔でアヤが僕を見る。


「とても珍しい、特別な『夢』なんだ」

「そうか。それは、僕も行って見てみたいものだね」

「そうだね、いつか見れるかも知れない」

「『夢』は僕らには無いモノだからね。それを作れるヒトってやつが、時々少し羨ましくなるよ」

「おや、それは違う」


アヤが笑みを深くした。


「『夢』は感情と記録の創る小さなセカイだ。持ち主の願望、記憶、欲、挙げればきりがないそれらが集まり形を成したモノ。だから、君にもあるかも知れない」

「けれど、“旅人”は『夢』を渡る者だ。先代の『夢』なんて見た事は無いし、自分に『夢』があったとしても、僕は夢を見る事が無い。確かめようがないさ。あらゆる『夢』を記録するのが役割の“旅人”が、けっして記録できない『夢』があるなんて、矛盾もいいところだ」

「役割、ね。そうかもしれない。でも、君は、そうして記録した夢達を最後にどうするか、知っているのかい?」

「いいや。先代が旅人でなくなってから生まれたのが僕だし、何も教えてもらうどころか会った事すら無いからね。最初から持っている知識以外は、手探りで見つける他ないね」


苦笑して、肩をすくめてみせる。


「……“先代”……ね」

「アヤ?何か言った?」

「いや」


ではそろそろ行くとしようと言って、アヤが身を翻す。身体を覆うローブがはためいて、漂う光を揺らした。

アヤが何を呟いたのかは気になったけど、言わないという事は大した事ではないのだろう。


「それじゃあ、僕も行こうかな。アヤ、よい夢を」

「ああ、レーヴ。よい夢を」


振り向く事無く去って行くアヤを見送る。幼い頃はこうした別れ際がやたらと寂しく感じたものだ。

彼と僕の関係を言葉で表すなら何だろう。知人よりは近く、友人には遠い。家族より薄く、他人より濃い。ただ、長い長い旅路の中、誰より多く言葉を交わしてきた相手。

暫く考えて、僕は首を振った。適切な言葉なんて見つかりそうもないし、急いて見つけるものでもないだろう。

思考を打ち切って足を踏み出す。さて、今度はどんな『夢』だろうか。

夢を渡る先で、そう遠くない時にまた会う事になるだろう。その時が楽しみだ、と、いつものように思った。





――


「“先代”ねえ……」


歩みを止めずに、アヤと呼ばれる彼は呟きを落とす。


「ああ、楽しみだなあ。あの『夢』は、今度はどんな色を魅せてくれるのだろう」


くつくつと、静かな笑い声が、誰もいない夢の狭間に響いた。

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