庭物語 -スタワヘッド Stourhead
英国風景式庭園と呼ばれる庭のスタイルがあります。
屋敷のまわりの広大な敷地を計算された風景画のように美しく整える、木々を植え替え川を堰き止め湖を造り、緩やかなカーブの中に牧歌的な田園風景を浮かび上がらせます。
イギリスの片田舎を旅していてすごく美しい景色に出会ったら、「風景式庭園の名残ではないかと疑ってみろ」ともいわれるほど。
18世紀に貴族の間で流行し、現在正式に記録に残っている名園がいくつか、各地に何とかその姿をとどめています。
「その1つを訪れて庭園史上の意義を述べよ」という課題に取り組むベく、ジョンの運転でスティーブ、キャロル、仁美のクラスメート4人組はスタワヘッドを訪れました。
風景式庭園の中でも、ピクチャレスク様式の最高峰と謳われた庭園です。
四人はクラスメートといっても皆二十歳すぎ、高卒の若者たちに交じって資格を取るために勉強している転職希望者たちで、仕事や家庭など普段暇でもないので、ジョンの提案に3人が名実ともに便乗してのドライブとなりました。
ジョンはプラスチック会社で発色のクオリティ・コントロールをしていましたが、ガーデニングが趣味でそれを職業にしようと辞めてしまいました。
キャロルは主婦ですが、副業としてガーデン・デザインを始めるつもりです。
スティーブは、実は仁美は苦手にしているのですが、黒人で道路建設などの日雇いをしながら、幼い息子を一人で育てているそうです。園芸の資格を取って、造園業で定職をもちたいとのこと。
もちろん仁美が彼にうちとけられないのは彼が黒人だからではありません。明るくて苦労を見せないのはいいのですが、妙に陽気すぎてついていけないのです。
というより、ただ単に、一度授業中にとても恥ずかしい思いをさせられたせいでしょう。
生垣の植え付けの実習で、行儀よく植えた西洋ブナの若木たちを麻ひもで支柱に固定していたのですが、担任が、「仁美、あなたのは緩すぎるわ」と言いました。
すると近くにいたスティーブは吹き出して大声で「仁美のは緩いんだってさぁ!」とクラス中に呼ばわりました。
クラス中の視線が集まり、自分の何が緩いと笑われているのか思い当ってしまった仁美は真っ赤になって「知らない癖に」と言い返しもできませんでした。
そんなことがあってから、スティーブには少し気遅れしてしまう仁美です。もともと引っ込み思案で、花に囲まれた仕事がしたいという思いがなければイギリス人に混じって勉強するなど思いもよらなかったのですから。
スタワヘッドの庭は、高台にある屋敷から森をぬって谷間に降りてくると突然視界が開け、そこが桃源郷のようになっています。ゆったりと奥深くまで続く湖、その向こう岸には古代ギリシャの遺跡のような石の廃墟。手前に架けられたなだらかなアーチの太鼓橋、湖を囲む木々は一つといって同じ緑色はなく、湖面に照り映えています。
6月はイギリスの風薫る万緑の季節、アッシュ、西洋ブナ、銅葉のブナ、桜の仲間、アクセントをつけるようにところどころに突き抜ける針葉樹たち。絵画美の最高峰というのは間違いありません。
「すごいな、ほんと、絵を庭にできるんだ」
「自然の美しさに感動して絵筆をとる画家がいて、その絵に触発されて庭を大改造してしまう。どっちがにわとりでどっちが卵なのかしら。」
「人間の美への執念ってすごいんだな。」
ジョンとキャロルは話しています。仁美は自分が何を目の当たりにしているのか、すぐには把握できず黙ったままでした。
「僕ら、あっちの廃墟に向けて湖を周ってくるよ」
仁美が頷くとふたりは歩き去って行きました。
スティーブは手前の湖岸のパゴダのような塔の足元から動こうとしません。仁美は声をかけました。
「いつもに似合わず静かなのね」
するとスティーブは真面目な顔で見返しました。
「黒人はいつでも能天気に陽気だと思ってるんだろ? 偏見だな。俺さっきから変な気分で。あまり好きじゃない」
「この庭が嫌いなの?」
「たぶんな。ここにいると小人になったような、ジオラマに閉じこめられたような感じなんだ。息苦しくて押しつぶされそうだ。仁美はどう思う?」
「綺麗なのは否定できないけど、ちょっと嘘臭いって感じがする」
背の高いスティーブは仁美の顔を覗き込むように腰を折りました。
「俺だけじゃないんだな、そう思うの」
目の前の小さな東洋の女性がどれほど自分と共感しているのか、探るようにスティーブは続けます。
「壮大な景色なんだけれど、できすぎっていうか、俺の気持ちを広げてはくれないみたいだ。自然ってのはそれだけで偉大で、畏敬の対象だ。人間が無理やりかたちを変えればいいってもんじゃない。それは不遜だ。風景画みたいな理想の景観といったって。その証拠が今の俺の嫌な気分なんだろう」
スティーブがそんなに一気にしゃべったのを聞いて仁美は驚きました。
「自然を征服した人間の偉大さを感じる人も多いんじゃないかしら」
「仁美もそのひとり?」
「ううん、私の母国では自然は神様なの。八百万もの神様がいるのよ。それぞれの神様にご助力をお願いすることはあっても、作り変えるなんて畏れ多いわ。私、この人工の風景には飽きると思う、遅かれ早かれ」
「よかった、俺だけじゃないんだな。家の周りの庭を綺麗にしておきたいのは誰でもそうだと思う。でもここまで大規模に、家から離れてまで必要以上に自然に手を加えることはないって思っててもいいんだよな」
スティーブの顔にゆっくりと笑顔が浮かびました。並びのいい白い歯が綺麗です。
「どのくらいで飽きるか、見て廻らない? あなたがこのジオラマに耐えられれば」
「一周くらいはできるだろ。仁美が一緒なら」
カリブの島国ジャマイカに先祖を持つスティーブと日本から来た仁美、イギリスからみると世界の反対側から来たというのに、どこか心の通じるところがあるみたいです。